語義なき構文たち
「語りたい言葉が、語られたくない心を貫くとき、
人は初めて“自分の言葉”を持ち始める」
演習後の構文評価室。
ナオ=ミカドの構文圧は計測不能だった。
というより、記録そのものが“反応しない”。
マリエル・フロウは端末を指で叩きながら、主任官に静かに言った。
「彼はやがて“語る”。……それだけは確定事項です」
「問題は“何を語るか”だろう」
「いいえ、違います。“彼が語るとき、私たちはどうなるか”が問題です」
廊下を歩くナオの前に、レイザ教官が立ちはだかった。
「今日の演習、制御しようとしたな」
「え……?」
「お前、自分で“言葉を選ぼう”としたろ。気づいてないかもしれないが――
それは既に“語りの兆候”だ」
ナオは答えなかった。
でも、自分の口の中に“何かの言葉”が湧いていたことは確かだった。
そしてその言葉は、どこか――温かく、
同時に“他人の死体みたいに冷たい何か”を連れてきていた。
その夜、訓練班の共有スペースにて。
イーリスとヴァルクスがナオの話をしていた。
「……少しずつ変わってきたよな、あいつ」
「言葉がまとまり始めたからな。怖いのは――“語ろうとすること”だ」
「違うよ」
割って入ってきたのはミール。
「一番怖いのは、本人が“語りたくない理由”を知らないことさ」
夢の中で、またあの階層が現れた。
構文で作られた空間。
ただ静かで、言葉が降ってこない“世界の余白”みたいな場所。
『語らなければ、生きられない世界ってさ……しんどいよね』
イドの声。今日は近くなかった。ただ、妙に優しかった。
「お前は、それでも語ったんだろ」
『うん。でも“語られたまま終わる”のが……嫌だった。
だから僕は、生き延びちゃった』
「終わりたかったのか?」
『……君がその答えに辿り着く時、たぶん僕も決まるんだろうね』
朝。ナオは一言も口をきかずに食堂を出た。
ただ、誰かが背中に「おはよう」と言った気がした。
でも振り返っても、誰もいなかった。
――語義を持たない言葉たちが、静かに口の奥に宿りはじめる。
それが自分のものなのか、誰かの残響なのか――
まだ、わからない。
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