9.侯爵令嬢が会いに来た理由
──この子は素直に聞いても大丈夫。聞いてみよう。
出会ったばかりなのに、アシェルは心からそう思えた。
同世代との交流に慣れていなかったとはいえ、それはアシェルにとって今までにない不思議な感覚だった。
「婚約?そういえばお父さまがそうする道もあるよと言っていたわ」
「そうする道ということは、他にも道があるの?」
「ごめんなさい。よく分からないの。お父さまはそういうことは全部大人に任せればいいと言っていたわ」
──婚約はひとつの手段に過ぎないと言っているみたいだ。大人に任せてってどういうことだろう?
「坊ちゃま。私が出過ぎたことを申したせいかもしれません」
「トム爺?」
ちょいちょいとシャツの袖が引かれ、アシェルはそちらを向いた。
「ねぇ、それよりアシェルさん。その……あのね……その……」
何かを言いたそうにして、ソフィアが眼鏡の奥で視線を揺らしている。
声を掛けて話しやすいきっかけを作ろうかと迷っていたら、先にソフィアが言った。
「アシェルさんは、どうして土を変えようと思ったの?農民でも土の違いに気付く人は少ないのよ。誰かに教えて貰った?」
──ソフィアさまが俺に言いたかった話はこれじゃないと思うなぁ。
本当に不思議なことだったけれど、アシェルにはソフィアの気持ちが読めていた。
単に社交界にいる夫人たちと違って、素直過ぎる子どもだったから分かりやすかっただけかもしれない。
──この話のあとで、俺に何か言いたいことはないかって、聞いてみよう。
「領地の記録から気になっていて。それとトム爺の教えからかな?」
「とんでもないことです、坊ちゃま。私はそんな難しいことなんざ知りゃあしませんて」
「そんなことはないよ、トム爺。たくさん教えて貰っているんだから。土の件だって本当にトム爺の話を聞いていたから思ったことで──」
領内の同じように見える畑でも、なぜか植物の育ち方に違いが出て、領民たちが配られた種に優劣があるのではないかと揉め困っている。
それは過去の当主の日記に書かれていたこと。
解決出来た記載がなかったので、その後どうなったのかまではアシェルには分からない。
トム爺からの学びは、どうして毎年レンゲを植えているのかという話からだった。
子爵家の誰かが好きなのかと問えばそうでないということでなお理由を問えば、トム爺はレンゲが魔法の花だと教えてくれた。
レンゲを花後に刈り取ってそれを混ぜ込むように土を耕せば、その後しばらく植物がよく育つのだという。
毎年この小さな庭の一角に場所を変えながらも必ずレンゲだらけの花壇が見られる理由はそれだったのだ。
土の話は、それらの記憶からアシェルが漠然と思い付いたもの。
種と一緒に土を販売する業者があるなら、アシェルの答えは正しかったのだろう。
──『異国の土なら育つのかなぁ?』って。ちょっと言ってみただけだったのに。
「素晴らしいわ、アシェルさん。この記録簿もとても美しいし。ねぇ、アシェルさん、良かったら。その、良かったらなんだけれど」
心から伝えたい話をする前に、ソフィアが左右に視線を揺らすのは癖なのだろう。
やがてソフィアはアシェルの目に視線を定めると、とても真面目な顔をしてお願いした。
「ねぇ、アシェルさん。私と一緒に研究しましょう?」
それがソフィアが今日ずっと言いたかったこと。
アシェルには確信を持ってそうだと分かっていた。
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