語義爆裂
「最初に言葉が壊れるのは、いつも“意図してないとき”だ」
演習後の休息時間。
ナオはひさしぶりに、イーリスとミールに呼び出された。
場所は屋上の旧構文視塔――今は使われていない展望室。
曇りがちな演算空の下、空気は妙に静かだった。
「言えよ、何か考えてるだろ?」
ミールが言う。
イーリスは黙って手すりにもたれて、遠くを見ていた。
「いや……別に……何も……」
「嘘。語る気配がにじんでる。まだ言葉になってないだけで、
“出したい”って心が、言葉の形を求め始めてる」
「……そんなの……」
「怖いか?」
ナオは黙った。
そして――小さく、声がこぼれる。
「……少し、だけ」
イーリスがこちらを見た。
「いいんじゃない?怖がってるうちは、多分大丈夫」
構文塔の下で、観測装置がアラートを鳴らす。
【構文密度:異常上昇】
【語彙発振:観測単位を超過】
【対象:特異存在ナオ=ミカド/付近】
そのとき、ナオの胸に“響いた”言葉があった。
誰が言ったわけじゃない。自分の内側から、ふと浮かびあがった。
『世界は、語りかけてはこない。
だからこそ、“俺が語るしかなかった”んだ』
誰だ、その言葉は。
自分か?あいつか?どっちだ――
思考が追いつくより先に、声が――
「なあ、お前らはさ、神をさ、やめたいと思ったこと……」
言い切る前に、空間が――割れた。
突如として、構文塔の視覚構造が歪む。
文字列が天井から降りそそぎ、空間座標が複数化する。
【語義爆裂発生】
【原因:未登録語彙の誤発音 → 世界定義との不整合】
【観測:神性定義階層と同期開始】
【周囲対象:意識同調発生中】
イーリスが即座に盾構文を張り、ミールが演算空間の再同期を試みる。
「喋ったな、“定義されてない言葉”を――!」
「そんなつもりじゃ……!」
「つもりなんか要らない!“語る力”は、意図とは別に“世界を巻き込む”!」
ナオの両手が震えていた。
言ったのは、ほんのひとこと。
でも確かに、それはこの世界にとって**“定義外の罪”**だった。
観測塔全体が一時封鎖され、マリエルが急行する。
ナオは隔離空間で一人、壁を見つめていた。
「……言葉って、こんなに……こわかったっけ……」
静かに、声がした。
『でも、君は“言ってしまった”んだ。
あの言葉は、世界の裏側を触るフレーズだった』
「俺は……間違えたのか?」
『それは――“語られなかった者”だけに許された問いだよ』
――最初の“語り”は、世界を震わせた。
語義のない言葉は、意味を持たないまま、現実を裂いていく。
そしてそれは、語られすぎた者だけが知っている痛みだった。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
次回は二話同時投稿で一章最終話です。
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