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5.花嫁という制度

 

「うわぁ……これ、全部?」

「貴重な書もございますので、こちらを着用くださいませ」


 見上げる天井はかなり高いのに、そこにある棚には全て本が並んでいる。差し出された手袋を着けながら、視線を巡らせる。どこにどんなジャンルが並んでいるのかも分からないくらい、本に満たされているここは書斎だと説明された。

 書斎って、私のイメージではもっとこじんまりとした部屋だったんだけど。


「持ち出さなければ、この部屋にあるものはご自由にお読みいただいて構いません。アズファルド様は、こちらの書斎にはほとんどいらっしゃいませんので」

「ありがとうございます、ライラさん」

「リィナ様?」

「あ、ありがとう。ライラ」


 まだ慣れなくて頭を下げそうになった私に、ライラはにっこりと微笑んだ。この何日かで学んだのは、その笑い方をしたライラはまだ許してくれるということ。今まで見ていた、真顔に近い表情になるとお説教までのカウントダウンが始まる。

 ライラの態度が変わってから、他の侍女も変わっていった。初めの日々は何だったのかと思うくらいに劇的にではないけれど、少なくとも私の事を花嫁様と呼ぶことはなくなった。


「竜の花嫁に関しての書は、こちらにまとめてございます。ですが私達にはそれを読む権限はございません」

「ライラでも、ですか?」

「ええ。この離宮に一番長く勤めている私でも、です」


 そもそも、基本的にはこの書斎には鍵がかかっているから普段は人の出入りはないらしい。鍵はライラの管理下にあるから、興味を持った侍女がいたとしても、勝手に入ることは出来ない仕組みになっている。

 そうなるとアズファルド様も入れないけれど、そもそもアズファルド様が本を読むときに自分で探すことはしないらしい。侍女長が届けるようになっているけれど、ライラがその立場になってからアズファルド様に頼まれたことはないそうだ。


「アズファルド様より、花嫁が望んだ場合のみ案内せよと仰せつかっております」

「分かりました。お昼になったら一度切り上げるので、呼びに来てくれる?」

「……畏まりました」


 かちゃり、と扉が控えめに閉められれば、すぐに静かな空気が流れる。古い紙とインクの香りに包まれるのは初めてなのに嫌いではないと思ったし、懐かしささえ感じている。村の私の家は薬屋をやっていたから他の人よりも本はあると思っていたけど、ここまでの本に囲まれるという経験はしたことないはずなのに。


「こんなにたくさん、集めるのにどれだけ時間かかったんだろ」


 望めば案内をしてくれる、ということはアズファルド様は花嫁が知識をつけることを嫌ってはいないのだろう。単純に暇つぶしのためだと理由をつけるには、この書斎は広すぎる。

 パッと見たところ、集まっている本はとりあえず並べてある、という感じだ。ライラからここにまとめてあると言われなかったら、目的の本を探すだけで一日が終わってしまいそう。


「さて、探しますか」


 せっかく時間を作ってくれたのだから無駄にしたくないと思うのは本当だ。けれどそれ以上にこれほどまでの本に囲まれている状況に、ワクワクする気持ちが抑えられそうにない。

 もちろん、一番の目的は竜の花嫁についてだ。忘れないように、忘れないようにと思いながらも目の前の本の世界に没頭する。ちょうどいい座り心地のソファを見つけ、サイドテーブルに持ってきた本を積む。

 お昼の時間はとうに過ぎ、そろそろ日も落ちるという頃合いになって、見つけた古い本。


 随分と年季の入った本に示されていたのは、かつて竜と人とが共にあった時代の話。強大な力をもつがゆえに、竜は常に孤独と暴走に蝕まれる種族だった。人の姿を取っても、頭にある角は異形の者に見えて恐怖を抱かせる。過去には、自ら角を切り落とした竜もいると伝えられるほど、人に添おうとした優しい種族。


 そんな彼らを地に繋ぎ、心を結んで共にあろうとする存在として“花嫁”が生まれた。

 それは、政略ではなく、かの存在を心から慈しんだからこその魔術。力を安定させ、魂に安らぎを与えるための絆のような契約。

 その契約を続けるために、花嫁は存在している。守護竜アズファルド様に守ってもらっているこの国にとっては必要不可欠な制度だ。アズファルド様にとっても、力を安定させるためにこの制度は役に立っている、のだと思う。

 過去には女性だけでなく男性だっていたそうだ。それでも等しく呼び名は花嫁なのはどうかと思う。花婿、だってよくないか。アズファルド様が男性だから、女性の方が多かったみたいだけど。


「竜の花嫁は、名前だけの存在ではない……か」


 もし、これに書いてあることが本当なら、契約のための話だってしないといけないはず。

 なのに、どうしてアズファルド様は私を形式的な花嫁としか扱わないのだろうか。




 夜。昼食を軽めに済ませたこともあり、夕食はしっかりとしたメニューを出された。厨房の者が心配している、と言われれば完食しないわけにはいかない。それから、ライラを説き伏せてあと一冊だけと書斎に寄らせてもらった。


 書斎と呼ぶにはやはり大きすぎる部屋の窓を雨粒が叩く。時折、雲の合間に光を走らせる雷鳴が、これから天気が荒れると告げている。

 今日はここまでだな。最後まで読めなかったのは名残惜しいけれど、これ以上書斎に留まっていたら侍女が迎えにやって来るだろう。ライラからのお説教も、セットで。


 そういえばこの離宮に来てから、ここまで天気が崩れたのは初めてだ。マリナは雷を怖がっていたから、こんな夜には必ず私の家で一緒に寝ていた。そう長い時間が経ったわけではないのに懐かしい、そう思うのは離宮に来てからの生活が驚くようなことばかりだからだろうか。


「あ、しまった。こっちじゃなかった」


 ぼんやり歩いていたら、曲がるところを一つ間違えてしまった。これだと、あの広間の前を通らないといけないから遠回りになるというのに。

 戻るにしても、ここまで来てしまったら結局は一緒くらいの距離になる。そのまままっすぐ歩いて広間の前を抜けて行こう。

 そうしてやって来た広間。いつもは閉まっている扉が、少しだけ――それこそ、人ひとりが通れるくらい開いている。

 薄暗いその先で銀の光を放つ存在など、あの人しか思い当たらない。


 ぽつんと立つアズファルド様は、暗い雲に覆われた夜のわずかな光のなかでも美しく見える。

 じっと何かを見つめるその先、そこにあるのは竜をかたどっただろうレリーフ。それに腕を伸ばすアズファルド様の手の中にあるのは、わずかな光を集めているなにか。


「あれは……?」


 思わず漏れた声に反応して、アズファルド様が勢いよく振り返った。その様子は、まるで今まで私に気づいていなかったかのようで。


「覗き見とは、ずいぶんと良い趣味だな」

「す、すみません……」


 怒っているように吐き捨てられたけど、そこに込められている感情は別。今なら、顔合わせ以降一度も言葉を交わしていないアズファルド様と、話すことが出来る。

 ただの直感だ。ダメだったら、そのまま自室に帰ればいい。思いのままに、私は疑問を口にした。


「あの、それって……」

「象徴だ。かつての“花嫁”が身に付けていた、な」


 金の瞳が私から広間の奥へと向けられる。パタ、パタと雨の落ちる音だけが響く空間。

 アズファルド様の瞳に、私は映らない。かつての花嫁が身に付けていたという象徴は、アズファルド様の手の内に隠される。まるで、心の内を示すかのように。


「竜の生は、長い。人のそれなど比べものにならぬほど。どれほど想いを結ぼうとも、離れる時は必ずやってくる。繰り返すことには、もう疲れた」


 その声は静かだった。

 けれど、そこには確かな痛みがある。


 それきり何も言えず、銀の輝きが広間の奥へ消えていくのをただ見送り、私も自室へ帰った。正直、どのようにして戻ったのかは覚えていない。


 その夜は眠れなかった。

 段々と小さくなる雨音が聞こえなくなっても、私の耳には広間で聞いた雨の音と、アズファルド様の声がずっと残っていた。




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