ゼロよりも低き存在
「お前さ、何でここにいんの? 定義拒否者って、普通……退学処分じゃね?」
そこは“教室”というより“収容区”と呼ぶべき空間だった。
階層都市の地下、B-23区画。
《ケイオス・レイズ》の最底辺に位置する、コード未登録者用の補習棟。
天井には割れかけた演算光源が点滅し、壁は半透明のモノリス構造に歪んだ神性演算痕を刻んでいた。
ナオ=ミカドは、その空間の片隅で、静かに息をしていた。
「おい見ろよ、あれ……コードなしの奴だ」
「“NO-SYNC”って、マジで存在してんのか……」
「昨日の演習、あいつのせいで演算盤バグったんだってな」
声は小さく、だが確実に届いていた。
悪意というより、“理解できないもの”に対する本能的な拒絶。
視線は交わらず、空気だけがナオを避けていた。
授業が始まる。
「本日は演算構文の基礎課題。
自身の存在を理文構文で定義せよ」
教師の声は感情を欠いていた。おそらくAI教師の投影だ。
生徒たちは端末を開き、自身の“定義構文”を書き出していく。
【コード:Z5G-θ122/定義:重力歪曲権限】
【自己構文:この身に触れる全てを湾曲させる】
光の演算盤に浮かび上がる無数の“自己定義”。
それは生徒の“存在証明”であり、この学園において最も重要な通貨だった。
ナオは、自分の端末を開いた。……応答しない。
画面は空白のまま、構文領域がすら立ち上がらない。
【ERROR:コード適応値未登録】
【定義フィールド:アクセス不能】
周囲の光が、まるでナオを避けるように滲んだ。
『当然だ。君には、定義するための“座標”すら存在しない』
あの声が、再び内側から響いてきた。
“誰か”ではなく、“自分の内なる何か”。
低く、鋭く、静かな余熱を孕んだ声。
『構文とは、語られし者の枠。君は、語る者として設計された』
『だから演算システムは、君に“答え”を提示できない』
「ふざけるな……じゃあ、俺は何なんだよ……」
「ただの失敗作か? それとも、……存在しちゃいけないのか……?」
『違う。“世界が語れないから、定義されない”だけだ』
休憩時間。
ナオは演算端末を離れ、演習棟の廊下を歩く。
光は曇り、空気は濁り、存在ごと輪郭が曖昧になる。
そんなナオに、ひとりの少年が近づいた。
「おい、君……ナオ=ミカド、だよな?」
振り返る。
黒髪、神経質そうな目元。
エルヴィン・グレイ――階層上位から“転落”してきたと噂の問題児。
「お前、ホントに“何もできない”のか?」
「…………」
「俺、昨日の演習……一瞬だけ構文崩壊したんだよ」
「攻撃魔法の定義式が書き換え不能になって、視界ノイズが走った」
「周囲の誰にも再現できない現象だった。……でも、その時、お前がいた」
沈黙。
エルヴィンは目を細めた。
「なあ――お前、本当に“ただのバグ”なのか?」
授業後、ナオは廃棄された演算ルームへ立ち寄る。
誰もいない静寂の中で、彼は再び視る。
空間の歪み。理の揺らぎ。
演算記録すら書き換わる“存在の痕跡”。
【ログ:不整合/存在定義:書き換え中】
【構文領域:観測不能(Z-E-R-O)】
【データソース:“ミカド”】
「ミカド……? それが、俺の……」
『君は思い出すだろう。“神が語っていた時代”の終わりを』
「…………誰だ、お前は」
『いずれ、君が語り直す。その時、すべてが始まる』
その夜。
学寮の端末に、一通の通知が届いていた。
【通知:被験者“NO-SYNC”に対する存在再定義試験実施】
【場所:中央塔《エクス=レクス》】
【時刻:明朝・第七階層構文帯】
【判定基準:存在を証明するか、削除されるか】
ナオは通知を読み終えると、短く笑った。
諦めに似た静けさの奥に、“微かに灯った熱”があった。
——そして、“ゼロよりも低い存在”が、初めて“何かを証明しよう”としていた。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
次回も頑張って書いていくのでよろしくお願いします