13.踏み出す一歩
「三日間、ここで過ごすようにって言われても……」
国王しか方法を知らない、竜の花嫁の選定が間違っていたとあれば、それは王の信頼が揺らぐことにも繋がってしまうそうだ。
だから、もう一度確認するため、それからイザベラ様の言っていることが本当かどうかを調べるために三日間、という猶予が生まれた。
そう、猶予とはっきり言われたのだ。イザベラ様に。まるでこのあと、私が竜の花嫁でなくなることが決まっているかのように。
「連絡が取れるのは、明日の朝から。それまでに、この状況をどう伝えるかをまとめておかないと」
王城の一室、貴賓室というらしいここは、三日過ごすなら十分なほどに整っている。今夜どころか、これからお呼びがかかるまでこの部屋から私が出ることは叶わない。
離宮には王城の使者から状況を伝えるし、私からも手紙を書くことを許された。
ただしそれは王の判断の邪魔になるようなことを起こさないために、城の文官様の確認が入ってから届くそうだ。
「イザベラ様、何を書くんだろ。これ以上、何か言われるようなことにならないといいけど」
告発した側、になるイザベラ様が私と同じ条件で城に留まることに思うことはあったような表情をしていたけれど、それは王に向けずに表面的には素直に同意していた。
別室に案内される前、私が見たのは令嬢が浮かべるにしては歪んだ笑みだった。あれを見ただけで、イザベラ様が今回の話を仕組んだんだろうなって思えるくらいの。
手を出せないことに悩んでも仕方ない。ひとまずここは私にできることをやるべきだろう。それが、本当に竜の花嫁でなくなることに繋がるとしても。
「まず、私が疑われている“幻華の蜜”について」
手に入れるのが難しく、高級な食材だ。私が名前しか知らないその蜜は、とてもおいしいのだと料理人たちが話していた。
最近、料理人たちと食材の目利きについても話すようになったけれど、まだ全然分からない。薬草だったら自信はあるのに、今のところ離宮で出番が回ってきたことはない。
離宮に運ばれる食材に限ってないとは思っていても、何かあってからでは遅いのだ、と料理長が自分の目で確かめてからでないと料理には使われない。
その料理長の目をかいくぐって、アズファルド様に中毒性のある幻華の蜜を食べさせることなど、出来るのだろうか。
「……私は、無理だと思うけど」
アズファルド様を食堂で見る機会が増えたのはつい最近。それまでは料理の必要のない果物を厨房に並べておいたり、部屋に食事を運んだりしていたそうだから、悪意ある手が入り込むのは難しいはず。
果物に蜜をかけておいた、という線も私が見た限りはなかったし。そもそも、アズファルド様にだってその辺りの知識はあるはずだと思う。自分に害のある食材を口にするような、軽率な行動を取る方ではない。すごく慎重で、優しい方だから。
「侍女たちが見逃すとも、考えられないし。あの人たち、私よりもアズファルド様と長くいるんだから」
私に冷たい目を向けていた時期があるのは、“竜の花嫁”にふさわしくないと判断をしていたからだろうと思っている。
アズファルド様に対して怖いとか、不満とか。そういう話は一切聞かなかったから。
「と、なると……離宮に誰かが忍び込んだ?」
可能性はどれもある。けれど、一番無難というか思い当たるのはこれだ。
けれど。
「それを、どうやって伝えればいいんだろう」
手紙で、離宮に誰かが忍び込んだかもしれないなんて、形に残ることを書きたくない。どういう意図で私が書いたか、を説明できないかもしれないのだから。
かといってそれを匂わせるような書き方が出来るほどの表現を、私は持っていない。手紙を書こうと思ってペンを持ったのに、その先はインクに浸かることなくただ空をかく。
「信じて、くれるとは思うんだけど……」
やっていないと胸を張って言えるけど、不安がないとは言い切れない。ほんの少しの不安は、花嫁に相応しくないと言われた時から、ずっとある。
離宮に使者がやって来たあの時、アズファルド様が何かを言ってくれていたら、違ったんだろうけど。
「――! おい、ちょっと待てって!」
「誰の声……」
扉の前が騒がしくなったと思ったら、その音の主が文字通り転がり込んできた。ずいぶんと久しぶりに見た日に焼けた顔は、あの日、馬車に揺られていた時の気持ちを思い起こさせる。
あれだけ輝いていた金色がくすんで見えるのは、私の気のせいだろうか。
「あなたは……」
「竜の花嫁を騙っていたというのは、本当か! 村娘がずいぶんと大胆な真似をしてくれたものだ!」
部屋の前にいただろう騎士が止める間もなく飛び込んできた壮年の騎士は、机の上に広げてあった便箋を見るとそれを無造作に振り払った。
バサリと音を立てて何も書かれていない便箋が宙を舞う。それでも足りなかったと言わんばかりに、ペンや用意してくれた本、とにかく目についたものをどんどんと床に叩き落としていく。
もう一人の騎士は口では止めるように言いながらも、その行動を咎めない。つまりは、これが王城の騎士たちの本音、だと告げているのだろう。
結局、肩で息をし始めた壮年の騎士を宥めて出て行ったのは、部屋のものがあらかた散乱してから。止めようとも、思えなかった。不安が的中したような気持ちが、頭から足までを満たしてしまったように、私の体は動くことを拒否していたのだから。
「片付けよう……大丈夫、時間はあるんだから」
部屋の前にいた騎士は、この部屋のものに触れることは許可されていないと言ってから出て行った。私が一人で片付けるということを、壮年の騎士にも話してあるのだろう。あちこちを散らかしていったのは、もしかしたら私が離宮に連絡を取る時間を減らすためなのではないか。
「花嫁を、騙ったつもりなんてないのに……」
じわり、ずっと堪えていたものが出てきそうになってしゃがんでいた私は立ち上がる。このまま下を向いていたら、その流れのままに溢れてしまいそうだから。
しばらく上を向いて、感情の波が落ち着くのを待つ。ふう、と長く息を吐けば少し静まったような気がした。
よし、もう大丈夫。そう思って足を動かしたときにくしゃりと乾いた音が響いた。気を付けていたのに、いつの間にか散らばった紙を踏みつけてしまっていたみたいだ。
「良かった、破れていない……」
軽く払ってから両面を確認するためにペラリとめくると、走り書きの文字が見えた。何か書いてあった書類だろうかと焦って思わず手に力が入る。
そこに書いてある文字に目を走らせると、視界が揺れる。次に手が震え出して、今度こそ抑えきれなかった涙が零れ出した。
ずるりと力の抜けた体を机に預けるように、その場にずるずると座り込む。ダメだ。部屋の前には騎士がいる。大きな声を上げてはダメだ。ぎゅっと唇を噛んで、揺らぐ視界でもう一度、綺麗とは言えないその文字を見る。
『アズファルド様が、迎えに行く』
目をこすって見ても、間違いなくそう書いてある。あの騎士は私に怒りをぶつけに来たわけじゃなかった。信じていいのだと伝えるために、わざと悪役となってくれた。王城の誰もが私を疑っている状況を利用して、離宮の皆の意思を、アズファルド様の気持ちを伝えてくれたのだ。
「まずは、部屋を片付ける。それから食事に睡眠。やれることを考えるのはそれから」
マーサおばあも常々言っていたじゃないか。お腹が空いている時にはろくなことを考えないって。
花嫁として認められていないなら、この機会に認めてもらえばいい。選定の方法が違っていたとしても、今まで離宮で過ごした時間は嘘ではない。
今の私には、こうして自分が泥を被ってでも信じてくれている人たちがいる。きっと、手紙に何を書いても受け入れてくれる。そう信じられるだけの力が、あの一文にはある。
散らかった部屋を片付けるのは大変だったけれど、苦だとは思わなかった。監視の騎士が呆れるほど、綺麗に食事をいただいた私は、早々にベッドに潜る。
そうして、アズファルド様が王城にやって来たと告げられたのは、翌朝の食事が運ばれてきた時だった。




