構文戦域《α座》開帳
「語らなければ、始まらない。
だが語ってしまえば、それはもう“誰かを選ぶ”ことになる――」
開帳儀式は、午前零時をもって始まった。
構文帯が歪み、視覚構造が円柱状にねじれる。
語り手候補たちは“語義空間”と呼ばれる仮想の構文断層に順次転送され、1対1の演算的交差を体験する。
【構文戦域:《α座》開帳】
【参加者:語義候補7名】
【戦域構文演算:相互語義干渉型バトル・ログ】
ナオは最終転送者だった。
そのとき、封印区の外――
監視モニターを睨んでいた構文記録官の一人が、異常に気づく。
「……おい、ナオ=ミカドの語彙構文領域、
“選択されてない”……だと?」
もう一人が蒼白になる。
「いや、“選べてない”……!あいつ自身が――“語らない”まま転送されてる……!」
戦域に落とされたナオは、言葉のない大気のなか、ゆっくりと地面に立った。
目の前には相手――語義候補のひとり、《セイ・ローザ》。
語義:断裁/記録消去。構文攻撃は「相手の語義そのものを上書きして“語られなかった者”にする」。
「……語られる覚悟、できてる?」
セイは手を振っただけで、ナオの周囲に“構文文字の断層”が出現した。
語義再定義術式《Erase/Rewrite》。
「“君は語りすぎた”ってことにしといてあげるよ。
その方が、語られなかった者たちの墓標にもなるしね」
ナオは、語らなかった。
かわりに、目を閉じた。
(語れば、勝てる。だが……)
(俺は、“語る前に震えていた奴”を、俺自身が殺すことになる)
手を下ろし、静かに構文遮断を宣言する。
【発動:構文遮断領域展開式《SIL=SUPPRESSA》】
【効果:双方の発話・構文・語義干渉を一時停止】
【副作用:以後、記録への語義転写不可】
セイが驚きに目を見開く。
「なにそれ、構文切った? ――マジで“語らずにやる”気?」
だがもう言葉は届かない。
《シル・サプレッサ》が展開された。
白の無音領域で、ただ“存在だけが生きている”。
ナオは構えを取らない。
構えるという“意味”すら消えている世界。
ただ、歩み寄る。
拳を一度だけ――振る。
その拳に、言語は宿っていなかった。
けれど、誰よりも真剣な「何かを伝える動き」だった。
ナオの踏み出しは静かだった。
けれどその一歩で、空気が砕けた。
セイが反射的に身体を沈めて構えようとする――が、その瞬間、ナオの膝が疾風のように迫る。
正面から、無言の“意志”が襲ってきた。
肘を立てて受けるが、重い。
ただの肉体、それだけのはずなのに、言葉よりも先に届いてくる意味がある。
“俺は語らない。だけど――”という、沈黙のままぶつけられる打撃。
セイが距離を取る。
足裏で砂を蹴り返しつつ、低く滑るような反撃の踏みこみ――
胴をひねり、回し蹴り。
ナオは受けない。
半身をずらし、蹴りの芯を外しながら軸足に膝をぶつけてくる。
“構文なしの読み合い”だけで、優位を取る圧。
言葉を捨てた者の動きが、
“語る者”だった自分より、遥かに冴えて見えた。
次の瞬間、拳と拳がぶつかる。
衝突音が鳴らない。構文記録がゼロだから、空間に“記録される衝撃”すらない。
だが体はちゃんと痛い。
“語らない世界”で戦うというのは、
ただ誰にも見届けられずに、「本気」を続けることだった。
最後、ナオは胸元に拳を突きつけたまま、ただ見つめるだけで動かない。
セイの腕が止まった。呼吸だけが、二人のあいだに折り重なっていた。
《シル・サプレッサ》が解除される。
セイがポツリと呟く。
「……ねえ、さっきまでの私、なんで“勝つ”つもりだったんだろう」
自分でも不思議そうに笑った。
セイは言った。
「……君の拳、たぶん語り手の誰よりもうるさかったよ」
構文記録には何も残らなかった。
でも、周囲の語義候補者たちはその後――少しずつ、ナオを「語り手」として認識しはじめる。
――その日、“語られなかった記録”が
最も深く、語り手たちの心を揺らした。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
肉弾戦ってなんかいいですよね。だけど描写が難しい。
二章も頑張っていくので応援していただけるとありがたいです。
次回もよろしくお願いします。