理なき者、呼吸する
——世界は、“定義”でできている。
存在に名が与えられ、感情には数値が、法則には権威が宿る。
それら全てを司るのが《理》であり、
理の頂点に立つ者こそが、“神”と呼ばれた。
神は、言葉一つで現実を塗り替える。
記憶を書き換え、意味を付与し、因果を操る。
それが当然である世界において、
唯一、定義を拒み、世界から“弾かれた”存在がいた。
その名は――ナオ=ミカド
朝を告げる鐘が、《階層都市》の天蓋に反響する。
神性都市。その中心に建つ学園こそ、《ケイオス・レイズ》。
“理を殺す者”を育てる、唯一無二の学術機関。
そこに、一人の生徒がいた。
制服の左胸に貼り付けられた識別コードは、白紙。
デバイスの認証すら通らず、演習端末は無反応。
ログイン画面に浮かぶのは、ただ一行。
【CODE SYNC ERROR:NO-SYNC】
「……また、拒絶か」
ナオは無表情のまま、冷たい端末から目を逸らした。
《ケイオス・レイズ》の一日は、神性適応演習で始まる。
生徒それぞれに与えられた“定義コード”を用い、存在を証明する儀式。
他者を上書きするか、自らを最上位へ昇格させるか。
“理”を操る者の素質を競う、戦場。
だが、ナオにはその資格すらなかった。
「名前……確認できません。IDコード認識不能です」
受付係の少女が一歩下がり、警戒のまなざしを向ける。
「そいつ、昨日も弾かれてたやつじゃん」
「コード未登録者って、まだ存在できたんだな」
「ってか、なんで生きてんの?」
低く、濁った笑い声が教室の隅から漏れる。
彼らにとって、ナオは“空気”ではなく、“誤作動”だった。
「第七教室、演習開始。チーム編成、定義優先ランクに基づき決定――」
ナオの名は、アナウンスのいずこにもなかった。
だが、その時だった。
「…………っ、ぐ……あ……ッ!」
突然、演習台にいた生徒の一人が悲鳴をあげて崩れ落ちる。
手を伸ばしかけた演算盤が、まるで焼けつくように閃光を放ち、爆ぜた。
「ちょ、待て、あれバグってんのか⁉」
「定義フィールドが……崩壊してる⁉ 演算式が……書き換えを拒絶して――」
異変は、周囲に拡がっていく。まるで“理”そのものが破綻していくかのように。
そして、その中心にいたのは――ナオ=ミカドだった。
「俺……は……何も、して……ない」
ぽつり、と呟いた声は震えていた。
だが、空間の震えは止まらない。
演習台の床に刻まれた神性回路が、軋みながら砕け散る。
まるで、“存在そのもの”がこの空間に拒絶されているかのように。
「お前……何者だ?」
教師の一人が、かすれるような声で呟いた。
「定義不可能……演算不能……コード適応値:……NO-SYNC……。いや、違う……お前は――」
その時、ナオの耳元に、かすかな囁きが届いた。
『ようやく、呼吸したか。世界の外側で』
誰の声でもなかった。
だが、それはあまりにも懐かしく、そして、忌まわしい響きだった。
ナオ=ミカドは立ちすくむ。
目の前で崩壊する教室、アラートが鳴り響く構内、逃げ惑う生徒たち。
そのすべてが、彼には“触れられない”もののように思えた。
【CODE INVERSION SIGNAL/存在定義:再構築領域】
ナオの全身に“世界の拒絶”が走る。
皮膚が焼けるように熱く、だが心は異様な静けさに包まれていた。
「僕が……壊した……のか」
そう呟いたその瞬間。
空気が震え、構内全体が数ミリ単位で“再定義”された。
アラート。
サイレン。
破裂するデータ。
存在座標の喪失。
回路上の神性構文のバグ。
システムの叫び。
教師の怒号。
生徒の悲鳴。
世界の、拒絶。
その全てが遠くなるなかで、ナオ=ミカドはただひとつ、確かに感じていた。
『次は、生き残れるとは限らないぞ、“神”よ』
誰だ、それは。
なぜ、“神”と呼ばれたのか。
なぜ、自分だけがこの世界と同期できないのか。
答えなどわからない。
だが――確かに、鼓動だけが生きていた。
そして数日後、ナオは《ケイオス・レイズ》地下第零演習区画に転送されていた。
理由はただ一つ。
「コード:NO-SYNC」による演算空間破壊の原因を、検証するため。
誰かがこう言った。
「落ちこぼれ? ああ、違うな。
あれは、“定義不能な上位存在”だ」
——その日、世界は知った。
理にすら拒絶された少年がいたことを。
彼の名は、ナオ=ミカド。
そして、彼こそが……
かつてこの世界を統べた、最後の神だった。
最後まで読んでくださりありがとうございます。次回もよろしくお願いします。