7.祝宴に灯る
竜の花嫁をお披露目するための祝宴を開催する。その知らせは、瞬く間に王都を駆け巡ったそうだ。
忙しなく動く侍女たちの様子をぼんやりと眺めていたら、パンとひときわ大きな音が響く。
「リィナ様、よそ見をする余裕がおありですか?」
「ないですすみません、続けてください」
今のは私が悪かったので、素直に頭を下げる。そこに、ライラが窘める声は入らない。当然だ。
祝宴のために講師を、と手配を頼んだのは私で、今は教わる側なのだから。これではいけない、と一度頭を振って自分の手元に視線を落とす。テーブルマナーについては、おそらく立食形式だから必要ないだろうとは言われたけど、いい機会だから覚え直すことにしたのだ。
毎日の食事は私一人なので、どうしても使い方に偏りが出てしまう。それを修正するための時間。
アズファルド様から、その知らせを聞いたのはひと月ほど前だったか。いきなり朝食の席にやってきたかと思ったら、一通の封筒を何も言わずに押し付けられた。
戸惑っていると、ライラが丁寧に開いてくれてこの場で読んでもいいと教えてくれた。その間もなぜかアズファルド様はその場に立っていて、触り心地だけで上質とわかる便箋のこれまた流暢な文字に目を滑らせながらも、書いてあることを読み取ると。
「……竜の花嫁の披露をするように、とのことだ。準備を」
間違いなくアズファルド様の本意ではない。明らかに苛立っている様子なのを見て、おそらく面倒事だ。そう思ったのにこれほどまで感情を見せるアズファルド様を前にして、こんな態度も取れるのだとわずかに感心していたのがいけなかったのかもしれない。
「何を呆けている」
「いえ、すいません。準備と言われても私には何をどうすればいいのか分からなくて」
「そこの侍女に聞け。当日の朝は迎えに来る」
ありがとうございます、と私が口にするよりも早く、アズファルド様は食堂を出て行ってしまった。中庭で会った日から少しは距離が縮まったような気がしていたんだけど、私の勘違いなのだろうか。
小さなもやもやを確認できる暇もないほどに、その日からスケジュールがびっちりと埋まっていった。
「リィナ様のために、全力を尽くさせていただきます」
離宮の侍女総出で始まった花嫁の披露、つまりはパーティーのための準備。私の採寸から始まって覚えたマナーの見直し、それからパーティーでは必須だというダンスのステップ。
ついこの間までは書斎でのんびりと本を読んで知識を蓄えていたというのに、毎日が慌ただしく過ぎていく。
そんな日々を過ごしているうちに、あっという間にパーティーの日はやってきた。
今日のために作ってもらったドレスは、深い緋色。そこにアズファルド様の色である金で刺繡を施して、一目で竜の花嫁だとわかる色使いになっている。栗色の髪も同じ色の装飾で彩られていて、こんなに主張するのは少しばかり恥ずかしいと思うほど。
鏡の前に映る私は、まるで違う女の子のように見える。鏡の中の水色は不安そうに揺れているけれど、後ろの人物を認めた瞬間、大きく見開いた。
「……似合っている」
群青のなかにさりげなく水色をあしらった正装、それを縁取るのは銀色。初めての夜の黒も似合っていると思ったけれど、この装いはまさにアズファルド様のためにあると言えるくらい。
似合っている。そう言いたいのは私のほうだ。
「ありがとうございます。……アズファルド様の隣に並ぶのは、緊張しますね」
こんな美貌の横に立つなんて度胸、普段の私にはない。けれど、今ならドレスの力を借りて、少しなら並べるかもしれない。そう考えられるくらいには私も浮き足立っているみたいだ。
「行くぞ」
言葉は突き放すように短いのに、差し出された手は私のことをずっと待っていてくれた。花嫁として、認め始めてくれているのかもしれない。パーティーが始まる前からそう錯覚させるほどの熱に、私は耐えられるだろうか。
アズファルド様が手を差し出してからの所作は、完璧だった。堂々とした立ち振る舞いは、国の王ですら緊張をもって接していると見て分かるほどに。
その隣の私は、笑顔を向けて祝いの言葉を口にする参加者のなかにある、値踏みするような視線や囁かれる悪意、そのようなものを敏感に感じ取ってしまったのだ。笑顔を張り付けることすら難しくなり、アズファルド様に一声かけてから人の少ないバルコニーで休息をいただくことになった。
「出来ることは、頑張ったんだけど……」
及第点、ですらないだろう。侍女の施してくれた化粧は村娘の平凡な容姿を引き上げてくれていたけれど、生まれた時から見比べられることに慣れている貴族の令嬢たちの装いに敵うはずもなく。あんなものか、その程度で隣に。散りばめられた悪意は棘になって私に刺さる。
この場から逃げ出さずにいられるのは、私の装いを似合っていると言ってくれたアズファルド様の言葉があったからだ。社交辞令で言ってくれたのだとしても、着飾った私を褒めてくれた。
「主役が、このような場所で何をなさっておいでですか?」
「……どなたでしょうか?」
あの方の隣に戻ろう、そう思ってくるりと体の向きを変えたと同時にかけられた声。涼やかな声には、平坦であろうとしながらも感情が滲んでいる。
きれいに編み込まれた金髪は、パーティーの明かりから離れてもキラキラと輝いている。その奥に見える瞳は鮮やかな緑。ぴったりと沿うわけではないのに、体つきを強調させるドレスは落ち着いた黄色だけど、光の当たり具合で印象を変える。
「失礼いたしました。私、イザベラ・エルフォードと申します」
「ありがとうございます。リィナ・シーリスです」
「リィナ様。率直に申し上げます。あなた、本当に自分の立場を分かっていらっしゃるのかしら?」
竜の花嫁、契約を結ぶため、象徴。どれもが、このパーティーのわずかな時間で私に降りかかった言葉だ。そのなかで立ち続けたのは、ただ私の意地。だって、いまだに私が竜の花嫁として選ばれた理由は分からない。
今、私が理解しているのは。
「立場、がどうなのか今は知りません。けれど、私は花嫁に選ばれた自分の役目を大切にしようと決めただけです」
花嫁に選ばれてから王都に来て、ずっと離宮にいた。他の人との交流があるわけでもないから、自分がどんな立場にあるのかを知る機会なんて、正直言えばなかった。
このパーティーにやってきてアズファルド様の隣にいることで、飾り立てた服を着たおそらく偉い立場の方から頭を下げてもらっても、それは私に向けてではない。
ただ、私が出来るのは花嫁という立場を大切にすることだけ。出来ることなら、アズファルド様と仲良くなりたいとは思っているけれど。
「そんなの、私だってできるわ! 笑わせないで」
「笑わせるつもりなんてありません。イザベラ様がどのような立場の方なのかは存じ上げませんが、選ばれたのは私です」
私も驚くくらい、自分の口からすらすらと飛び出すのは普段では考えられないくらい強気な言葉。
「あなたに、守護竜様の隣はふさわしくないわ」
吐き捨てるような本音に、空気が凍る。どこか冷静な頭では、言いたかったのはそれか、なんて思っていたけれど固まった体からは確かな言葉が出てこない。
ピリッとした緊張感が走る静寂を壊したのは、重く響く声。
「その判断を下すのは、私だ」
声の主であるアズファルド様は、イザベラ様をちらりと見るとそっと私の手を取って歩き出す。何かを言いたそうなイザベラ様だったけれど、アズファルド様の目線の鋭さにきゅっと口を引き結んだ。
「相手がいなくては、ダンスは出来ぬであろう?」
もしかして、助けに来てくれたのだろうか。ダンスにパートナーが必要なのはそうだけど、タイミングが良すぎじゃないだろうか。自分の都合のいい方に考えが進むのは、必要以上に飾らない物言いをするのに、しっかりと握ってくれる手のぬくもりがあるから。
「先ほどは、ありがとうございました」
ダンスをしながら談笑する、なんて高等技術をこのひと月で身に着けられるはずがない。ステップを間違えないように必死だけど、それでもお礼を伝えなくてはならない。離宮に戻ってから、このような近距離で話す機会があるかどうか分からないんだから。
「礼は不要だ」
「それでも、私は伝えたかったんです」
音楽が変わり、ゆるやかに旋律が紡がれる。慣れない私はアズファルド様の足を踏まないように、今まで体に叩き込んだステップを思い出しながら必死で足を動かしていたから気づかなかった。
ダンスの最中にアズファルド様が私を見て、何度も目を細めていたこと。
それを見た周りがざわつき、守護竜様は花嫁を大事にしていると口々に話題に上っていたこと。
そして、バルコニーの陰からイザベラ様が私を見つめていたこと。
足を踏まずに一曲踊り切った達成感に満たされていた私は、周りから集まる視線の意味が変わっていったことにも、気づかなかった。