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【完結】聖女は死の円環を解く  作者: 干野ワニ
第五幕 愛される対価

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第26話 氷柱の正体

 それは同じ大聖樹の根元でも、礼拝堂のちょうど真裏にあたる場所だった。簡素な冬の裏庭には人気(ひとけ)がない。ただ、場所が悪かったのだろう。初めに発見した使用人が上役たちを呼んだため、周囲の雪はすっかりぐちゃぐちゃに踏み荒らされていた。


 もっともおびただしい血だまりの中、胸に氷柱(ひょうちゅう)を突き立てられた姿を見ると、恐怖のあまり誰も遺体には触れることができなかったらしいけれど――。


 なぜ私は、枝を使うのは最後の一人となってからだと思い込んでいたのだろう。今回、私は明らかに下手人の思惑を妨害していた。だから邪魔になったものの、これまでの周回とは違って先生がいるから、私を殺す隙がない。


(だから早めに罪を着せることで、私の動きを牽制しようとしたのかしら……)


 そう考えて、私は小さく唇を噛んだ。あのときサビーナに懺悔室へ誘導させたのは、私を守るために警護の人数をそちらへ流すと考えたゆえだったのだろう。


「回復法術が効きません。死亡確認です……」


 私はかざしていた手を下ろすと、無力感に肩を落とした。


 こんな寒い地面から、早くフランチェスカ嬢をあたたかな寝台に運んであげたい。でも遺体を移動するには、まずアッティリオ祭司長に現場を確認してもらってからでなければならない。


 今はここで、まず腑分けをせずに分かることの確認をしなければ。


「先生、死亡時刻の推定を始めます」


 先生はうなずくと、(ふところ)から筆記具を取り出した。私はまず、フランチェスカ嬢の腕を持ち上げる。


 こんな真冬の屋外でも、肌に触れればその腕は未だほんのりと温かい。肘を動かせばしなやかに曲がるし、肩も不自由なく上がる。ただひんやりとした指先は、僅かに動きが悪くなっていた。


 それに気づいた私は、彼女の虚ろな瞳を覗きこむ。指でそっとまぶたを撫でたが、それが簡単に下りることはなかった。やはり細かな筋肉から、少しずつ死後の硬直が始まっているようだ。


「次は脚を確認しますので、男性は後ろを向いていただけますか」


 私が声をかけると、その場を囲んでいた騎士や神官たちが、聖印を切って身体を背けた。私は彼らの背に軽く会釈をしてから、スカートをそっとたくし上げる。膝を持ち上げると、白い脚がしなやかに曲がった。


 だがそっと覗き込んだ大腿部の裏側には、赤紫の斑点がぽつぽつと現れている。だが指先で押すと、それはたちまち消えた。


「死後、二時間弱といったところでしょうか。……懺悔室の周辺に潜む者や罠などがないか、大騒動で調べていた頃ですね。こんな、まんまと術中にはまってしまったなんて。私の安全を確かめるためなんかに、フランチェスカ様の警護を減らすのではなかった……!」


「ああ。だがあのときは、必要な措置だったことは確かだ。君に人員を割かねば、ならばと君が狙われていただけだろう。だから、気に病む必要はない」


「はい……」


 私がうなだれていると、ようやく到着したアッティリオ祭司長の、絶望するような声が響いた。


「なんと……なんということだ、もう、三人目だ!」


 彼は膝から崩れ落ちると、私たちの方へ顔を向け、叫ぶ。


「お前たちは、あれほど偉そうに言っておきながら、一体何をやっていた!!」


「一連の事件の下手人は、もう突き止めました!」


 私は必死に訴えたが、祭司長は鼻で笑った。


「下手人が分かったところで殺害を止められなければ、全く意味がないだろう!」


「そうだ。だから部屋を三階へ移動しようと言ったのだ。それを護衛を増やすと見栄を張り、まんまとご令嬢に抜け出されてしまったのは、誰の責任だ?」


「くっ……」


 悔しげに押し黙った祭司長の向こうで、フランチェスカ嬢の遺体を確認していた神官が、恐れるような声を上げた。


「これは……傷口に、ファウスティナ嬢の魔紋が残っております!」


 とたんに、周囲を取り巻いていた大勢の神官たちからざわめきが起こった。


「なんと、ファウスティナ嬢、いやアンブロージオ子爵令嬢ファウスティナ! お前が下手人だったとは……!」


 そう声を上げると、アッティリオ祭司長は私に憎悪の目を向ける。


「いいえ、違います」


 私が落ち着いて答えたが、祭司長は嘲るように笑った。


「これまで検屍だなどと言って自分に都合のいい事実をでっち上げていたようだが、油断してとうとう尻尾を出したな! それほどまでに聖女になりたかったとは……!」


「いいえ。その魔紋は攻撃魔術によるものではないことを、証明してくださる御方がいらっしゃいます」


「証明?」


 訝しげに片眉を上げる祭司長ごしに、私は近づいてくる方々に目を向けた。そこには顔色を変えた大神官を従えた、聖女ルチア猊下の姿があった。


「こ、これは……!」


 祭司長は振り返ると、聖印を切って(こうべ)を垂れる。私も同様に挨拶をすると、状況の説明を行った。


「……そこでどうかルチア様には、攻撃魔術だけが魔紋を残す手段ではないことを、証言していただきたいのです」


「ええ。例の、包みを」


 彼女は従者から細長い布包みを受け取ると、手のひらの上で開いてみせた。


「これは先日折り取られた、ファウスティナ嬢の聖樹の一枝。これで傷をつけたならば、傷口に彼女の魔紋が残るわ」


「確かに、ファウスティナ嬢の魔法力の滞留を感じますが……これで傷をつけたら魔紋が残るとは、初耳でございます。にわかには信じがたいことで……」


「では、試してみましょう。さあ、この枝をもって、わたくしの手を引っ掻きなさい」


「なっ……!」


 その言葉に私以上に驚いたのは、アッティリオ祭司長だった。


「そんな、畏れ多いことにございます!」


 尻込みをする祭司長に、ルチア様は重ねて言った。


「やりなさい」


「は、はい!」


 おずおずと、だが尖った方を白い手の甲に向け、祭司長は枝を振る。残ったのは、微かな白い引っ掻き傷。だがそこに現れたのは祭司長の魔紋ではなく、私のものだった。


「これは驚きですが……だからといって、小枝で人は殺せますまい。今回の件とどんな関係があるのです?」


 首をかしげる祭司長に、私は言った。


「折られた枝のうち、最も太い枝が行方不明だと分かりました。フランチェスカ嬢は、その枝を削り出して作った木の杭を胸に打ち込まれ、亡くなった可能性があります」


「どこに木の杭があるというのだ、刺さっているのは氷柱(ひょうちゅう)なのだぞ!」


「それは氷柱(ひょうちゅう)ではありません。軒先からたくさん下がっている氷柱(つらら)です。一度刺した杭を抜いたのち、傷口につららを差し込んだのです」


「おお……だが単に、その方法を使えば魔紋を残すことができると分かっただけだ。フランチェスカ嬢の傷が魔術攻撃によるものではないと断定する証拠にはならぬ」


 苦い顔で反論する祭司長に、先生は薄く笑みを浮かべながら言った。


「いや、断定することは可能だ。実際に、魔術の氷を人体に打ち込んでみれば簡単に分かる。……ファウスティナ、私の腹を氷矢で撃て」


 淡々と述べられた言葉に、私は一瞬、言葉を失った。


「なにを……」


「もう一度言う。私の腹を魔術の氷矢で撃て」


「そんな、そんなこと、できません!」


 私は必死に首を横へ振ったが、先生は不敵に笑ったままだった。


「案ずるな。どんな怪我をしても、必ず君が治癒してくれるのだろう?」


「でも、矢を受ける身体の痛みに変わりはありません!」


「そんなもの、とっくに慣れきっている」


 アッティリオ祭司長はいまだ思考が追いついていないようで、先ほどから目を剥いて口をぽかんと開けていた。


(先ほどのルチア様といい、自分を傷つけて証明せよなんて、なんてことを言い出すの!?)


 私は首を左右に振ったが、それでも先生は、頑なな瞳で私を見据えて言った。


「ここは寒い。速やかに済ませてくれ」


「……分かりました。でも、腹部は危険です。せめて、腕などに……」


「まあ、説明はそれほど変わらぬか」


 先生はそう言って、左袖を肘まで捲ってみせる。根負けした私は差し出された腕に手をかざし、術の構成を始めた。全力よりも小ぶりな、小刀ほどの大きさで、一本だけ脳裏に描き出す。


「撃て!」


 先生の言葉に呼応するように、私は力を解き放った。


氷の矢(サジタ・グラキエス)!」


 氷矢が左腕に刺さった瞬間、先生はくぐもった声を上げた。だがその姿勢を崩すことなく、その場に踏みとどまる。誰もが、息を呑む音がした。


「見よ、この傷口を!」


 沈黙が広がる中で、先生は声を上げた。生まれたばかりの氷矢は、あまりの冷たさで傷口に貼りついているようだった。血は、出ていない。


「ほら、血が出ないどころか、簡単には抜けなくなっている」


 氷矢をつかんで引き抜こうとすると、貼りついた肉が共に持ち上がる。


「も、もうやめてください! すぐに治癒を……!」


「いや、まだだ。傷の近くに白い手巾をあて、氷が溶けて血が流出し始めるまで、待て」


 私は居ても立っても居られず、言われた通りハンカチを添えて先生の左腕を温めるように両手を添えた。すると間もなく、体温でじわりと氷が解け始めた。


 すると傷口の周囲からゆっくりと赤い染みが広がり始めたが、血は氷が溶けた水と混ざり合っているようで、白布に染みる赤はどこか色の境界線が薄くぼやけている。


「このように、魔術の氷を刺したまま、であれば、あの遺体のように、鮮血が、多量に噴き出すようなことはない。そもそも死後に凶器を抜いても、それほどの量の血が出ることはない。さらには、すでに死んでいる人間に凶器を刺しても、血が流れ出ることはないのだ」


 よほどの痛みに耐えながら話しをしているのだろう。先生は時折歯を食いしばりつつ、言葉を続けた。


「つまり、あのように境界がくっきりとした、大量の血痕が残っているのは、生きてまだ心の臓が動いているうちに真の凶器が抜き去られた、証拠だといえよう」


 その姿を見ていた老齢の大神官が、震える声で言った。


「ああ、そうだ。身体に深い矢を受けても、抜かねば、傷口から血が噴き出すことはない。だから血を失わないように、矢は抜かずに治療へ来るよう、かつて兵士たちには広く通達していた。それに氷矢は傷口の周囲を凍りつかせ、普通の矢傷より抜きにくく、かつ血がでにくいことも、確かに覚えがある……」


 ここ五十年近くは国境の小競り合いも沈静化し、王都の貴族の大半は、騎士の称号を持つ者ですら実戦を経験していない世代だ。だから攻撃魔術が人体にもたらす実際の効果を、知らない若者は多かった。だが老齢である大神官は、かつて隣国との紛争に回復法術の使い手として従軍していたときの経験を思い出したようだった。


 大神官の記憶を呼び起こせたのであれば、もう充分だろう。


「先生、どうか治癒させてください!」


「ああ、頼む」


 体温で溶けて一回り細くなった氷矢をそっと抜き取ると、すぐに血があふれだす。私がすかさず回復法術をかけると、傷口はたちまちふさがった。私はハンカチを取り出し、腕に残る血を拭う。すっかり傷が癒えたことを確認し、私はほっと胸をなでおろした。


「で、では凶器が氷矢ではなかったとして、真の凶器はどこへ行ったのでしょう!?」


 まだアッティリオ祭司長は食い下がったが、先生は首を振った。


「凶器も、それを打ち込むために道具を使ったとしても、木製であれば魔術の炎で燃やせば一瞬でなくなる。灰も恐らく、すでに処分されているだろうな。下働きの身分であるジャンナならば、灰桶も不審がられずに持ち運び、処分することができただろう」


「ジャンナが? しかし、下働きごときが魔術で燃やすことなど……」


 そこまで言って、祭司長は先日ジャンナの捜索を依頼した際に報告したことを、ようやく思い出したようだった。


「そんな、まさか、本当に……」


「ああ、だから言っただろう。今いる下働きのジャンナは……死んだとされているジェンティレスキ公爵令嬢アンジェリーネが、入れ替わった姿である、と」


 先生が静かに言うと――新たな沈黙が、その場を支配した。



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