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【完結】聖女は死の円環を解く  作者: 干野ワニ
第五幕 愛される対価

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第30話 円環は解かれた

 ふと目が覚めると、快適な寝台に横たえられていた。

 飛び起きると、そこは実家にある自分の部屋だった。


 私は頭で考える前に立ち上がり、急いで寝間着を脱ぎ捨てる。慌てて現れた侍女に「すぐ出るわ!」とだけ言って、私は動きやすい服を着込んだ。


 庭の厩舎に駆け込むと、驚く馬丁(ばてい)を「父様の許可は得てるから!」と(本当は朝の挨拶すらしていないけど)丸め込み、私は馬に飛び乗った。


 この周回では鍛えていないお尻は最悪に痛いけど、三周目で馬術を学んだ経験値だけは残っている。


 旅一座の天幕(テント)は、王都を流れる川べりの低地に並んでいた。もし大水が来れば、一瞬で流されてしまうような場所だ。


 私は手頃な木に馬をつないで辺りを見回すと、ちょうど近くの天幕から出てきた人に心づけ(チップ)を渡し、リーネの所在を確かめる。私は礼を言って天幕の間を歩くと、ちょうど(とばり)を上げて出てきた金の巻き毛に目を留めた。


「いた、アンジェリーネ様!」


「アンジェリーネ? あたしはリーネだけど……」


 不審げな顔をするリーネに、私は声をひそめて言った。


「昨日、胸に聖痕が現れたでしょう」


「えっ、あたしまだ母さんにしか言ってないのに、なんで知ってるの!?」


「静かに。そのことを、絶対に誰にも知られてはなりません。ジェンティレスキ公爵が貴女を聖女にするために、貴女の大切な人達を奪いに来ます。だから、すぐにここから逃げて……!」


「公爵ってなに? なんかごめん、ぜんぜん話が見えないんだけど……」


 とうとう涙があふれた私を見て、リーネは困惑したように言う。


(だけど信じがたい話でもちゃんと聞こうとしてくれるのは、やっぱりあの(・・)アンジェリーネ様だ……)


 そういえば彼女は聖痕が現れるまで何も知らなかったらしいことを思い出し、私はリーネに彼女の母親を呼んでもらった。天幕の中から娘にそっくりの美しい顔をのぞかせた母親は、公爵の名を聞くや否や顔色を変え、私を中へ招き入れた。


 貴族だらけの神殿になんて行きたくないと言って躊躇(ちゅうちょ)している娘へ「実はあなたは公爵家のご落胤(らくいん)だから、聖痕があれば悪いようにはされないだろう」と伝え、女神に選ばれし者の義務をしっかり果たすよう、これから説得しようと考えていたところだったらしい。


「でもその公爵が娘の過去を消すために、その過去を知る人々を消しにくるの。お母様と、それに、貴女には大事な恋人や友人たちもいるんでしょう!?」


 私が鬼気迫る様子で状況の説明を続けると、リーネの母親は青い顔でため息をついた。


「実の娘ならばさすがにと思ったけれど……あの傲慢な男ならば、やりかねないわね。でもあなたはなぜ、そんなことを知ってるの?」


「それは……私にも、聖痕があるからです」


 私は黙って襟元を引き下げると、赤い聖痕を見せた。


「まさか、少しでも候補者(ライバル)を減らそうと思って……って、感じじゃないね」


 化粧もせず涙でぐしゃぐしゃになったままの私の顔を見て、リーネは笑った。


「うん。あたし、あんたを信じるよ」


 理不尽に壊されてしまう前の彼女が浮かべたのは、なんの屈託もない、素朴だけどきれいな笑顔だった。




 ――こうしてリーネは母親や恋人と共に王都を離れ、アンブロージオ子爵に縁のある田舎に身を隠すこととなった。


 リーネの恋人は、やはり私が聖女になりたくて出まかせを言っているんじゃないかと疑った。けれどリーネが「あなたとずっと一緒にいたいから」と言うと、恋人はすぐに首を縦に振った。


「でも一座を抜けて身を隠すなんて、あの座長に許してもらえるか……」


 そう心配するリーネの母親に、私は「絶対になんとかします」と約束し――。




 ――その次の、夜が明ける前。


 護衛を二人だけ連れた私が、夜闇に紛れて天幕を訪ねると……リーネたち三人にはそれほど私物はなかったようで、すでに小さな荷物をまとめ終えたところだった。


「ね、見てこれ。きれいでしょ?」


 小さな灯火に照らされて、リーネは襟元を引き下げる。聖痕のあった場所に、綺麗な赤いバラの花が咲いていた。


「ええ、とっても素敵!」


「ふふ、ありがと。彼が描いてくれたの」


 リーネの恋人は、一座の看板描きだったという。これまでの周回では悲しい痣を偽装していた染料は、今回は聖痕を美しく秘するために使われたらしい。


 私たちは灯火を消して外に出ると、そっと天幕が立ち並ぶ区域を抜ける。通りを渡り、大きな建物の角を曲がると、その陰にアンブロージオ子爵家の紋章入りの馬車が待っていた。


 下位といっても、我が家は貴族だ。いかに王都を守る城壁の扉が頑丈だろうと、夜間の通行が禁じられていようとも、この馬車が出ていくのを門衛に止められることはないだろう。


 荷物を積み終え、最後に自らも馬車に乗り込もうとするリーネに、私は勇気を出して声をかけた。


「あのっ、これを」


「なぁに?」


 振り向いた彼女に、私は焼き菓子が入った袋を差し出した。


「我ら二人、生まれし場所は違えども」


 月明かりの下で一瞬面食らった顔をして、すぐにリーネは破顔する。


「永遠の友誼を結ばんと、ここに誓おうっ!」


 そう応えて、彼女は包みを手に取った。


「あはは、貴族のお嬢さまも、大衆向けの流行詩なんて読んでるんだ!」


「ええ、大好きな作品よ!」


「そっか。時間があれば、あなたともう少し話をしてみたかったな」


「私も……リーネ、またね」


「うん、ありがとうティーナ。またね!」


 彼女は昨日伝えた愛称で私を呼ぶと、小さく手を振って馬車に乗り込んだ。間もなく馬車は動き出し、三人は新天地へと旅立って行ったのだった――。




 ――それから。


 私は違法な人身売買に手を染めていた一座の興行主を糾弾するための、証拠集めに奮闘した。リーネたち母娘から話を聞くうちに、彼女らを一座に縛り付けている負債が、法を犯すものであることに気づいたのだ。


 私は王宮に勤める父の伝手を通して興行主を告発。間もなくあの旅一座には、行政府による手入れが行われた。


 その結果、本物のジャンナを始めとした多くの者たちが、奴隷同然の扱いから解放されることになる。その中でも芝居を気に入っている者たちは新たな一座を組み、興行の旅を続けるらしい。だが残ったうち行き場のない者たちには、私は自ら新たな雇用先を探すために奔走した。もちろん奴隷扱いではなくて、きちんと給金が支払われる身分としてだ。


 私は、夢中で走り回った。もう二度と、悲劇を起こさないために。




 あるとき、以前より問題の多かったジェンティレスキ公爵が、とうとう破産したという噂を聞いた。選定の儀が始まるよりも随分と早かったのは、『聖女候補』という政治の駒を用意できなかったからだろうか。


 貴血派からも切り捨てられた彼は、とうとう爵位の返上を命じられた。かつての権力を失った男は今では抜け殻のようになり、王都を離れて隠遁生活を送っているのだという。




 こうして、あっという間に一年がすぎた――。



 * * *



 結局、候補者のうち最後の一名が不明のまま、聖女選定の日を迎えた。未婚の貴族の娘を全員調べても、誰にも聖痕がなかったためだ。ならば残りの聖痕の乙女は聖なる義務すら知らない平民なのだろうと結論づけられて、そこで捜索は打ち切られた。


 貴族たちにとって、平民なんて候補にいない方が好都合なのだ。


 六度目となる礼拝堂で女神像を見て、私は目をみはった。女神像の額に輝く赤い宝玉――それに、明らかなひびが入っている。


(宝玉は四大精霊を表す緑青橙紫の四つだけなのだと思っていたけれど……『女神の赤』を加えて、全部で五つあったのね)


 自分だけに見える「ひび」を見つめながら、私は心の中で女神像に語りかけた。


(私のような者に皆を救う機会をお与えくださり、本当に感謝いたします。でも、私はもう充分に働きましたよね。だから選定では手を抜きますが、どうぞお許しください)


 カルカテルラ侯爵家は大身(たいしん)だから、フランチェスカ嬢が聖女になれば王太子も大人しくせざるをえないだろう。そうすればアレッサンドラ嬢とマリネッタ嬢も望み通りに聖女補佐官となって実家を離れ、今度こそ皆が幸せになれるはずだ。


 ところが――いつものように苗木を選んだとたん、私の聖樹がしゅるしゅると急成長を始めた。間もなく灯花が、次々と蕾をつける。


 ざわめく神官たちを静めるように、礼拝堂に声が響いた。


「決まったようね」


 口を開いたのは、これまで挨拶の口上以外はずっと黙っていた聖女ルチア猊下だった。


「女神アウラはおっしゃいました。すでに円環は(ほど)かれ、選定の儀を終えた。次代の聖女はここに()る」


「そんな、伝統ある選定の儀を行う意義を軽んじるなど、女神アウラ様が望んでおられるとは思えませぬ! 何か狡猾(こうかつ)な仕掛けがあるのではございませんか!?」


 アッティリオ祭司長は抗議の声を上げたが、ルチア様は彼に一瞥(いちべつ)もくれずに歩き出す。そうして私の目の前に立つと、私の胸に右手をかざしながら言った。


祝福されし者(ファウスティナ)よ、今こそ聖女の証をその身に受けよ」


 左胸の聖痕が、灼けつくように熱を持つ。やがて女神に与えられた(きずあと)は、咲き誇る灯花の紋章に形を変えた。


 正直なところ、私はもう疲れ果てていた。早く家に帰って、平凡な日常を取り戻したかったのだ。


 でも私は逃げる機会を失い、次代の聖女に選ばれてしまったのだった――。



 * * *



 そこから先の数日は目まぐるしくて、あまり記憶がない。言われるがままに動いていると、とうとう王太子との事実上の婚姻式にあたる、誓約の儀へと向けた準備が始まった。誓約の儀を済ませたら、いよいよ私は聖女の座を正式に継ぐことになる。


 神殿内の一室で顔を合わせたデメトリオ王子は、今回も特にお変わりないようだった。二人きりになったとたんフンとひとつ鼻を鳴らして、あからさまに顔を歪めてみせる。


「お前は選定の儀の過程を経ずに聖女に選ばれたというが、下位貴族の娘が、一体どんな汚い手を使ったのだろうな」


 その言葉だけを残して、以降、彼が私の前に姿を見せることはなかった。とはいえ、こちらとしても会いたいとは全く思えないから、顔を見ずに済むのはありがたいことなのだけど。




 ――あれからひと月。今日の予定は婚約者であるデメトリオ王子が神殿に訪ねてきて、いずれ夫婦となる二人の絆をはぐくむ日であるはずだった。でももう、何度めのことだろうか。今回も当然のようにすっぽかされて、私は一人きりの部屋で、窓を開けて外を見た。


 紅く染まった大聖樹の葉が、ひらひらと地上へ舞い落ちてゆく。


 本来、大聖樹は聖女ひとりの力で守るものではない。聖女と王の子が伴侶(はんりょ)となって、共に力を合わせて守っていくものだ。でもデメトリオはあてにならないから、私一人でどうにか維持していかねばならない。


 私は、かつて一年足らずを過ごした辺境の地――イルネーロ領に想いを馳せた。あの地に住まう人々のためにも早く正式な聖女となって、大結界を修復しなければ。


(今の私が()のためにできることは、ただ、結界を守ることだけだから……)


 だが――葉の舞い散る道をゆく人の姿を見た刹那、私は声をかけていた。


「先生!」


 私は無我夢中で窓枠を乗り越えて、懐かしい彼へと駆け寄った。



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