12.静けさに響く声
アズファルド視点です。
王城の使者が花嫁――リィナを連れて行ってから、離宮には久方ぶりに静寂が満ちている。
侍女たちは表向き普段通りに仕事をしているが、あの娘がやって来てから感じていた柔らかな空気はまるでなく、表情も曇っている。与えられた仕事を、ただ淡々とこなし持ち場に戻る姿は、かつての姿と同じ。
庭に咲いている花は何も変わっていないはずなのに色褪せたように見え、あたたかな笑い声も、活気に満ちていた食事の席も、今はただの記憶。たった一晩しか、経ってないのに。
それだけあの娘がこの離宮に馴染んでいた、ということになるのだろう。私が、あれだけ距離を置こうとしていたにも関わらず、するりと風のように心の隙間に入り込んでいた花嫁。
「……馬鹿なことを」
そこまで考えた自分に言い聞かせるように、口に出して気持ちを落ち着かせるように、吐き出してはみたものの、吐息ほども軽くならずに終わった。
あの娘がいなくなった理由に、納得がいかないのもあるだろう。
後ほど国の王から説明があると言っていたが、私に何も言わずに一度定まった花嫁を覆すなど、今までにはなかったことだ。何かある。そう感じた私はただ場を見守ることを選んだ。
それなのに、使者に連れていかれるあの娘の表情が、今も焼き付いたかのようにずっと頭の隅にある。
形式的に、共に暮らしていた花嫁。そうして距離を置いていた私に無理に近付こうともせず、役目を果たすと口にしていた娘。その宣言通り、パーティーを終えてから私が近づいた分だけしか距離を詰めずに、適切な関係を探っていたように思う。
この娘とだったら、先を描けるかもしれない。そう考えていた矢先の出来事だったからだろうか。このように石を飲み込んだような重苦しさが胸を占めているのは。
「……アズファルド様」
「なんだ」
声をかけてきたのは、この離宮で一番長く勤めている侍女。あの娘の傍付きをしていたとあれば、言いたいことなど山とあるだろう。
真剣な顔をして入ってきた侍女の手は、震えていた。
「どうして王城の使者に何も言わなかったのかは、理解しているつもりです。リィナ様の情報を、何も与えないためでしょう?」
「……」
「私は、この離宮で一番長い使用人です。ある程度でしたら、主たるアズファルド様の考えを察することは出来るでしょう」
竜の棲む離宮の使用人はあこがれの職であるらしいが。私の機嫌を損ねたと辞める者は多い。私自身が何かを言った覚えなどはないのに、だ。
そのなかで今、目の前に立っている侍女は幼き頃よりこの離宮に出入りし、働ける年齢となってすぐに配属を希望した。
雑用から何から、全ての仕事なら一通り熟しているだろう。唯一、花嫁を受け入れて世話をすることだけが初めてだが。
特段、私からの指示がなくともこの離宮が恙なく維持できているのは、このように考え動いてくれる者がいるからなのだろう。
そのようなことでも、今まで考えようとすらしなかったのだ。
「ですが、あのお方は……リィナ様はそうではございません。使者に何も言わず、引き留めることもなかったアズファルド様を見て、リィナ様がどのように感じたと思われますか」
震えていた手に、一度だけ力が込められる。主である私に、このような意見をするのにどれだけの気持ちを握り締めてきたのだろうか。
あの時から見てこなかった、見ようともしなかった人の感情。それをまた知ろうと思わせてくれたのは、彼女だ。
自身の髪と同じ灰銀で作られた離宮に、鮮やかな色を再び灯してくれた存在。それが、手の中から失われようとしている。考えるまでもない。許せるはずもなかった。
「……王城に使いを出せ」
言葉をまとめるより先に、口が動く。ゆっくりと立ち上がり、それだけを侍女に告げた。
こちらから出向くことはほとんどなかったが、人の世界では訪れる前に一報を入れるのが常識なのだと聞いた覚えがある。昔の知識ゆえ今でも通ずるかは分らぬが、侍女の目に光が宿ったのを見る限り、おそらくこちらが不利になる行動でもないのだろう。
「私の花嫁を、連れ戻す」
この離宮に、あのあたたかな風を取り戻す。そして今度こそ、伝えねばならない。
今はもう、形式的な花嫁ではないのだと。
***
リィナが王城に連れて来られた夜、人払いがされた一角で静かに歩く女性の姿があった。
人目を気にしながら執務室に滑り込んだのは、イザベラ。これからどう動くかを、今のうちにプロンコールとすり合わせておく必要があると考えたからだ。
「お忙しい中、時間をいただき感謝いたしますわ。プロンコール大臣」
「構わんよ。何より、君と私の利害は一致している。今が好機……そうだろう?」
イザベラは貴族令嬢の手本となる微笑をたたえたまま、プロンコールから勧められた椅子に腰を下ろした。
礼儀を叩き込まれている彼女は微笑の仮面を取ることはないが、その瞳には隠し切れない感情が浮かんでいる。
対するプロンコールも他人を蹴落とし地位を得ようとする者たちのなかで、長く王城で立場を築いているという自負がある。老練な笑みを浮かべながら、手元の文章に目を通す。
「あの娘――リィナ・シーリスが花嫁に選定されたのは本当だ。だが、それを崩すことは出来る。
……民は、穢れを嫌うからな」
「ええ。だからこそ、あの子を引き摺り下ろせれば、私に花嫁の座が回ってくる。あなたは、その後どうなさるおつもりでいらっしゃいますの?」
「王が“竜の花嫁”として選んだ女が穢れていた。竜の怒りを鎮めるため、王は自ら玉座を退く。民意を操るなど、そう難しくもあるまい」
プロンコールの手元にあるのは、竜の花嫁の選定についての書類。アルセリオンの国王しか選ぶ手段を知らない、竜の花嫁。その選定が覆ることなど、今まであったことはない。
だが、その花嫁に何かしらのケチがついていると知った国の民たちがどう思うであろうか。プロンコールがまず狙うのは、そこだ。
竜の花嫁に興味のないプロンコールがイザベラと手を組んでいるのは、自らが求める玉座への道の途中にあるというだけの話。
「私は次期王位継承者の候補である、我が甥を支える立場にある。玉座は、手に入ったも同然だ」
「そして私が正式な竜の花嫁となり、あなたの背後で目を引き付ける。お互いに、必要な存在となりえるでしょう」
穢れのある花嫁の次に選ばれたとあれば、おのずと民の目は厳しくなるだろう。それは王とて同じ。
どれだけ血が薄くとも、王位継承者の候補に挙がっていることは間違いないプロンコールの甥は、厳しい民の目を黙らせるだけの力量を備えている。
花嫁になるイザベラにも厳しい目は向けられるだろうが、貴族令嬢としての教育を十二分に受けている彼女は、それを受け止めるだけの器を持っているだろう。ふさわしいと言わせるだけなら、いくらでも方法はある。
「今のうちに、リィナに花嫁はふさわしくないと思わせねばな。所詮は教育もない村娘。城内で孤立でもさせれば、勝手に潰れるだろう」
「竜と心を交わすための声を、あの子が持っているとも思えません。方法は、大臣にお任せいたしますわ」
竜語と呼ばれるそれは失われて久しく、操れる者は残っていない。竜の花嫁について学ぶためにイザベラが読んだどの本にも、同じ記載があった。
学ぶ中で、イザベラ自身も竜語を探そうとはしなかった。失われたものを探して徒労に終わるよりも、礼儀作法や花嫁選定の資格について学んだ方が有意義だと切り捨てたからだ。
貴族令嬢であるイザベラが探しても見つからなかったのに、国のはずれにある村娘が知っているなど、到底思えなかった。
「花嫁の立場に、玉座。手を取り合う同志がいれば、どちらも手に入る。そうだろう、イザベラ嬢?」
プロンコールの問いかけに、イザベラは優雅に一礼しながら微笑んだ。
もうひとつ、プロンコールには告げていない仕掛けのあるイザベラは、この勝負に負けるはずがないと信じている。
むしろ、勝負になるかどうかすら怪しいものだ。
彼女が仕掛けた花は、離宮のあちらこちらで咲き誇っているはずだ。
それはイザベラに勝利を運ぶと同時に、正しい竜の花嫁を祝福する香り。
離宮に新しい風を吹かせるために一役買った花の香りは、きっと自身が纏うにふさわしい芳しさだろう。




