27.未来を託す声
「ここだな」
「……今更ですが、国王陛下に話を通してくれて、ありがとうございます」
私達は、またあの大きな扉の前にいる。この前と違うのは、そこに案内役の国王陛下がいないこと。
王城の最奥にあるこの部屋に、正式な竜の花嫁になったとはいえ私が言ったところで入る許可は簡単には下りないだろう。そう思っていたのに、今朝の謁見が出来る時間になってすぐアズファルド様は、奥に踏み入る許可をもらってきてくれた。
「その様子だと、忘れていたな?」
「うっ……! その通りです。あの時は連れてきてもらっただけだったし」
からかうように笑うアズファルド様に、返す言葉がない私は頭を下げる。言い訳にしかならないけれど、あの時は国王陛下についていっただけだから道順だって分からなかった。
扉をくぐって、部屋の中を見る。あの時は薄い光のベールが神秘的だと思ったけれど、今はどんよりしたように見えるのは、私の気持ちの違いだろうか。
「この程度、構わない。それより、どうして俺と一緒にここに来たかったんだ?」
「エルセリア様の魔力を、確認したくて」
「魔力?」
こてん、と小さく首を傾げるアズファルド様の仕草は愛らしい。そういえば、あの部屋に入ってすぐ急襲の伝令があって、国王陛下とアズファルド様は儀式の始まりを見ることなく出て行ったのだった。
私が何を言いたいのかにピンとくるものはなさそうだけれど、アズファルド様は魔力を感じ取ることが出来る。
部屋の中央に置かれた水晶に吸い寄せられるように近づいて行ったアズファルド様は、そっと手を置いた。大切なものに触れるようにも、触ることを恐れているかのようにも見える手つきで。
「アズファルド様、あの時ここで何があったか、見てはないですよね」
「あ、ああ。俺は国王と一緒にルーセに向かうため出て行ったからな。後からリィナの話は聞いて理解はしたと思っているが、何かあったのか?」
「水晶を見れば、たぶん分かると思います。アズファルド様だったら」
そうして私も水晶に手を添える。少しは使いこなせるようになった魔力を水晶に流し、自分の意識のさらに奥に呼びかける。
目的は、アズファルド様とエルセリア様を会わせること。だから、私の中にいるはずのエルセリア様を呼び出せるようにと願いながら、魔力を籠めた。
視界が真っ白に染まったと思った次の瞬間には、あの儀式のときにいた場所に立っていた。
上手くいったことにほっと息を吐くと、隣にいたアズファルド様から短く息をのむ音が聞こえた。私はぎゅっとこぶしを握る。ここで、いろんな気持ちにしっかりとした区切りをつけるんだ。また、不安に駆られて変な考えが頭の中を巡ることなどないように。
そこには、エルセリア様が立っていた。
「……エルセリア」
「アズファルド」
ふわふわの髪を揺らして歩くエルセリア様を見て、アズファルド様は動けないでいた。掠れた声で呼ぶ名前は、もうずっと本人に届くはずはなかったもの。
それを受け止めたエルセリア様は、巫女の呼び名にふさわしい綺麗な笑顔を作った。
アズファルド様とエルセリア様の距離が、縮まっていく。そうして、お互い一歩踏み出せば肩が触れ合う距離で向き合って止まった。
「そんな顔して、情けない!」
「!?」
ちょっと待って欲しい。腰に手を当ててアズファルド様に雷を落としたエルセリア様なんて、私の想像になかった。
それはアズファルド様も同じだったみたいで、切なそうに細められていた瞳が、びっくりして見開いているじゃないか。まんまるのお月様のようだな、なんて現実逃避をしている間にも、エルセリア様の怒号は止まらない。
「私が死んでどれだけ経ってると思ってるの! 未練たらたらでリィナが不安に思っているのに気付かないなんて!
自分の花嫁でしょ! 指輪を贈ったんだったら守りなさいよ!」
「っ……! な……いや、俺は……」
エルセリア様の指にだって、鈍く光る輝きはあるのに。私がどうして指輪をしていることを知っているのかとか、そもそもどうしてエルセリア様が今の状況を知っているのかとか、おそらくアズファルド様の頭の中にはたくさんの疑問が浮かんでいるのだろう。
単純に、エルセリア様に詰め寄られて言葉が出てこないだけなのかもしれないけれど。
「いいこと? あなたが私を大事にしてくれていたことは、分かってる。目の前で死んだことで傷つけてしまったのは、本当に申し訳ないと思っているわ」
一気にトーンダウンした声、アズファルド様を見る私と同じ色の瞳に寂しさとか申し訳なさとかが混じった感情が浮かんでいる。
横にいる私がそう思うのだから、真正面から受け止めているアズファルド様はもちろん、読み取っているだろう。
声をかけようと口を開いた瞬間、落ち着いたと思った怒号が再び響き渡った。
「だけどね! それと今、生きて目の前にいる人を大切にしないのは話が違う!
リィナは、あなたを信じて、愛して、傍にいたいと願っているの。それなのに、当のあんたが過去の私を守り続けて、リィナを傷つけ続けていくつもり?」
ビシッと指をさしたエルセリア様の気迫に負けて口を閉ざしてしまったけれど、アズファルド様は明らかに気落ちしている。あるはずないのに、黒い角がしょんぼりとまるで犬の耳のように垂れ下がっている幻覚を見てしまうくらいには、アズファルド様が落ち込んでいるのだと分かる。
区切りをつけて欲しいとは思ってこの場に来てもらったけれど、こう言うのは語弊があるかもしれないが、あまりにも可哀そうだ。
「あの……エルセリア様」
「リィナ。ごめんなさいね。あなたには、私の魂だけでなく厄介な感情の処理まで継がせてしまった」
くるりと私の方を見たエルセリア様は、本当に申し訳ないという顔をしていた。ハッとしたアズファルド様が私の方を見たけれど、エルセリア様はそれに気づかなかったように私だけを見ている。
ちらりと視線が向いたから、気づいていないはずはないんだけど。そしていつものアズファルド様だったら、その様子に気づかないはずがないんだけど。
「厄介だなんて、思いません。私は竜の花嫁に選ばれたから、人を愛するという気持ちを学ぶことが出来ました」
「いいのよ。正直に言いなさいな。これが、きっと最後の機会よ」
「最後って……」
最後、その言葉に反応したアズファルド様は呆然としている。私はこの前聞いていたから、さほど衝撃を受けていない。けれど、まだ大丈夫かなと思っていたのにもうその時が来てしまったのかという気持ちは、ある。
エルセリア様が作り上げた魔術。自分が残した魔力だって、おそらく把握しているのだろう。だから、最後だと言った。最後なんだから、言いたいことは言いなさいと教えてくれた。
「リィナには言ったけれど、私がこの水晶に溜めた魔力はもう残りが少ないの。だから、次の花嫁の選定は、リィナにお願いしないとね」
「そんな、エルセリア……!」
「しょぼくれた顔をしないのよ。私とあなたには、たくさんの思い出が残っている。そしてこれからは、リィナとの思い出を増やしていくの。私との記憶はなくすわけじゃない。仕舞っておくだけよ」
そして、最後なんだから私の事を追うのは止めなさいとアズファルド様に言ったエルセリア様。それは、私だったらたぶん言えない。自分はもう過去なのだと笑って言えるエルセリア様は、強い人だ。
エルセリア様からの最後の叱咤、それを受けたアズファルド様の表情が変わった。
「……ありがとう。なんだか、目が覚めた気がする」
「やっと言ったわね。その顔でこそ、私の大事な竜よ。アズファルド」
ずっと空けていた一歩の距離が縮まった。エルセリア様が抱き寄せた肩に力を込めている様子のアズファルド様は、一瞬だけ私に視線を向けた。
これが、本当に最後の別れ。だったら、後悔など残しようのないくらいに綺麗な別れ方をして欲しい。
だってそれは、私が望んでいた気持ちに区切りをつけることに繋がるから。
「あなたになら、未来を託せる。私の役目はここまでよ。今まで、愛してくれてありがとう」
ふっと、エルセリア様の姿が揺らぐ。魔力の終わりが来ているのだろう。私が魔力を籠めたところで、エルセリア様の姿を保つことは出来ない。言われずともそう感じたのは、私の中に流れるエルセリア様の血のおかげなのだろうか。
竜語の巫女、エルセリア様。その名前を残す彼女は、少女のように愛らしく笑って風に溶けるようにして、光の中に消えていった。
「行っちゃいましたね」
「……ああ」
ずっと小さく鼻を鳴らしたアズファルド様は、光の消えていった方向を見上げている。部屋の水晶は、入ってきた時と同じにしか見えないけれど、エルセリア様が籠めた魔力が残っていないと分かった。そして、これから私がその役目を引き継ぐのだということも。
「この前と、印象が違いすぎてちょっとびっくりしました。あれが、エルセリア様の素ですか」
「リィナと話した時はどうだか知らないが、俺の前ではあれが普通だ」
「そうですか。……ちょっとだけ、羨ましいなあ」
だいぶ声量を落としたけれど、隣にいるアズファルド様には聞こえていたようだ。顔を見なくても疑問に思っているというのが分かったので、私は小さく笑って続けた。
「ああやって、アズファルド様と対等に話せる姿がいいなあって思います」
今の関係が嫌というわけではない。最初に比べたらかなり楽に接しているし、気楽な会話もできる。心地よいと思えるような距離感でいてくれると思っている。
ただ、私はエルセリア様みたいな会話の仕方を、アズファルド様とはしたことがない。だから、憧れのような気持ちを抱いてしまったのだ。
「別に、リィナも自分の好きに接したらいい。俺はどんな話し方でも構わない」
「じゃあ、ちょっと失礼して……」
アズファルド様がいいと言ったからといって、はいそうですかと話し方を変えることが出来るほど、私は器用ではない。
けれど、エルセリア様と別れたアズファルド様の表情を見てやりたいと体の底から湧き上がった衝動に従おう、と思った。
それはもしかしたら、私の中にあるエルセリア様の魂が望んだ事なのかもしれないけれど。
「よしよし、アズファルド様。ここには誰もいません。だから、泣いていいんです。大切な人と、お別れしたんですから」
「リィナ、俺はそんなに子供では……」
「大人も子供も、長生きしていようと関係ありません。大事な人を失くした時の痛みは、誰だって同じです」
私よりも長く長く生きるアズファルド様は、たくさんの別れを経験している。もしかしたら、こうしてくれた人は、他にいたかもしれない。
けれど、エルセリア様が亡くなってから人と距離を取っていたアズファルド様だから。
抱き寄せてぽんぽんと頭をなでて、人のぬくもりはまだそこにあるのだと、感じられた機会は少なかったはずだ。
「たくさん泣いてすっきりしたら、明日から元気になればいいんです。
だから、今は泣きましょう――アズファルド」
小さな嗚咽と肩を濡らす冷たさは、私だけが知っていればいい。




