1.花嫁の名は告げられた
「……お願いだ、エルセリア……」
あ、またこの夢だ。最近よく見る夢。シチュエーションは違っても、出てくるのはいつも同じ二人。今日は銀色の長い髪を持つ男の人に見守られるように、ベッドで女の人が眠っている。
今までと違うのは、初めて音がついた事。ずっと無音だった映像に音がついた事によって、夢の中の世界が広がっていく。
「いかないでくれ……!」
目覚める直前に聞こえたその声が、起きてからもずっと耳に残っている。村の男の人たちよりも低いその声は、きゅっと私の胸を締めつける。
おかげで今朝の目覚めはよくなかったし、薬草を集めている間にもその声の事を考えてしまって、手の動きが鈍い自覚はあった。
私が薬草採りに集中していないと気づいたのだろう。マリナがてきぱきと今日の分を集めて、早めに切り上げようとカゴを背負った。
「なあにリィナ、また変な夢を見たの?」
私の薬屋を手伝ってくれているマリナは、幼い頃から一緒に育った親友だ。からかっているようにも聞こえるけれど、心配してくれていると理解できるくらいずっと一緒。私たちの間に隠し事はなし。
だから、今朝の夢の話だってもう何度も相談している。
「うん。……今日はね。男の人の声が聞こえたの。村の誰よりも低くて、なのに懐かしいと思える声。私を、“エルセリア”って呼んでて」
「エル……? 誰それ? 村にはいないよねえ?」
「いない、と思う。でもね、あの声を聞いてから、ここが苦しいの」
ここ、と指すのは自分の胸元。ケガをしたような痛みじゃないけれど、なんだかざわざわとする。でもそれが何なのかは分からない。
原因はあの夢だというのだけは、はっきりと分かっているんだけど。
そんなことを考えながらだったからか、山を下りる道がいつもよりも短く感じた。
まだ明るい時間だったからか、村に戻ればみんながあれこれと声をかけてくれる。両親を流行り病で亡くした私にとって、村の皆が親代わり。
「今日は早いねえ。あんまり薬草が見つからなかったのかい?」
「ううん。リィナが薬を作りたいって言ってて」
「そうかい。この村に薬屋はリィナちゃんのところだけだからねえ。助かるよ。マリナの手伝いにも感謝してるよ」
目元に皺を作ったマーサおばあは、私とマリナに木の実を練りこんだパンを渡すと、家に帰っていった。窓から煙が出ているから、作っている途中で私達を見かけて出てくれたのだろう。
渡されたパンはほんのりと温かかった。
「マリナ、ありがとね」
「いいのよ。あたしもたまにはのんびりしたかったし!」
「そういうことにしておきます」
村の人たちに余計な心配をかけたくないという私の気持ちを汲み取ってくれたのなんて、良く分かっている。マリナの優しさに甘えることにして、カゴを受け取ってから家に入る。自分のカゴと比べてみると、採った薬草の量が違いすぎて笑ってしまった。
これを見たらマリナが切り上げようといった理由が良く分かる。私は、マリナの半分も集められていなかったのだから。
「これじゃマリナが心配するわけだ。明日、またお礼言わないとなあ」
あの声の主は気になるけれど、気持ちを切り替えなければ。せっかくマリナが時間を作ってくれたんだから、言っていた通りに薬を調合しよう。
マーサおばあからもらったパンを食べてから、摘んできた薬草の仕分けをする。こっちは痛み止め用で、熱冷ましに使う分は向こうですり潰すように分けておく。村の皆は体が丈夫で、あまり使う機会はないから補充もそこまでしなくていいんだけど、万が一の時の命綱だ。医者は、山ひとつ越えた先にある町まで呼びに行かないといないから。
両親が間に合わなかったときのような気持ちになんて、もう二度となりたくない。
「んーっ! もう、こんな時間か……」
いつもだったら山を下りながら見る色、真っ赤な空はまるで炎のように鮮やかだ。窓を開ければさわさわとした風が私の髪を揺らす。栗色の髪は風に揺れるたびに、夕日を照らしてきらめいた。
「リィナ! 夜ごはん一緒に食べよ!」
「ありがとうマリナ!」
薬の調合を始めたら集中してしまう私の事を良く分かっているマリナは、区切りがついただろう時間で私を呼びに来てくれた。マリナの両親も温かくて、ついついお腹いっぱいになるまで食べてしまった。
幸せな気持ちでベッドに入り、また今日もあの夢を見るのだろうかと思いながら、眠りにつく。男の人の金色の瞳を、やけにはっきりと思い出したけれど、あれは夢だ。
そう思っていた。この時までは。
次の朝、私を夢から現実に引き戻したのはあの男の人の声でも金色の瞳でもなく、村の皆のざわめきだった。
静かで鳥の声がよく響く村なのに、寝起きの耳に聞こえてくるのは重い金属音と聞いたことのない声。様子を窺おうとベッドから降りた瞬間に飛び込んできたのは、自分の名前。
「リィナ・シーリス様を迎えに参った!」
久しぶりに聞いた自分の家名に、ピッと体が硬直する。次いでドンドンドン、と遠慮のない音でドアが叩かれた。
「リィナ、起きてるかい!?」
「村長! さっきの声って……」
「説明してる時間はない。いいから、おいで!」
せめて、と一枚羽織らせてもらったけれど、寝巻きのままで連れ出されたのは、知らない声の主のところ。
重々しい鎧の胸元には、金で施された竜の紋章がある。何を示すかなんて、この国の住人なら誰でも知っている。
「王都の騎士様が、こんな遠く離れた村に何の御用ですか」
隣の村長が倒れそうなくらい顔色を悪くしているが、指名されたのは私だ。しかも、こんな朝から。
村ではほとんど出番のない家名を呼んでくるうえに様付けをされているくらいだから、悪い扱いはされないはず。
寝起きの頭をフル回転させて挑んだけれど、どうやら上手くいったようだった。
「我らとご同行願いたい。貴女は、守護竜アズファルド様の花嫁として選ばれた」
その瞬間、すべての音がなくなった世界は、まるで夢のようだと思った。
新しい物語を始めました。
どうぞよろしくお願いいたします!