24.静かに始まる季節
あれからしばらく、私たちの周りは騒がしかった。隣国デルマリスの侵攻はアズファルド様のおかげで、かなり早く鎮圧できた。だからといって被害がまるでなかったわけではない。
今回攻め込まれた国境のルーセとその周辺には、日常生活が送れないくらいの影響があったのだから。
その後始末をするためにアズファルド様が呼び出されたり、物資を運ぶのを手伝ったりと離宮に帰って来たのにゆっくりする間もない日々が続いていた。
そんななかで竜の花嫁を正式に任命すると言われて、私とアズファルド様は王城を訪れていた。
「……案外、すぐに終わりましたね」
「今更だからな」
確かに一度、私は竜の花嫁としてパーティーでのお披露目を済ませている。だから正式に、と言われたときにあの規模のパーティーをもう一度やるなんて考えられなくて、簡単で手短にとは伝えていた。
「それにしても、相変わらず欲のない」
タイミングが、良かったのだと思う。王城にいたのは儀式のためであって、まさかデルマリスが攻めてくると予見していたわけではない。アズファルド様だってすぐに動けたのは、知らせを国王陛下と共に聞いたから。
それなのに、国を救った褒美、なんて言われるなんて思ってもいなかった。
国王陛下からも王妃様からも、体裁を考えてもらって欲しいと言ってくれたけれど、どうしても欲しいというものは思い浮かばなかった。
「これ以上何かを望むなんて、考えられないんですよ。今が幸せだから」
「それは、俺も同じだ」
そう思えたのは、これでもう私の事を花嫁として認めないという声は上がらないだろうという安心感もある。
エルセリア様と混ざり合った私の記憶、そのなかには貴族の遠回しな嫌味にも対抗できる程度の知識があったりする。
エルセリア様、苦労したんだろうなあという思いでいっぱいだけれど、ありがたく使わせていただこう。
たぶん、それを見越して記憶を残してくれたのだろうから。他にも宿題のように残されていたものはあるけれど。
「じゃあ、帰るか」
「はいっ!」
隣にある離宮に帰るのに、そんなに時間はかからない。けれど、私達は今までの空白を埋めるかのようにゆっくりと歩き、他愛のない話をしながら時間をかけて帰った。
その間、ずっとアズファルド様が握っていてくれた手はあたたかくて、包まれているところから伝わる力強さが私に安心をくれた。
「……寝れないのか」
ようやく区切りがついた、というアズファルド様の言葉に緊張を解いた使用人たちは、思い思いに無事を祝ってくれた。
ルーセに食材を持って行ったからそこまで離宮の物資にだって余裕があるわけではないのに、料理人たちは出来る限りの工夫を凝らして食事を用意してくれた。
侍女たちは暇があると嫌な事を考えてしまうというライラの言い分に則り、離宮の隅から隅まで磨き上げていたらしい。床が私の顔を反射するくらいピカピカに輝いていたのだから、相当のめりこんでいたのだろう。心配をかけてしまっていたことは申し訳なく思ったけれど、それ以上に必ず帰ってくるのだと信じていてくれたことが嬉しかった。
まさか、イザベラがドレスを一着作り上げるくらい裁縫に熱中していたとは思わなかったけれど。
公爵令嬢として、竜の花嫁として叩き込まれて努力していた彼女の結晶は、私の部屋のトルソーに飾られている。袖を通してしまうのがもったいないくらいの出来なのだ。
そんなみんなの興奮に当てられたのか、いつもだったらベッドにいる時間になっても一向に眠気はやって来なくて、部屋のバルコニーから空を見ていた。
ふわりとした風を感じて振り向いてみれば、湯上りなのか少しばかり頬が赤いアズファルド様が立っていた。
何度かノックをしたけれど、返事も反応もないから心配になって覗いたらしい。気づかないほどにぼんやりしていたのは、この離宮が私の家だという感覚のせいだろう。
「いえ。月が、きれいだなあって」
「……そうか」
返事は短い。けれど、そのなかに安心した響きがあるのは、私が返事をしなかったからだ。小さく謝った私に緩く首を振ったアズファルド様は、そっと隣にやってきた。やっぱり湯上りだったようで、ほのかな石鹸の香りが届く。少しだけしっとりした肌と密着したところから、熱が移っていくようにじわりとした感覚がやって来る。
熱を帯びていく私の体を、風が冷ましてくれる。三回ほど吹いた風が収まってから、どうして私が空を見ているのかを伝えるべく、アズファルド様の腕をちょっとだけつついた。
「これで一区切りついたのかなと考えていたんですけど、ここからが始まりなのかなあとも思って。
魔力とか、やってみたいことが増えましたので……」
そう、エルセリア様の血を継いでいるからなのかもしれないけれど、私には魔力というものがあるらしい。細かく言うならば、今を生きている私達の誰でも魔力はあるそうなんだけど。
使えるようになると便利だとエルセリア様の記憶が囁くものだから、これを機にしっかりと学んでみようと思ったのだ。今回みたいなことが、再びないとは言い切れないのだから。
離れた場所にいても、アズファルド様と意思疎通が出来るようになるというエサもしっかりぶら下がっているけれど。
「リィナ。お前がここに来たあの日、俺は誰でも良かったと思っていた」
突然の告白は、私の胸をドキリとさせた。あの頃のアズファルド様は確かにそう思っていただろう。むしろ、拒んでいるのに送られてくる花嫁に嫌気がさしていたのかもしれない。
けれど、今はそう思っていないというのは表情を見ればすぐにわかる。空に輝く月よりも濃い金色の瞳は、熱を帯びて私を見つめている。
その瞳が映す感情を、今の私はなんと呼べばいいのかを知っている。
「でも、今は違う。お前じゃなかったら俺は……今でもエルセリアのいる過去にいた。こんな風に月を見て穏やかな気持ちになってなど、いなかった」
「ありがとうございます、アズファルド様。私も、選ばれたのがあなたの花嫁でよかった」
それから、私達はいろんなことを話した。
竜と花嫁ではなく、アズファルド様とリィナとして。中庭で話していた時も思っていたけれど、アズファルド様は人と関わっている時間を大切にしている。
私の言葉ひとつひとつを聞き洩らさないように、耳を傾けてくれるその姿がとても愛おしく思えて、あれこれと話してしまったけれど、アズファルド様はそのどれもをちゃんとに聞いてくれた。
どのくらいそうしていたのだろうか、気が付いた時には部屋の中にいて私はしっかりとした腕に包まれていた。
チチチ、と小さく鳴く鳥の声が夜が明けたのだと知らせている。もぞりと体を動かしてみたけれど、腕はがっちりと私の体を抱きしめていて抜けられそうにない。
おそるおそる視線を上に向けると、至近距離にアズファルド様の顔があった。思わず声を上げそうになったのを、必死で留める。
すうすうと規則正しい呼吸の音が、アズファルド様はまだ夢の中なのだと教えてくれる。伏せられたまつ毛は顔に影を落としそうなくらい長いのが、正直うらやましい。
「いや、全部がうらやましいか……」
「なにが、うらやましいんだ?」
クツクツと口の中で笑うアズファルド様の目は、ぱっちり開いている。昨日の月のような瞳はきゅっと細められて、私を見ている。
「いつから、起きてたんですか!」
「お前が目を覚ましてからだ。まったく、昨日はあれほど離さなかったのになあ」
「えぇ!?」
記憶にないけれど、どうやら私はたくさん話して満足したら、勝手に寝落ちしたらしい。しかも、アズファルド様の服をぎゅっと掴んで離さないまま。
このままだと風邪を引いてしまうからとベッドに移動させてくれたのに、私の手は緩まることもなかったそうで、仕方なしに共に寝ていたというわけだそうだ。
「花嫁のかわいい顔を見れたんだ。役得というものだろう」
「どうしてそんな言葉を知っているんですか、アズファルド様ってば!」
「長く生きているのだ、俗な言葉だって知らぬはずがなかろう」
「普段はそんな言葉使わないのに!」
朝ごはんの用意が出来たとライラが部屋に来てくれるまで、私達はこうやって言い合っていた。もちろん、笑顔で。
そして今日もこんな日常がやってくる。
願わくば、どうかこの生活が長く続きますように。それが私の願い事。




