最終話 ここから、また
とうとう迎えた、誓約の儀――。
私は真白いドレスを着て礼拝堂の大扉をくぐると、隣を歩くデメトリオ王子と共に、まっすぐに女神像のもとへ歩みを進めた。
控えの間ではあれほど不機嫌だったデメトリオは、人々の前に姿を現したとたん、いつもの快活で人好きのする笑みを浮かて見せる。相変わらず世の趨勢を読み、外面を整える力だけは高いのだろう。
女神像の前に並び立つと、まず大神官が女神像に向かい、おごそかに祝詞を唱えた。そして口上を終えると振り向いて、まずデメトリオへと向かって言った。
「王の子デメトリオよ、汝は聖女ファウスティナを唯一の伴侶とし、永遠の愛を以て聖樹とこの国を守ることを誓うか?」
「はい、誓います」
いつもの自信に満ちあふれた顔で、デメトリオは一度もこちらへ目を向けることなく、堂々と言い放った。それに満足そうにうなずいて、次いで大神官は私の方へと向き直る。
「聖女ファウスティナよ、汝は王の子デメトリオを唯一の伴侶とし、永遠の愛を以て聖樹とこの国を守ることを誓うか?」
「いいえ、誓いません」
「なっ!?」
隣で、ようやくこちらを見る気配がする。しかし私は視線を大神官の方へ向けたまま、はっきりと口にした。
「女神アウラが全てを見せてくださいました。デメトリオ殿下は長くマルチェリーナ嬢と理無い仲であり、今後も縁を切る気がないだろう、と」
「なっ、お前は突然、何という下品なでまかせを言い出すのだ!!」
「わたくしは、デメトリオ殿下を唯一の伴侶として信頼することができません。このような状況で、どうして力を合わせて聖樹を守ることなどできるでしょう」
その言葉を聞いた大神官はその高齢を忘れさせる大声で、参列する貴族たちに向かって言った。
「今の話は、本当か!?」
だが貴族たちは互いに目を見合わせるだけで、気まずそうに黙っている。するとしびれを切らしたように、最前列から王妃が声を上げた。
「そもそも、子爵の娘ごときを聖女だなんだと持ち上げて、神殿は増長させすぎであろう! この国の王太子に対して信頼できぬなど、なんたる傲慢、なんたる無礼な物言いか! いくら聖女といえど、分際を弁えぬ者を王妃になど据えてはならぬ。ただ、聖樹だけを守っておればよい。このような古く形骸化した制度など、早う破棄してしまえ!」
「なんと、女神の娘たる聖女を蔑ろにするなどと、女神を侮辱するも同然! 女神の愛が離れて国が亡ぶを厭うなら、今すぐ王太子にはその女と縁を切らせ、女は国外へ嫁がせよ!」
こちらも激高を返す大神官に対して、私は静かに言った。
「いいえ、心から愛し合う二人を引き裂くなどと、慈愛あふれる女神アウラの本意ではございません。わたくしの伴侶に相応しいお方は別にいる、ただそれだけの話です」
「しかし、聖女と誓約を結ぶ相手は王、または王の子でなければ……!」
「王の子ならば、もう一人いるでしょう?」
「……まさか!」
そのとき、礼拝堂の入口の方で、ざわめきが起こった。待ち望んでいたその人は、約束通り私の方へとまっすぐに、だが堂々と歩みを進めた。
「フィデンツィオさま!」
私が心からの笑みをはじけさせると、彼はどこか困ったように、それでも確かに悠然と微笑みを返す。
「なっっ、なぜお前なんかがっ!」
不測の事態に、ただただ歯を剥くことしかできないデメトリオの肩をつかむと、彼はぐっと私の隣から押しのけた。
「どけ。聖女の伴侶は、お前などでは役者不足だ」
デメトリオは数歩後ろによろめき、たまらず尻餅をつく。悲鳴を上げて駆け寄ろうとした王妃を、神殿騎士が素早く取り押さえた。
私は盛装に身を包んだフィデンツィオ様にみとれながら、何事も使用人頼りの弟とは体幹の鍛え方が違うのだろうな、と、ぼんやりと筋肉構造についての講義を思い出していた。
彼はすっと隣に並び立つと、まだ惚けている私に揺れる瞳を向けた。
「どうした、やはり、やめたいか……?」
あたたかな燈火色の瞳に、寂しそうな影が差す。
「めっ、女神よ、我ら古の約定を守り、永遠なる誓いを捧げん!」
慌てて顔を向けて言うと、大神官も時機を逃さぬように姿勢を正して言った。
「王の子フィデンツィオよ、汝は聖女ファウスティナを唯一の伴侶とし、永遠の愛を以て聖樹とこの国を守ることを誓うか?」
「はい、誓います」
落ち着いて応える声を聞いて、私の心でいくつもの花がほころんだ。
「聖女ファウスティナよ、汝は王の子フィデンツィオを唯一の伴侶とし、永遠の愛を以て聖樹とこの国を守ることを誓うか?」
「はい、誓います!」
私が満面の笑みを向けて言うと、大神官は満足そうに目を細めてうなずいた。
「それでは、誓約の口づけを」
これから伴侶となる人の方へ向き直ると、私の両肩を大きな手のひらが包み込む。一瞬見つめ合った後に目を閉じると、触れるだけの口づけを交わした。
その瞬間――旧い大聖樹の根元に植樹された新しい聖樹の苗から、しゅるしゅると枝葉が伸び始めた。かと思うと、またたく間に枯れかけた大聖樹を新しい緑が包み、力強く幹を呑み込んでゆく。
私はドレスをつかんで女神像に一礼すると、もっと広い場所で変化する聖樹の姿を見たくて、鐘楼のある屋上へと急いだ。豪奢なドレスで梯子に上ろうと苦戦していると、夫となったばかりの人が先に上がり、私の手を引いてくれた。
すっかり痩せてしまっていた大聖樹を包み込むように、緑はみるみるうちに成長を続けてゆく。やがて無数の白い灯花が花開くたび、結界が淡い虹色の輝きを増した。
きらきらと、祝福の光の粒が降りてくる。私のまとう真っ白なドレスに光の粒がはじけ、大結界と同じ虹色にきらめいた。
礼拝堂前の広場に詰めかけていた人々から、どっと歓声が上がる。フィデンツィオ様の方へ目を向けると、彼はじっと、再生を続ける大聖樹を見つめていた。
私は彼にこっそり一歩近寄ると、さりげなく寄り添うように立つ。
「私、いまとっても幸せです」
そう横顔を見上げて笑いかけると、微かな笑みが返った。ためらいがちに伸ばされた腕が、そっと私の背を包む。
「ならば私は、その幸せを守ると誓おう」
今はまだ、誓約だけの間柄。
だけど、またここから共に紡いでゆこう。
――私は、とっても諦めが悪いのだ。
《了》
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