監視される語り手
「理はお前の存在を定義できない。
なら、お前は“記述不能の神話”に成り得るということだ」
任務から三日後。
構文異常階層《404》での暴走構文体との交戦――あれが“演習”の名を持っていたとは、未だにナオ=ミカドには思えなかった。
レポートは提出された。演算装置は沈黙した。
だが、ナオの中ではあの声が、あの“存在”が、明確に揺れていた。
『力を使ったのは僕。でも、反応したのは――君の“生きたい”という意志だった』
特別演習クラスの空気にも、微細な変化があった。
イーリスは相変わらず表情を崩さないが、食堂でナオと“席を並べる”ようになった。
ミールはナオを見るたびに小さく笑う。まるで昔から知っているかのように。
そして、教官のレイザ=クラウスはある日、彼だけにこう告げる。
「“あいつが再び語れば、記述法そのものが崩壊する”
……理文省がそう書類に記した。“再び”――な。意味がわかるか?」
ナオは答えられなかった。
ただ、言葉の奥にうっすらと“既視感のような怯え”が滲むのを感じていた。
その日の放課後、研究棟の旧視察室に呼び出されたナオは、
そこで一人の人物と出会う。
長衣を纏い、眼鏡越しに構文映像を映すその女性は静かに名乗った。
「マリエル・フロウ。理文省・特異存在観測局より派遣されました」
「……観測、って……俺はまだ何も……」
「“まだ”じゃありません。すでに一度、世界を書き換えかけました。
あなたが覚えていなくても、構文は“反応してしまった”」
彼女はナオの過去演算記録を開きながら続ける。
「あなたの構文波形は“階層反転”に近い。演算履歴すら記述を拒む。
要するに――あなたは“語られること”に適応していない」
そのとき、ナオの背後でパネルがノイズを上げた。
映し出されたのは、構文塔の記録……通常なら消去されたはずの映像。
そこに一瞬だけ映っていた。“彼”――
イドの笑み。語られる前の発動。
世界が戸惑い、理が揺らぎ、言葉が壊れていく過程。
「“彼”は、あなたの中にいます。人格か、構文か、それとも過去か。
だが確実に、“語る側”の残響が、あなたという容器の中で再構成を始めている」
ナオの心臓が、高鳴った。
その夜。ナオは“夢”の中でイドに問いかけた。
「なあ……本当に、お前は俺なのか? それとも、“誰か”の記憶か?」
『さあね。でも一つだけ言えるのは、
君が“僕を閉じ込めている”わけじゃない。
僕がここにいるのは、“君が生き延びるため”だった』
「……俺に、“何をさせたい”?」
『まだ答えなくていい。ただ、気づいてくれればいい。
君がこの世界に在るだけで、構文は不安定化していくってことを』
そして翌日。
ナオの端末に一通の“制限通知”が届いていた。
【構文制御試験・一時凍結】
【演習範囲:限定階層のみ許可】
【備考:特異存在による“演算干渉域”拡大の恐れあり】
ナオの世界は静かに“囲い込まれ”始めていた。
語り手になるか、沈黙を強いられるか。
そしてイドは、夜ごと囁き続ける。
『語らなきゃ、“誰か”に語られるだけだよ、ナオ』
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