11.揺らぐ足元
薄く光が入ってくる広間、そこにアズファルド様がいた。暗い時には分からなかった細かい装飾が良く見える。装飾のどれもが竜をモチーフにしているようで、まさしく守護竜のための場所なのだと知った。
「お待たせいたしました、アズファルド様」
「いや……呼び立てたのはこちらだ」
普段よりも低く、ゆったりした口調のアズファルド様はずっと何かを考えている様子だ。私が来たことを確認してから、ずっと視線は床に落とされている。
「まずは、今まですまなかった。お前は自らの意思で来たわけでないというのに」
「まあ、それは……その通りですね。けれど、アズファルド様に謝っていただくことじゃないと思います。だって、花嫁に選ばれたおかげで、私はあなたに会うことが出来た」
村での生活に、不満があったわけじゃない。あのままあそこで大人になって、穏やかに一生を終えたとしても、きっと私は満足した。だけど、知ってしまったのだ。
底冷えする瞳に射抜かれる恐怖、新しい物を知るたびに胸を満たす充足感、そして祈りが届いたときの嬉しさ。
私の中にこんなにも色を変える気持ちがあったなんて、村で生活していた時には知らなかった。
「……そうか。お前は強かったのだな」
「竜の花嫁は、強くないとふさわしくないでしょう?」
冗談のつもりだったその言葉は、意外にもアズファルド様に響いたようだ。眉間にしわを寄せて、緊張しているどころか不満があるようにしか見えない表情が、ふっと緩む。
促されて、アズファルド様がスッと差し出した手に乗っているものを見る。黒ずんでいるけれど、これは指輪だ。アズファルド様がつけるには、少し小さそうなサイズの。
「これを、見てくれ」
「指輪、ですよね? 随分と年季が入っているみたいですけど」
「花嫁の象徴。私はそう説明した。そして、これは始まり――“竜語の巫女”エルセリアに贈ったものだ」
「エルセリア、って……」
夢に出てきた女性、そしてこの離宮に来て読む本にたびたび出てくる名前。その名前が今、どのような意味で伝えられているのかを、私は本から学んでいる。
“竜語の巫女”エルセリア様。この国の守護竜、アズファルド様との契約の魔術を作り出した女性。
アズファルド様との関係は、書斎にあったどの本にも書いてはなかった。
アズファルド様の表情、それから花嫁の象徴である指輪。それが、どんな意味を持つのかを察せないほど、私は鈍感ではないつもりだ。
同じことを経験しているからだろうか。花嫁を必要以上に近付けなかった理由、それに思い当たってしまった。
「彼女は――」
「失礼いたします! アズファルド様!」
苦しい胸の内を吐き出すようにアズファルド様が口を開いたとき、広間のドアが無遠慮に開かれた。
先ほどまでのゆったりとした口調から一転、離宮の主たる堂々とした態度を見せるアズファルド様が、広間に飛び込んできた侍女を見る。
「そんなに急いでどうした」
「それが、いきなり王城からの使者という方がいらっしゃって……」
「失礼する。守護竜アズファルド様に至急お伝えしたく。おや、花嫁様もご一緒ですか。ならば話は早い」
紹介もなく広間に姿を見せたのは、ゴテゴテとした装飾を付けた上着を身に付けた壮年の男性。自身のあごに蓄えたひげを撫でつけながら私と、隣に立つアズファルド様をジロジロ見てくる。
私の事を花嫁、と呼んだのだからお披露目のパーティーにいたのかもしれない。私は見た覚えがないのだけれど。
「いったい、何の用だ。来客の予定は聞いておらぬ」
「アルセリオン国王陛下よりの勅令です。竜の花嫁について、再審を行うことになりました。つきましては、花嫁様の身元を一時的にこちらの離宮から王城へと移させていただきます」
男性の言葉の意味が、すぐには理解できなかった。どうして、という疑問が頭の中で巡っている間に、アズファルド様が男性に鋭い視線を向ける。
「再審、だと?」
「理由は後ほど、陛下より説明があるでしょう。さ、荷物をおまとめください」
「今すぐですか!?」
説明をする時間すら惜しい、そう言われているようだ。言葉を取り繕わないのだったら、とにかくもう早く離宮を出るように、と言いたいのだろう。
広間を追い出すようなしぐさを見せた男性に、思わず大きな声を出してしまった。
けれどそれは、男性の機嫌を損ねてしまったようだ。
「竜の花嫁は、国王陛下直々の命にも逆らえる身分だと?」
「そのようなつもりでは……!」
「ならば、準備を」
表面上は丁寧でも、私の事を今までのような花嫁として扱うつもりなどなさそうな男性。
ここで何を言っても無駄だろう。むしろ、男性の機嫌を損ねたことで今後に何か差支えが出るかもしれないと思わせるような態度だった。
ちらりと横目で様子を窺ったアズファルド様は、ただ男性を見据えている。その横顔は冷たく、先ほど少し緩んだ表情など夢のようだ。
少し前までの穏やかさは風に吹き飛ばされてしまったかのように、広間には冷たい空気が流れている。
「……分かりました。準備をします」
離宮を離れる。この場所にも、アズファルド様にだって、少しずつ馴染んできていると思っていたのに。王城はすぐ近くで歩いていくのにだって問題はないのに、馬車に乗り込むように告げられる。
その行動すべてが、信用されていないと思わされるには充分で。馬車の音がまるで、私に忍び寄る不安の足音のように感じられた。
***
アズファルド様が大切ななにかを話そうと決心してくれたのが、嬉しかった。
離宮の中庭で交わした、ささやかな会話。好きなものを徐々に教えてくれて、距離が近づいていることを実感していた。
けれどそれは、私が花嫁でなくなったらなくなってしまうものなのだろうか。
王城からの使者がやってきてから、離宮を離れるまで。アズファルド様は何も言わなかった。私を気遣う言葉はもちろん、文句すら。使者に対しても一言だって何かを発することはなかった。
このまま、花嫁が選び直されて、私がただの村娘に戻るのなら。あの姿が最後になるのは、少し悲しいと素直に思った。
そして今、私は王城の応接間に座っている。冷たく硬い椅子は、まるで私がここにいるべきでないと告げられているようで。
ほどなくして使者の方が扉を開き、深く礼をする。その後ろから応接間に入ってきたのは、使者よりももう少し歳を重ねているだろう男性。この場にいる誰よりも立派な布地を使った服を着ている男性、姿を拝見したことはないけれど、もしかしてこの方は。
「陛下、お時間をいただきましてありがとうございます」
いつの間に応接間に来ていたのか。金髪をきっちりとまとめ上げて、パーティーの華美な装いよりも実用性を重視したようなすっきりとしたドレスに身を包んだ、イザベラ様がそこにいた。
一瞬だけ私に向けられた瞳に、勝ち誇ったような色を確認した私の直感が、彼女がこの件に関わっているのは間違いないと告げている。
「本日は重大な報告がありまして、この場を設けさせていただきました。
お忙しい御身ですから、率直に申し上げます。離宮における、“幻華の蜜”の使用についてです」
そこで言葉を区切ったイザベラ様は、陛下に視線を向ける。一瞬で変わった空気を感じていないはずはないのに、陛下は続きを促すようにそっと小さく頷いた。
「ご存じの通り、“幻華の蜜”は竜にとって中毒性がございます。それを、竜の花嫁たる彼女が離宮で使用していた。
……これは、問題ではございませんこと?」
幻華の蜜は名前だけなら聞いたことがある。幻の華、という名の通りめったに見つからない花からとれる蜜で、その味は誰もが虜になると言われるほどに美味しいのだと。
私よりもアズファルド様を大事にしている離宮の侍女たちが、どれほどおいしい食材なのだとしても竜にとって毒になりえるようなものを使用するなんて、思えない。
「それは、本当に“幻華の蜜”だったんですか?」
「この場に及んで言い逃れでもするおつもりですの?
――陛下! 私は、エルフォード家は幼き頃より竜についてよく学んでおります。どうか、正しいご判断を」
イザベラ様の発言は、アズファルド様だけでない。あの離宮にいるすべての人を侮辱する発言だ。
けれど、今の私にはそれに反論できるだけの証拠がない。食材の購入リストを見た覚えだってないし、食事の時にどんな食材を使った料理なのかと説明だって聞いていない。
だから、もし本当に“幻華の蜜”が離宮で使われていて、アズファルド様に影響を及ぼすようであれば、この首は飛ぶだろう。
それでも、何もせずにただその時を待つなんて、出来るはずがない。
この応接間に来てからずっと、発言をせずに涼しい表情でイザベラ様の言葉を聞いていた国王陛下が、すっと立ち上がった。
「では、私の判断を伝えよう」




