第25話 懺悔せよ
私たちは急ぎ大神殿に戻ると、まず何も知らないふりをして、さりげなくジャンナを呼びに行かせた。だが関わりのあった僅かな使用人たちによると、ジャンナはあの枝を折られた日から姿が見えなくなっているらしい。そこで神官や神殿騎士たちも動員して捜索したが、見つけることはできなかった。
この神殿で働く者は、住み込みの使用人だけでも五百名を優に超える。建物も複数の棟からなり、その構造も裏に表にと入り組んでいる。潜伏できる場所は多いだろう。
(一体、どこに隠れているの……?)
私はしばらく折れた苗木の前で考え込んでいたが、これ以上ジャンナが行きそうな場所は思いつかない。まさか、とっくに神殿を出た……なんてことは、あるだろうか。
ため息をついて振り向くと、あれからずっと調子のよくなさそうな侍女のサビーナが、今にも崩れ落ちそうな顔色で部屋の隅に控えて立っていた。
「もしかして、体調がすぐれないんじゃない? 私のことは気にしなくていいから、少し座って休むといいわ」
するとサビーナは、意を決したように顔を上げて言った。
「あの、ファウスティナ様……お忙しいところに本当に申し訳ございません。ですが、どうか、私と共に懺悔室に来ていただけませんか……?」
「懺悔を神官ではなく、私に?」
「……はい。どうか聖痕の乙女であるファウスティナ様にこそ、聞いていただきたいのです。私の罪を、どうか……!」
「今ここで話してもらうのではダメかしら?」
「でも、正式な懺悔の手順に沿わなければ、女神様のお赦しを得ることができません……」
懺悔室の中では、女神の代理となる神官と、罪を告白する信徒の二人きりになる。それは正式な儀礼の場となるから、護衛を連れて入ることはできない。
(もしサビーナが共犯、そうでなくともジャンナに脅されていたとしたら……!)
これは、罠かもしれない。必死にこちらを見つめる瞳に私への悪意があるとは思えなかったが、怯えの色は見て取れた。脅されている可能性は否定できない。
とはいえ、サビーナは術師ではない。狭いが身を潜めるような物が全くない懺悔室の中であれば、初めからきちんと警戒しておけば、後れを取ることはないだろう。むしろ、ジャンナをおびき出すチャンスかもしれない。
「分かったわ……行きましょう。ただし、懺悔室の扉の前まで護衛を入れるわ」
「はい……もちろんそれでかまいません。お願いいたします」
* * *
こういう理由で護衛を借りたいと報告しに行くと、先生は報告書を確認していた手を止めて、懺悔室まで同行してくれることになった。懺悔室は礼拝堂の一階に入って左手に、六つ並んだ小部屋である。
先生は懺悔室のうち一つを無作為に選ぶと、その部屋だけでなく全ての懺悔室と、上階にある全ての瞑想室に同時に複数の人員を送って中を確認させた。なおサビーナが何か武器を隠し持っていないかは、すでに念入りな検査を済ませている。
「では、私は扉のすぐ外にいる。何かあれば大声で呼べ」
「はい、ありがとうございます」
私はまずサビーナに中に入るよう促してから、慎重に足を踏み入れた。ここに身を潜める場所はないし、魔術は視認できる範囲でなければ発動しない。窓のない密室で、左右と上の部屋から覗くこともできない。……問題、ないはずだ。
「それでは始めましょう。……サビーナよ、汝の罪の告白を」
「はい。……母なる女神アウラよ、私は罪を犯しました」
サビーナは私の前にひざまずくと、深く頭を垂れて言った。
「私は……ファウスティナ様に奥部の清掃を命じられましたが、そんなもの上級使用人の仕事ではないと、裏方で同僚に愚痴をこぼしてしまいました。するとそこに、ジャンナが近づいてきたのです」
ジャンナは『夕食の間だけ重石をのけといてくれたら、いつも通りあたしが掃除しときますよ。あとでご令嬢が戻ってきなさる前に、石を元に戻しておいてくだされば』と囁いた。サビーナは『絶対に秘密よ』と念を押した上で約束し、これ幸いと裏方で休んでいたのだという。
「――そうして部屋に戻ってみると、苗木の枝が何本も折り取られていることに気がつきました。でも、私は黙って重石を元の場所に戻しました。私のせいで大事な苗木が折られたと知られるのも怖かったのですが、なにより聖樹の枝をもぎ取るような神をも畏れぬ異端者に、約束を破ったと恨まれるのが怖かったのです……」
「それであの時、貴女はひどく青ざめていたのね……」
「はい……それが昨日の夜、私が寝床へ向かうと、突然いつも使っている私の枕が燃え上がりました。驚いて駆け寄ると、炎はすぐに消えて……焦げたような文字が残っていたのです」
『聖樹が我が子を手折られて、痛いと泣く声が聞こえぬか。汝の罪を、悔い改めよ。聖痕の乙女に赦しを乞え』
その文字を見たサビーナは、女神様が怒っていると考えた。そして天罰が下る前に赦しを得ようと、聖樹を育てた私に懺悔することにしたという。
枕の文字は手品のようなもので、仕掛けを再現することも簡単だろう。でも彼女がずっと後ろめたく感じていたならば、超常の力を信じてしまっても無理はない。
(やっぱり、この懺悔はジャンナに誘導されている。でも……いったい何が目的なの!?)
「女神アウラ様、どうぞ、どうぞ私めの罪をお赦しくださいませ……!」
サビーナはさらに深く頭を下げ、必死に祈りを捧げている。私は警戒を続けつつ、懺悔の手順に則り次の言葉を口にした。
「私は女神の娘として、汝の罪を赦します」
「ああ、いと気高き女神アウラさま。貴女様の深きご慈悲に感謝いたします……!」
サビーナが歓喜の声を上げた、そのとき。
ドンドンと激しく扉を叩く音がして、私たちはハッと顔をそちらへ向けた。
「懺悔は終えたか!?」
扉の向こうから聞こえた先生の声に、私は急ぎ駆け寄った。懺悔という女神の儀式を中断しかねないことをするなんて、一体どんな緊急事態だろうか。
「はっ、はい、たった今!」
私が扉を開けると、そこには険しい顔をした先生が立っていた。
「フランチェスカ嬢が護衛を撒いて、姿を消したらしい」
「なっ……」
どうやら懺悔室周辺の警戒に人を割くために、宿坊の警護が手薄になった隙を突かれたらしい。マリネッタ嬢の部屋を訪ねていたはずのフランチェスカ嬢が、いつの間にか姿を消していたというのだ。
「すぐに探さなきゃ!」
それを聞いて、私は懺悔室から飛び出した。その瞬間――ぐっと腕をつかんで引き留められる。勢い余ってバランスを崩す私を抱き留めて、先生は声を上げた。
「冷静になれ、ファウスティナ!」
「あ……」
名を呼ばれ、瞬間的に我に返った。
「ここで独りになっては、あの者の思う壺だろう!」
「っ……はい!」
私が両の足でしっかり立つと、支えていた腕が離れた。
「私から絶対に離れるな。これまでの周回では、確か大祭壇の上だったか?」
「はい。でも礼拝堂を使うつもりなら、その中にある懺悔室へ人を集めることはしないはずです。だから、今回の犯行現場は大祭壇ではないのでは、というくらいしか……申し訳ございません」
「いや。……探しに、行きたいか?」
今は捜索の指揮を先生に任せ、私はマリネッタ嬢のそばへ行き、二人で守りを固めてじっとしていることが最善だ。それは、頭では分かっている。でも……。
「はい、行きたいです……」
言いつつ、私はスカートをぎゅっと握りしめた。まだフランチェスカ嬢を助けられる可能性があるのなら、そしてジャンナを捕まえるチャンスになるのなら、じっとしてなんて、いられない。
「どうか、行かせてください!」
「……分かった。ただし、私から絶対に離れるな」
「はい!」
ひらり、と役目を終えた灯花の花びらが舞い落ちる中。大聖樹の根元に背を預けるようにして、フランチェスカ嬢はひとり座り込んでいた。その光を失った瞳は、ただ、自らの白いドレスを染め上げる真っ赤な血だまりだけを映していた――。




