存在階層ゼロの少年
「このコード、……冗談じゃない。演算拒絶?観測不能?
それじゃまるで、“存在そのものが定義できない”って言ってるようなもんだろ」
《ケイオス・レイズ》第零演習区画。
地上から三百階層下、理性記録層の最深部に存在する隔絶空間。
観測・干渉・演算の三重シールドに守られたこの“棄却領域”に、
ナオ=ミカドはひとり、椅子へ座らされていた。
目の前にいるのは、コード官と呼ばれる理文省直轄の検査官。
灰色のローブ、無表情の仮面。その声さえ、機械的な無機質を帯びていた。
「被検者コード:未登録。定義階層:ゼロ以下」
「神性演算値:算出不能。――世界演算との同期、完全拒絶」
「つまり、何一つ測れなかったってこと?」
「そうだ。君は……存在していない、ということになる」
淡々とした言葉に、ナオは静かに息を吐いた。
検査は続く。
コード官たちは、魔導演算装置や精神反応センサー、記憶走査装置まで投入した。
だがそのすべてが、ナオに触れた途端に“沈黙”する。まるでそこに対象がいないかのように。
【ERROR:オブザーバ認識不能】
【ERROR:存在演算拒絶領域】
【ERROR:観測値ゼロ。構文演算強制終了】
「…………また、壊れたのか」
「いや、これは……壊れたんじゃない。壊されている。“存在によって”」
その時だった。
演算室の光が、一瞬だけ“逆流”する。
音もなく、視界がぐにゃりと歪み、観測窓の外に“像”が現れた。
それは、巨大な空白だった。
世界の構造にぽっかりと空いた“理の穴”――いや、もはや比喩ではなく、
現実そのものの空転。演算が意味を失う“構造エラー”。
「っ、ログを!出力を止めるな!」
コード官たちが叫ぶ。だが、ログはすでに破損していた。
時間記録は焼き切れ、映像は黒塗りの空白。
そして演算室の一人が、眼を押さえて膝をついた。
「視界が……っ、観測情報が……ッ!」
「おい、どうした――!? ……眼球が……焼けてる……!?」
コード官全員が沈黙した。
誰もナオに手を伸ばせない。言葉をかけることもできない。
ただ、そこに“座っている”という事実すら、彼らの記録には残せない。
ナオは――
その空間のどこにも“存在していない”はずなのに。
『ようやく、気づいたか』
誰かの声が聞こえた。
いいや、“誰か”ではない。
その声は、ナオの内側から“湧き上がってきた”ような響きだった。
『定義しようとするから壊れる。観測しようとするから歪む。
わかるか、ナオ。君自身が、“理の外側”で呼吸していることに』
ナオは黙って、胸元に手を当てた。
そこには確かに、鼓動がある。体温がある。痛みがある。
なのにこの世界は、それを“存在と認めていない”。
『次に来るのは、排除ではない。融解だ。
君がこのまま存在を続ける限り、理は君を“自己修復不能エラー”と認識する』
「…………それは、俺が壊れるって意味か?」
『逆だ。
理が、壊れる』
観測不能。演算拒絶。記録不能。定義拒絶。
――存在階層ゼロ。
コード:NO-SYNC。
ナオ=ミカドという少年は、ただそこに“座っている”だけで、
世界にとっての“整合性”を脅かしていた。
誰かが震え声で呟いた。
「この存在は、定義不能な“バグ”じゃない……」
「これは――世界そのものの、対立存在だ」
その夜、ナオはひとり、地下演算室の薄明りの中で目を閉じていた。
何もわからない。記憶も力もない。
だが、ひとつだけ確信がある。
『君が世界を定義し直す、その時まで』
その声が消えたあとも、脳裏に残っていた余韻は、あまりにも深く、あたたかく、そして冷たかった。
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