94.混迷
ウォーラー侯爵領は、絵師を含めて、この国のどこの領地より多くの芸術家を抱えている。
それだけ多く存在している理由は、過去に絵具や紙、筆から、楽器そのもの、楽器に使う弦や木材、陶器用の土や、陶器を焼く釜、木彫り道具等、彼らの仕事道具を開発したウォーラー一族がいて、その手の産業が今なお盛んであるためでもあったが。
探求に価値を置く風土。新しいものを躊躇なく受け入れる領民性。
これが向上心の高い芸術家たちの肌に合っていたようで。
より良い道具や環境を求めて集まって来た芸術家たちの多くが、そのままウォーラー領に根付いてしまった。
おかげでウォーラー一族は何もしていないのに、領内には芸術の街が生まれている。
それも一箇所ではなく、音楽の街、水彩画の街、彫刻の街……と、各地に点在している形だ。
それだけ多くいると、ウォーラー一族を顧客とする芸術家たちも自然に生まれ、今や研究資料や論文の挿絵を描く専門の絵師もいれば、芸術の傍ら研究道具の開発を手伝ってくれる陶芸家や彫刻師なんかもいて、アシェルたちも彼らにはよく世話になっている。
そうして関わりを持つ中で、アシェルたちから見た彼らの印象はとても良かった。
だからソフィアは否定したし、アシェルもすぐに同意を示した。
「それはないと思うのよ」
「そうだね。俺もあの人たちは疑えないな」
元々領内にいる芸術家は、ウォーラー一族を敬愛している節があって。
特に直接ウォーラー一族と関わる芸術家はこの想いが強く、彼らはいつでもウォーラー家のために動いてくれた。
研究に関わる情報を外部に漏らさぬのは当然のこと、何をするにもウォーラー一族へ逐一報告を入れ、必要なら許可を求める。
そのうえウォーラー一族に不利益を与えそうな同業者がいれば、即時通報もしてくれるという、さながら忠臣のような振舞いを見せてきた。
これまでアシェルたちの絵姿を描いた絵師たちも同じく、ウォーラー一族と信頼関係を築けている。
そしてこの話は、芸術家だけに留まらない。
民の多くもウォーラー一族を敬愛しているからこそ、芸術家たちと同じような振舞いを見せてきた。
彼らは特に同業者の悪行を許せないようだ。
ウォーラー領の高く維持されてきた治安に、領民たちのこの自発的な協力による貢献は大きい。
もちろん領法という基礎があって、不正がないかと見回る文官や、領地を守る騎士たちもいて、そこに行き届いた教育が折り合って、成り立つ治安ではあるのだが。
こうして考えると、アシェルの絵姿を勝手に描き販売する絵師や、許可なく複写して儲けようとする商人でもいれば、すぐに見付かって然るべき処罰を受けているはず。
アシェルの絵姿が王都まで流出し、それがこうも長く出回り続けているというのは考えにくいことだった。
それでも。
──こういうことに絶対はないからね。戻ったらこれも調べさせよう。セイブルに。
国で最も稼げる領地と信じられているウォーラー侯爵領だから、人の流入も多く、それだけ悪いことを考える人間も集まって来てしまうということ。
その多くが、長く居付くことも出来ず去っていくか、すぐに捕まってしまうのだが。
今一度領内の治安維持に関する体制を見直してもいい頃だろう。
ちょうど次の当主が決まったところだ。
──色々やらかしてくれたからね?ねぇ、セイブル?
アシェルから醸し出される不穏な気配を感じ取ったのだろう。
オーレリア王女が慌てて手を振り弁明する。
「いや、そちらから漏れたわけではないと思うぞ。これも証言からははっきりしないところだが。関係者たちはイーガン子爵が見せびらかした絵姿を摸写したのがはじまりでは?と考えているようだ」
──いやいや、もっと分からなくなったよ?
アシェルはびっくりしていた。
イーガン子爵家で絵師を見た記憶はないし、他の者も含めて絵姿を見た覚えもなかったからだ。
──どこかに隠してあったとして……赤ん坊の頃のものか?
予測すれば、アシェルはさらに分からなくなってきた。
赤ん坊の絵姿が出回り、それが今回の王子の愚考を引き起こす、あのはた迷惑な噂に繋がっていくとは一体……?
──ねぇ、本当に、何の話?
ソフィアとて訳が分からず、首を傾げ、手を頬に添え考え込んでいる。
「覚えはないか?そうか。ならばはじまりから妄想で描かれたものだったかもしれぬな」
アシェルとソフィアの巡る思考がぴしっと止まった。
「はじまりから?」
「妄想で?」
「描かれた?」
「どういうことなの?」
アシェルとソフィアが交互に呟いた言葉は、一人の会話のようだった。
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