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【完結】聖女は死の円環を解く  作者: 干野ワニ
第一幕 円環は繰り返す

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第03話 淑女の力関係を決めるもの

 その日は前回と同じく、やはり朝からこの冬初めての雪が降っていた。重い足取りで向かった礼拝堂の入り口で、毛織の外套(コート)を侍女に脱がせてもらう。そして指定の時間ぎりぎりに堂内へ入ると、前回と全く同じ四人の候補者たちがそこにいた。


「あら、皆を待たせて最後のご登場だなんて、余裕がおありですこと」


 型通りの挨拶を済ませた私に向かって初めに口を開いたのは、侯爵家のフランチェスカ嬢だ。彼女が豊かに波打つ黒髪を揺らしてフンと鼻を鳴らすと、その隣で伯爵家のアレッサンドラ嬢が、賛意を示すように栗色の眉をひそめた。


 そんな二人にいつも張り付いている赤毛のマリネッタ嬢は男爵家の出で、ご機嫌を取るためだろう笑みをへらへら浮かべつつ、二人に小声で何か話しかけている。


 残る一人――華奢な肢体に、上品な意匠ながらも質の良い装いに身を包んでいるアンジェリーネ嬢は、この場にいる候補たちの中では最高位となる名門公爵家のご令嬢だ。私が遅参を詫びると、彼女は黄金の睫毛に縁取られた碧眼を私に向けて、「いいのよ」と優雅に微笑んだ。


 まだ生きている四人の姿に懐かしさがこみ上げて、私は思わず涙ぐむ。


 正直に言えば、アンジェリーネ嬢以外の三人には、あまり良い思い出がない。だからといって、理不尽に殺されてよい人なんて、いるはずがないのだ。彼女たちが亡くなったら、きっと悲しむ人がいるだろう。私は改めて四人の顔を見回すと、誰も殺させないと心に誓った。


「聖女候補たちよ、控えよ。王太后猊下(おうたいごうげいか)、ならびに王太子殿下のご到着である!」


 そこに祭司長の声が響き、重厚な設えの扉が騎士の手によって開かれた。


 銀の錫杖がしゃらんと澄んだ音を立て、まず豪奢な法衣(ローブ)を纏う女性が現れる。黒髪の半分が銀に染まる彼女は、齢六十代半ばだろうか。銀糸の刺繍が縁どる純白の法衣が、慈愛に満ちた笑顔をより白く輝かせている。彼女こそが王太后、つまり先王妃にして現聖女でもある、ルチア様だ。


 彼女をエスコートするように立つ孫のデメトリオ殿下は、今日もあの瑠璃色の長上衣に身を包み、王族に相応しかろう優雅な笑みを浮かべている。前回は、この微笑みを信じて疑っていなかった。だが今は、全く油断がならない相手であることを知っている。


 この時点で、彼にはすでに積年の恋人がいるはずだ。だがこの大神殿という場所であからさまに聖女と王族の婚姻制度への不満を漏らせば、神殿の面子を潰してしまう。そうなれば、この聖王国の国政にも強い影響力を持つ神官たちの支持を失ってしまいかねない。第二王子が立太子できたのは神殿の後押しがあったおかげだという事実を忘れてしまうほど、彼は愚かではないのだろう。


(自分が選んだ相手と結ばれる――まさかたったそれだけのために、何人もの令嬢の命を奪ったというの!? 王族ならば、いや、貴族に生まれたのならば、婚姻が自由にならないなんて分かり切ったことなのに……!)


「――ィナ、ファウスティナ嬢、聞いているのか?」


「は、はいっ」


(しまった、ちゃんと集中して周囲に気を配らなきゃ、また前回の二の舞になる!)


 はっと我に返ると、私は背筋を伸ばした。私に注意したアッティリオ祭司長は四十代という若さで、聖女選定の儀式を実地で取り仕切る役目を担っている人物だ。彼は七三分けの眉間に気難しそうな皺を寄せると、ため息をついた。


「……説明を続ける。このように、初めに聖樹に灯花の蕾をつけた者か、もしくは百日後の儀式の最終日までに苗木を最も大きく立派に育てた者が、次代の聖女となる」


 祭司長は奥に並べられた白く大きな陶器の鉢を示すと、候補たちを見渡しながら言った。


「さあ、聖樹の苗木を一つずつ選びなさい。各々に割り当てられた部屋に用意してある祭壇に安置し、日々の祈りを捧げるのだ。一日三度の祈りと食事、そして午前の礼拝と座学の時間以外は、自室でも、蔵書室でも、庭園でも、もちろん礼拝堂でも、神殿内のいずこでも自由に過ごして構わない。ただし儀式の期間中、神殿を覆う小結界から無断で出ることは許されない。女神アウラは、そなたらの行いを見ておられる」


 祭司長が口を閉じるなり、すかさずフランチェスカ嬢が動いた。


「わたくし、これにするわ。ひと目で運命を感じたの」


 彼女は迷わず最も青々と葉を茂らせる苗木を選び、鉢の前に立つ。次いでアレッサンドラ嬢が静かに、そしてマリネッタ嬢が慌てたように二人に続いた。


 私はアンジェリーネ様に選択肢を譲ってから、最後の一鉢の前に立つ。


「決まったようね」


 口を開いたのは、これまで挨拶の口上以外はずっと黙っていた聖女ルチア猊下だった。


「女神アウラより、貴女がたは聖女となる素質を与えられました。たとえ聖女に選ばれずとも、その素質が消えることはありません。聖女に万に一つのことがあったとき、代わりを務めるのはあなたたち聖痕の乙女のお役目です。この聖王国の万民のため、身命を捧げなさい」


 まるで全てが決まった儀式最終日のような言葉を残して、聖女ルチアは候補者たちに背を向ける。すぐさま祖母の後をついて退出した王太子は、相変わらず優雅な笑みを貼り付けたままだった。



 * * *



 重たい鉢の運搬を神殿騎士たちに任せ、私は礼拝堂を出た。少しだけ迷ってから、私は礼拝堂の右隣に立つ宿坊(しゅくぼう)――神殿への参拝者が滞在するための宿舎――にあたる棟の方へ、素直に足を向ける。とはいえ聖女候補たちには上位貴族の滞在に使われる部屋が割り当てられているから、その内装は私の実家よりも立派なぐらいだ。


 そんな宿坊二階の廊下には、貴重な白大理石の柱が整然と並び立っていた。柱の間に等間隔で並ぶ扉が、私たち聖女候補に与えられた個室である。私が自分の名が記された部屋の扉を探して歩いていると、廊下の向こうから近づく三人の人影が見えた。


 私は廊下の脇によると、深く腰を落として礼を取る。前回は会釈だけですれ違おうとしたから、難癖をつけられたのかもしれない。だが結局やり過ごすことはできなくて、先頭をゆくフランチェスカ嬢が私の目の前で足を止めた。


「あら、良い心がけだこと。下位の子爵令嬢といえど、礼節は弁えているようね。ねぇ、わたくしたち、これから親睦を深めるためにお茶会をする予定なの。特別に貴女も参加なさいな」


 今回は再教育してやると罵られることはなかったけれど、結局お茶に誘われることに変わりはないらしい。私はまた少し迷ってから、誘いを受けることにした。


「お誘い嬉しゅう存じます。この顔ぶれですと、これからアンジェリーネ様をお誘いに行かれるところと拝察いたします。よろしければ、わたくしがフランチェスカ様の代理でお誘い申し上げに参りましょうか?」


 参加を回避できないのなら、少しでも前回とは違う流れにしたい。しかし私の申し出に、フランチェスカ嬢はすげなく答えた。


「あら、あの方を呼ぶ必要などないわ。だって、ほら、ねぇ」


 クスクスと笑い合う三人に、私は内心で溜息をついた。アンジェリーネ様は、前回もこの最初のお茶会には呼ばれていなかった。憶測で断じるのはよくないけれど、なんだかんだ言ってフランチェスカ嬢は自分がその場で一番高位でありたいのだろう。


 宿坊の中庭に用意されたテーブルの周りには、私の参加が初めから予定されていたかのように、四脚の椅子が置かれている。私に示された椅子に腰かけると、カップにお茶が注がれた。


「どうぞ、遠慮なくお飲みなさい。貴女なんて、一生かかっても自分では手に入れられないような貴重な茶葉よ?」


 自分に与えられたカップを持ち上げると、中に小指の先ぐらいの黒い虫が浮いているのが見えた。脚が一本取れていて、ゆらゆらと紅い水面をたゆたっている。その様子を(またか……)と穏やかに見詰めながら、私は静かに口を開いた。


「わたくし、カルカテルラ侯爵令嬢のお茶会にお招きいただいたという認識なのですが」


「その通りよ。貴女たち下位貴族でも、聖女候補は対等のテーブルにつけというお達しだもの。だって、聖女は慈悲の存在でなければならないものね」


 それを聞いてクスクスと笑ったのは、マリネッタ嬢だ。アレッサンドラ嬢に目を向けると、こちらは無言で、だが嘲るように口角を上げている。


 前回は気づかなかったけど、これは嫌がらせで私に泣きを入れさせて、フランチェスカ嬢の派閥に下らせようとする計略のようだ。だが――。


 私はすっと目を細めると、口の端を僅かに上げた。


「このお茶、どういった管理がなされていたのでしょう?」


「出されたお茶の品質を気にするなんて、なんて失礼なのかしら!……ああ、下々は恥を知らないのだから、無理もないわね。それがどんな来歴を持つものだって、貴女には飲めるでしょう? 侯爵令嬢の命令よ」


 こんなところで、被害者同士でいがみ合っている余裕なんてない。だからといって、ここで前回あったことを話しても、鼻で笑われて終わりだろう。


 私は黙ってカップを上げると、口許に持ってゆく。勝利を確信したのだろう、フランチェスカ嬢がニヤリと笑みを形づくった瞬間――。


「やだー、むしだわー」


 私は棒読みで声を上げると、手首にくいっとスナップを掛けた。



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