第一話 中編
「なんですってええぇ!」
高い天井に少女の声が反響する。
「贄?この私を……贄?」
ユーシアは一際偉そうで豪華な服の男の胸倉を掴んで揺さぶった。
周りに槍を持った兵がいるような気もするし、王だとか名乗っていた気もするが、気にしていられない。
「何考えてるのよ!言われる通りに贄を差し出すとか、あんたそれでも男?いさぎよく当たってこっぱみじんになりなさいよ!」
「やめろ、陛下を離せ!ええい、何をやっている。ひっ捕まえろ!」
茫然自失していた中で、王の隣の老人が一番早く我を取り戻した。
その声に兵も気を取り直し、王を揺さぶる金の髪の少女を囲んで槍を突き付ける。
「陛下を離せ。さもなくば……」
「さもなくば、何?」
ユーシアは馬鹿にしきった目で槍を見た。こんなもの、ちょっと考えるだけで砕け……砕け……あれ?
ユーシアの王を揺さぶっていた手が止まった。
――魔術が……使えない?
ユーシアが驚いている間に音もなくユーシアの背後に立った男がユーシアの首を手刀で打つ。ユーシアの体がガクリと崩れ落ち、白目を剥いていた王もバタンと倒れた。
濃い水の匂いでユーシアは目を覚ました。
「……んぅ」
小さく呻いて目を開け――ようとして、できない。背中に何かごつごつした固いものが当たっている。左側を体の下にして寝転がってから随分経っているようで、ビリビリ痺れていた。
「んんん……!?」
両手両足とも背中に当たる固いものに縛り付けられ、口にはさるぐつわ、目にも目隠し。
「んー、んー、んー!」
暴れても何しても拘束は緩まない。魔術を使おうとして、ここでは使えないんだったと思い出してユーシアは臍をかんだ。
「んんんん、んんんんんんんん!んんんんんんんんんんんんん!(あいつら、おぼえてなさいよ!この借りは必ず返す!)」
『……うるさい。安眠妨害だ』
突然、思念が頭に響いてきて、ユーシアは目を輝かせた。
「んんんんんん?んんんんんんんんんん、んんんんんんんんんんんんんん!(誰かいるの?今助けてくれたら、命だけは見逃してやるわ!)」
『うるさいってんだろ?何言ってんだかわけわかんないし』
「んんんんんんんんんっんん!(早く助けなさいってば!)」
『だーかーらー、何言ってんだかわからん!』
ザバァッ、と大量の水が降り懸かり、ユーシアは頭の先からつま先までずぶ濡れになった。
「んんんんー!?(何これー!?)」
『人間か……お?お前がなんか詰め込んでる穴は確か人間が物食ったり話したりする器官じゃなかったか?」
「んんんんんんんんんんんんんんんんん?んんんんんんんん(あんたが私をずぶ濡れにしたわけ?寒いじゃないの)」
『ハハアわかった。つまり俺にその穴に詰まったもんを取って欲しいんだな。ホレ』
言葉とほぼ同時にさるぐつわが外れた。ぷは、と息を吸う。
『なあ、なんで丸太にくっついてんだ?人間ってヤドカリみたいに丸太が好きなのか?』
「んなわけないでしょ。さっさと他のも外してよ!」
ムッとした想念が伝わってきた。
『なんか偉そうじゃないか?礼の言葉とか、あってしかるべきだと思うんだが』
「何ごちゃごちゃ言ってんの、男ならさっさとほどけ!」
『男とか女とか関係なくね?……ま、大した手間でもないし、いいけど」
目隠しが落ち、手足が自由になる。目を開けたユーシアは驚きに目をパチクリさせた。
ユーシアがいるのは湖のそばだった。その大きな湖の水面を黒い鱗をびっしり生やした円柱型の何かが割っている。それに沿って徐々に首を反らしていくと、逆光になってよく見えないが、先端に丸いものがついていた。
「なんじゃこら」
呆然として呟くと、その円柱型のものがぐっと曲がり、先端が近づく。
『これが人間かぁ。随分ちっこいんだな』
「これが人間かぁ……って、あんた人間じゃないの?」
ユーシアはその巨体を見ながら心からの驚きを込めてそう言った。言葉を喋るやつは人間だと固く信じていたのだ。
『人間には俺が人間に見えるのか。人間ってのは随分目が悪い種なんだな』
「まあ、なんでもいいわ。私をこんな目に合わせて、覚悟は出来てるんでしょうね?」
ユーシアがポキポキ指を鳴らすとその円柱型のものは後退する。
『俺じゃない俺じゃない。俺が拘束したんなら解いてやるわけないだろ』
「それもそうか。……ってことは助けてくれたんだよね。ありがとう。お礼に願いを三つ聞かせてあげる」
『聞いてあげる、だろ。人間に叶えてもらう願いなんか……』
「違うわよ、私の、お願いを、あなたに!聞かせてあげるの」
『は……なんだよソレ』
「ちょっと拘束を解いたくらいでなんで私がわざわざお願いを聞いてやらなくっちゃいけないのよ。せいぜいが聞かせてあげるくらいね」
ユーシアは心の底から胸を張って断言した。
『くそ、なんか少しくらいうるさくてもほうっておくべきだった気がする』
「ぶつぶつうるさいわよ。えーっと、一つ目のお願いはねぇ……そうだ、あいつらに思い知らせるのを手伝ってよ!」
『は?嫌だよ。というか、あいつらって誰だよ』
「知らないわ」
『………』
呆れたような感情が伝わってきて、ユーシアはムッと口を尖らせた。
「しかたないじゃないの。召喚されて贄だとかなんとか言われてちょこっと抗議したらこんなとこに捨てられてたんだから、どこの誰だか聞く暇もなかったし」
ユーシアにとっては真実である。たとえ、相手の名乗りを彼女が単に聞いていなかっただけであるとしても。
『はー、なんかお前も大変なんだな』
ユーシアは踏ん反り返って頷いた。
「だから頑張ってどこの誰なのか調べてちょうだい!」
『俺が調べんのか?』
「もちろん。手伝うって言ったでしょ」
『言ったっけ。うーん、思い出せないが……ま、いいか。どうせ寝るのも飽きてきたし』
「イヤ、待てよ。ちゃんと世界を救わないと村に帰っても大人にはなれないな。ちゃんと救ってあげないと。そうだ!その竜を私がやっつけてやればいいのよ!で、その後に私をこんな目に合わせたやつらに思い知らせる、と。完璧!完璧な計画だわ!」
『おーい、どーしたんだ。戻ってこい』
「フフフ、フハハハハ!」
『お、おーい?』
「フハハハハ!……あ、そうだ」
いつの間にか黒い円柱型のものは最初の二倍くらい距離をとっている。が、ユーシアは気づきもしなかった。
「竜ってどんなのか知ってる?」
『お前今まで知らんで話してたんかよ。竜ってのはな、えーっと、えーっと、面倒だな。ぶっちゃけ、目茶苦茶強くて賢いやつらだ。その中でも黒竜は一番強くて賢いんだ。何を隠そう俺も黒竜なんだ』
自慢げな思念に、ユーシアはなおざりに返事をする。
「へー、そうなんだ」
『……そうなんだよ……』
「うーん、そうなると素手ではきついよね。魔術は使えないし、剣は魔術がないと呼び出せないし。……ねねね、二つ目のお願いなんだけどさ、ちょっと、武器ちょうだい」
『いいよもう。なんでもやるからさっさとどっか行けよ』
拗ねたような自棄になったような思念にユーシアは一言、気持ち悪いとばっさり切った。思念は絶句するが、ユーシアは構わず話しかける。
「最後のお願いだけど。湖に住んでて、若い女を欲しがる竜ってどこにいるの?」
『湖……湖に住んでる竜なんて俺以外にいたかな。――うん?若い女を欲しがる?』
「そうよ」
『そりゃ、俺だ。つか、俺のじいさん……うおお!?」
「黒竜、覚悟ー!!勇者ユーシア様が討ち取ってくれるわ!」
トン、と軽く地を蹴り、ユーシアは円柱型のものの先端――黒竜の頭、正確には鼻の上に飛び乗った。尋常でない運動能力だ。
深い瑠璃色の片目にビシィ、と指を突き付ける。
『え、ちょっと待て』
「待たんわ!――あ、ねぇ。私今武器持ってないからさ、なんか適当なの見繕ってちょうだい」
『誰がやるか!』
竜の口からごう、と火の玉が吐き出された。湖を囲む林に着弾し、あっという間に燃え広がって湖を取り囲んで火の壁ができる。
「何よ、ケチ。男の癖に、いったん約束したことを翻すわけ」
『さっきから男男とうるさい。俺はまだ五十歳だ、男じゃない!』
「え、女だったの?」
『違う!まだ未分化なだけだ!』
「ミブンカ?何それ」
『まだ男でも女でもないんだよ!』
「えー、わけわかんない。ま、何でもいいけど」
『聞いといてそりゃないだろ』
竜は底関わるんじゃなかったと心底後悔しはじめていた。なんなんだこの生き物わけわからん。人間に似てるけど絶対違う種族だろ。
「まーともかく覚悟しなさい黒竜とやら!」
『おい、だから待てって!というかそもそもさっきまで他の人間に思い知らせるとか言ってたろ、なんで急に方向転換するんだよ』
「勇者だからよ」
『え、勇者ってあれだろ?人間が好きな、ホラ、正義の味方ってやつ。全然向いてないと思うけど』
「うっさいわね。何よ、あんたまでマリアがいいっての」
痛いとこをつかれてユーシアは急に不機嫌になった。
『うわ、落ち着けよ。誰もそんなこと言ってねぇし。つか、マリアって誰』
「言っとくけど、私の方が、断然!強いのよ。三千五百九十二戦三千五百九十二勝!」
『あーすごいすごい』
「心が篭ってない!」
ユーシアはダン!と片足を踏み出して拳を握り、力説する。
『いてぇ……』
「なのになんであの子が勇者に選ばれて私が選ばれないのよ!」
『性格の問題じゃねぇの?』
「なんか言った?」
ギロリ、と動いた目に竜は首を竦めた。
『いやいや別に』
「ともかく、私の方が姉さんかつ強いの!なのになんでマリアなのよー!マリアばっかりずるいわ。私も村の外に出たい!村には飽きたのよ」
『ハア……あのさ、お前って明らか勇者に向いてないじゃん。精神的な意味で。こだわるのやめれば?』
「絶対、嫌!もう村は飽きたの!」
ユーシアは竜の鼻の上でじだんだを踏みながら駄々をこねる。
明日になったらきっと鼻が腫れてるだろうなぁ、と竜は軽く憂鬱になった。
『お前が今いるのって村の外じゃねぇの?』
「………あ?」
ユーシアは静止した。一秒、二秒、三秒。バチパチという音に周りを見た竜は仰天する。大きな焚火に囲まれていた。慌てて尻尾を動かして湖の水をかける。ジュウ、という大きな音をたてながら火が消えていく。すっかり消えた頃に、ユーシアが含み笑いをし始めて、今度は何だと竜は身構えた。
「ククク……確かに、確かにそうだわ!」
『うん、そうだろ』
ホッとして竜は応じる。これでこの変な生き物との縁も切れるだろう。
しかし、事はそう上手く運ばなかった。