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6.それは風のような



 朝の光を感じながら、目を覚ます。村と変わらない私の習慣。変わったのは、起きたら目に入るものすべて。


「おはようございます、リィナ様」

「おはようライラ。今日もよろしくね」


 あれから、ライラは侍女長でありながら私の一番側にいてくれる存在になった。侍女たちが言っていた直接指示を受けていたというのは、顔を合わせて話したのではなく、定期的にライラの下へアズファルド様からの指示書が届いていた、ということらしい。

 少しだけ安心した私を見て、ライラが何か含んだ笑い方をしていたけれど、結局何を考えていたのかは教えてもらえていない。

 そんな、業務外の軽口が出来る程度には縮まった距離。それは、この離宮に勤める侍女の誰に対しても言えることだった。

 唯一、変わらないのはアズファルド様ただおひとり。

 こればかりは、時間をかけていくしかない。手を変え品を変え、近づいたと思ったら離れていく。

 風を捕まえるようなものだ、とライラと二人で笑い合った。


「おはようございます、リィナ様。今日はお気に入りの木の実パンです。焼き立てをお召し上がりください」

「ありがとう!」


 食事の好みも、厨房には完全に把握された。王都に来てから食べた物は全部おいしくて、どれも好きなものになった。それでも、村が恋しくて思い出の味なんだと何となく話しただけで時々、作ってくれるようになったパン。

 マーサおばあの味に似てるなと思ったら、なんと村まで教えを請いに行ったんだとか。


「皆は元気だった?」

「ええ。皆もリィナ様が元気かと心配なさっておりましたよ」


 厨房からわざわざ顔を出してくれた料理人は、あの村に通ううちに住人と仲良くなったそうだ。心配していた薬屋も王都から人を派遣してくれたと聞いて、安心したのを覚えている。

 寂しくない、とは言えないけど侍女たちはじめ、離宮の人たちが良くしてくれるので、こうして状況を聞かせてくれるのを楽しめるくらいにはなった。

 ここに来た最初の私がこの変化を見たら、きっと驚くくらい。


 相変わらずアズファルド様と会話らしい会話をすることはなかったけれど、それでも時々視界の端を銀の光がかすめるのには気づいている。

 それから、一日一回は竜が飛び立つ風の音を聞くようになった。聞き分けられるようになった、という方が正しいだろうか。


「中庭の花が見頃を迎えている、と聞いております。せっかくですので、午後は散歩になさいませんか」


 求められていなくても、守護竜の花嫁としての知識を得ることはきっと無駄にはならない。

 花嫁という制度についても、理解はしたけれど本によって書いてあることが違うので比べるのが面白い。ただ、古い本が多いので、翻訳用の文字表を横に置いておかないと進めないのが難点だ。

 最近はずっとこの書斎にこもっているからか、ライラが外を指して提案してくれた。


「わ、賛成! 本を読むのも楽しいけど、体を動かしたかったの」

「リィナ様、くれぐれも……」

「大丈夫です! スカートは捲りませんし、寝転がったりしませんから!」


 村では見たことのない草花に興奮して、スカートを捲り上げた時にはライラに悲鳴を上げられた。その声に何事かと集まった侍女たちの前で、それはもう盛大に怒られたんだから。

 離宮の中庭には、様々な花が咲いている。どれも手が行き届いているのに、ぽつんとひとつ端に置かれた鉢植えが気になった。


「この子、元気がないね。何か聞いてる?」

「いいえ。今朝の報告では何も」

「そっか。でも、日当たりのいい所に動かしたら咲いてくれると思うんだ」


 土は十分に湿っているし、ふかふかと柔らかい。栄養も足りていそうなら、試せるのは日の光の力を借りてみること。

 ライラに許可をもらって、鉢植えを少し日当たりのいい場所に動かす。その作業が村の自宅を思い出させるので、つい同じように花に声をかけながら手を動かしていた。


「そうかそうか。あったかくていい場所だね。ここなら、綺麗に咲けそうかな?」

「その声――」


 まさか、それをライラ以外に聞かれるなんて思いもせず。


「アズファルド様?」


 初めて見る、明るい日の下の銀髪はこれ以上ないというくらいに輝いている。その奥にある金の瞳が、大きく開かれている。

 私に出会って驚いたにしては、少しばかり様子がおかしい。何かあったのかと尋ねる前に、アズファルド様は踵を返す。その背中に、声をかけることは出来なかった。


「ライラ、これって一歩前進なのでは?」

「そう、だとよろしいのですが」


 どっちかと聞かれたら、間違いなくマイナスからのスタートだったと言える顔合わせ。この間の夜の広間、そして今日。顔を合わせた時間だけを数えるなら少ない方だ。

 焦らない、ゆっくりコツコツと。そう決めたのは私だ。だから、こんな小さなことでも前進だと、そう思いたい。

 例え契約のための花嫁なのだとしても、寄り添うことはできるはずだから。




 ***


 アズファルドが中庭に出たのは、偶然だった。

 日課である散歩を終え、暇つぶしのための書を求めて自室を出た、その道中に彼女はいた。

 この離宮の空気にのまれていた娘、それが今ではぎこちなくはあるが主としての振舞いを身に付けつつある。冷たく停滞した空間に舞う一陣の風は、この離宮の雰囲気も変えていく。

 その変化も、アズファルドを苛立たせた。

 自身が、それを望んでいるというのに。


「ここなら、綺麗に咲けそうかな?」


 ふいにアズファルドの耳に届いた、リィナの声。声の主を確かめたアズファルドの心に、微かにざわめきが走る。

 けれどその感覚ははかなく、確かなものにする前に消えてしまった。


「その声――」


 思わず漏れた自分の声に、アズファルドが口を閉ざすよりも早く、リィナが振り向いた。

 どこにでもいそうな栗色の髪から見えるのは水色の瞳。怯えや不安といった感情を見せていた顔合わせの夜でも、決して逸らされることのなかったそれが、今もアズファルドの視線を捉えている。

 まるで逃げるように目を細め背中を向けたアズファルドには、振り返ることなど出来なかった。



 その夜、アズファルドは本を開きながらも、手の中で指輪を遊ばせていた。

 かつての花嫁が身に付けていた象徴、そう説明はしたものの、用途を果たしたのはただの一度だけ。

 かつて、アズファルドの契約を結んだ巫女に贈った指輪。彼女が朽ちてから、誰の指で輝くこともなく、今や錆びついて鈍く存在を主張するだけになった指輪。


「エルセリア……」


 人の身でありながら竜との共存を望み、心を通わせ契約という魔術を作り出した巫女。自分の名前が竜語の巫女として語り継がれることになると知り、恥ずかしそうに笑った姿は今でもアズファルドの記憶に深く焼き付いている。忘れるはずもない、アズファルドの中で切ない痛みを伴う記憶。


「どうして、なんだ」


 中庭に立つリィナの栗色の髪が揺れた一瞬に、花に話しかけるその声に。いないはずのエルセリアの面影が重なってしまうのは、どうしてなのだろうか。

 答えの出ない問いに、アズファルドはただぼんやりと天井を眺める。そこには、鋭い爪を持ち大きな翼を広げたアズファルドの竜の姿が描かれている。


「竜にしか分からぬ語が、聞こえるはずがない」


 アズファルド自身も久しく使っていないその語を、理解する者などいないはず。ましてや、それを口にできる人などいるはずがない。

 リィナ、と名乗ったあの娘にかつての巫女の面影を重ねるなど、あってはならない。

 近づけてはならないと、そう理性は囁いているのにアズファルドは胸の内で彼女の名前を幾度、呼んでいた。

 人は簡単に朽ちる。想いを寄せるほど、絆を望むほどに、その時を迎えた自分の傷が深くなるだけなのだと言い聞かせて、アズファルドは目を閉じた。


 それでもリィナの存在は風のように、アズファルドが固く閉じた心を少しずつ揺らし始めていた。




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