87.驕りか、過信か、自信か
オーレリア王女は頭を下げたまま再び喉を鳴らしたが、アシェルは他の誰かのように王女の気持ちを察して先回りして動いてくれるような、そんな優しい男ではなかった。
そもそも王女を名乗り、公的に頭を下げた。
この状況で、謝罪はいいから頭を上げてくれと懇願しない男に期待する方がおかしいというもの。
「その全員が、王子さまに命じられたからと素直に従い、役目を放棄して王子さまの側から離れた。仮にそれぞれが個人の意思でそうしたと言うならば、それは大変なことになりますね。彼らだけでなく、人事部門にも調査が必要となりましょう」
この青年が何を伝えようとしているか、先読みして正しく受け取れてしまう自分の能力をオーレリア王女は恨みたくなった。
そんな力があるなら、どうして読み間違えてしまったのかと、過去の自分を恨めしくも思う。
「しかし、こうも考えられます。王子さまの『我がまま』はいつも報告が上がっていて、側にいる彼らは誰かの許可の元、一斉に王子さまの指示に従った。これはよりすっきりと理解出来る想定になりますね。すると今度は、その誰かについて調査しなければならない」
読み間違えたのはアシェルだけではない。
その妻は、大きな眼鏡をしていて素顔は分かりにくかったが、近くで見れば、いつまでも少女のような可憐な見目をした婦人と分かった。
夫との仲睦まじい様子。泣いた後の顔。優しく澄んだ声。蜜蜂の研究。大事に大事に育てられてきた当主の娘。
夫よりさらに扱いやすい女性だろうと信じた。
それがどうだ。
今は頭を下げていて見えないが。
先に見た夫の隣で背筋をピンと伸ばし立つ小柄な女性の背中は、王女が現れても一切の動揺を見せず、王族を前に怒れる夫を宥める気もないことはオーレリア王女にも伝わってきた。
どうしてあの日、非公式にほんの少し話したくらいで。
この夫妻が自分の味方になって動いてくれると信じられたのだろう?
どうして自分はここまで読み間違えたのか?
どうして?
どうしてだ?
その問いを追いかけるうち、オーレリア王女は大きな気付きを得た。
それは自分のこれまでの人生を否定するほどに、オーレリア王女の内に激しい衝撃を与えてくる。
『違う。私は私を読み間違えた──』
されどオーレリア王女に寄せる後悔が一段と強まろうとも、アシェルの低い声は容赦なく淡々と続いていく。
「そういえば、どなたかも甘やかしの件はご存知でしたね」
オーレリア王女の耳には、アシェルの低い声が、先より遠くから聴こえていた。
無論アシェルはその場から動いていない。
「けれど事前に止められる人間はいなかったということですから。そのどなたかも事前には何も知らなかったことになるのでしょう。とても不思議なことですね。今日この場所にこのタイミングで駆け付けられる情報力をお持ちだというのに」
オーレリア王女の斜めになった背中を、また不快な水滴がゆったりと伝う。
それでも拳を握り締め、オーレリア王女は慣れぬ姿勢を維持した。
いくら後悔しても、今さらやめられないからだ。
「それにもうひとつ、気になることがありまして」
王族としてウォーラー家に接触しない意図はあったが。
非公式に会って、私的に仲良くなれば。
あとは喜んで協力してくれるはずだ。
愚かとはいえ、半分は血の繋がった私の弟妹のこと。
私が頭を下げれば許される。
その当たり前としてきたものが間違っていたから、夫妻のことも読み間違えた。
築いてきたものは自信ではなく驕りだったのか──。
オーレリア王女には自分で自分の間違いに気付く能力はあった。
そこは先王たちとは違うところであったが、しかし彼らと同じくそれが遅かった。
あと少し早く気付いていたら……この場を乗り切るまた違う策を……考えられていただろうか?
許されるならば、もうオーレリア王女はここで倒れ、あらゆることを有耶無耶にしたかった。
しかし責を取れる王族が他にいないこともまた、オーレリア王女は嫌というほどに理解している。
震えるばかりの大叔父であるアカデミー長には何も期待出来ないだろう。
連れてきた大臣もあの様子では頼りにならない。
もう王族には自分しかいないにしても。
読み間違えた責任もまた、自分にしか取れないということ。
早々に頭を下げてしまったこの失態も含めて──。
「こちらには、貴族家の子女の皆さまがいらっしゃる。それも一部は高位貴族家の方のようですね?」
離れたところで、床に膝を落として末の息子を支えていた公爵ジャスパー・ニッセルが身を固くした。
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