10.新天地は楽園だった
あっという間の七年だった。
アシェルは十八歳。
あの日ソフィアの誘いにいいよと頷いたアシェルは、あれよという間に王都を離れ侯爵領で過ごすことに決まっていた。
子爵家の小さな庭から邸内に戻った二人の顔を見ただけで、あとはソフィアの父親であるウォーラー侯爵がアシェルの父親と話を付けてくれたのだ。
そして三日後には、アシェルは子爵家を出た。
当時アシェルが自身のことより驚いていたのは、育てていた若木二本と一緒に、トム爺も侯爵領へと移ったこと。
「おじいさんは素晴らしい知恵をお持ちだもの。一緒に研究がしたい優秀な人を見付けたら好きに勧誘しなさいと言われているのよ!」
ソフィアが自信満々に言った姿を、アシェルは今も忘れていない。
──あの頃のソフィアも可愛かったなぁ。
なんて何度も何度もあの日から紡いだ日々を思い出す。
もう両親のことも兄たちのことも記憶の彼方。
アシェルは七年、一度も里帰りをしなかった。
手紙は何通も届いていたけれど、ウォーラー侯爵からは好きにしなさいと言われていたからだ。
帰りたいとう気持ち、家族に会いたいという気持ちが、七年の間アシェルには一度も発生しなかった。
ただ手紙を長く無視してウォーラー侯爵やソフィアを悪く言われたくなかったから。
アシェルは三通に一度くらいは返信をした。
元気にやっている。楽しく過ごしている。侯爵家の人たちは優しく素晴らしい。
そんな内容で家族が納得しないと分かっていても、アシェルが少なくない手紙に返した言葉はいつも変わらない。
──三人は分かるけれど。どうして父も今さらウォーラー侯爵家との縁を壊したがっているんだろう?
侯爵より上位の貴族家に婿入りしろと当時言っていた父親も、アシェルを送り出すまでの三日間は、とても機嫌よく過ごしていたし、アシェルをよく褒めていた。
これは後で教えて貰ったことだが、アシェルをウォーラー侯爵家に預けることでイーガン子爵家はかなりの利を得ている。
その利は今も享受しているはずで、破談にして帰って来いなんてどうして書いて寄越せるのか。
──上位の貴族家から縁談の話でもあったのかな?
父親が諦めきれずに、一人でもアシェルの婿入り先を探し続けていることはアシェルにも考えられた。
けれどそれは、ウォーラー侯爵家への裏切り行為だ。
──あの日も婚約の話だと早とちりしていたし。今も何か勘違いしている可能性はあるかな?
アシェルはクローゼットの奥に置いた箱を取り出し中身を改めていく。
すべて念のためにと取っておいた家族からの手紙だ。
不快さすら感じることなく、淡々と読み返していれば、扉をノックする音がした。
顔を上げ返事をすれば、アシェルの耳にもうよく馴染んだ優しい声が届く。
「アシェルくん、ちょっといいかな?話がしたいから、時間があるときに執務室に来てくれるかい?」
使用人の誰かに言付ければ済むところ、わざわざ自分の足でアシェルに尋ねに来た男に、
──本当に侯爵らしくないよなぁ。
いつまでもアシェルは思ってしまう。
当主だけではない。この家の誰もがとても貴族らしくない人たちで、それがアシェルにとても居心地のいい場所を作った。
「今からで大丈夫です。一緒に行きますよ、ローワン様」
名前で呼んでくれ。
ソフィアだけでなく、その父親ローワン・ウォーラー侯爵からも同じように言われると思っていなかったアシェルは最初こそ困惑しなかなか名前を呼ぶことは出来なかったけれど。
今では親しみを込めて、その名を呼べた。
「聞いて、アシェル!面白い本を見付けたのよ!あら、お父さま?どうしたの?」
廊下をばたばたと駆けて来る女性が、侯爵令嬢なんて。
知らなければ誰も思わない気がするアシェルだった。
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