第22話 変化の痛み
「できた!」
大まかな形を作り終え、私は笑みを浮かべた。後はささくれているところにやすりをかけて、滑らかに整えるだけだ。
小刀を革の鞘に納めると、道具箱のやすりと取り換える。尖ったところはないか確認していると、コンコンと扉を叩く音がした。その扉は廊下ではなく、前室である応接室へと繋がっている。つまり私的な空間だから、そこへ入れるのは先生か、先生の許可を得られた者だけだ。
だがこの音は、先生が扉を叩く音より少し軽い気がする。しかも侍女はいないから、自分で応対しなければならない。とはいえ先生の許可が得られた人物だから、きっと大丈夫だろう。
それでも警戒が拭えないままそっと扉を開けると、そこには寝間着に身を包んだ老女が立っている。老女は警戒する私の顔を見るなり、優しげな笑みを浮かべて口を開いた。
「こんばんは。こちらに一晩、お泊りさせてもらってよいかしら」
「まさか……聖女ルチア猊下!」
今日はお化粧もしていないし、いつもの聖女かつ国母の威厳も薄れ、細身で可愛らしいおばあちゃんといった印象だ。だから声を聞くまで、気づけなかった。
「アンブロージオ子爵が第一女、ファウスティナが、ご挨拶申し上げます」
私が慌ててひざまずくと、ルチア様は私の手を取り立ち上がらせながら言った。
「ふふふ、そう固くならないで。一度あなたと、ゆっくりお話をしてみたかったのよ。あら、何かしていたの?」
テーブルの上の木材を見て、ルチア様は目を丸くした。
「あ、散らかっておりまして大変申し訳ございません! すぐに片づけを……」
「いいえ、そのままでいいの。突然お邪魔してごめんなさいね。……それ、折られたという聖樹の枝かしら。わたくしにも見せてもらえる?」
「はっ、はい!」
(折られた後とはいえ聖樹の枝を削っていたなんて、怒られたらどうしよう……)
とはいえ、ここまで来たら隠すことはできないだろう。私は観念してルチア様を案内すると、卓上を指し示した。
「実はこの枝、折れた後も魔法力がとどまっていることに気づきまして……。それを何かに使えないかと、ペーパーナイフを作ってみておりました」
「まあ、それは面白そう。聖樹を折られて憔悴しているかと心配していたけれど、貴女には前へと進む力があるのね」
感心したようにうなずくルチア様に、私はほっとしながら応えた。
「お褒めにあずかり恐縮にございます。聖樹を削るなど不信心かとも考えたのですが、その、先生……イルネーロ公爵閣下にはいつも助けていただいているので、何かお礼ができないかという一心で……」
「そういえば、貴女はフィデンツィオの弟子という話だったかしら」
一体、どこまでご存知なのだろう。私が慎重に「はい」とだけ言ってうなずくと、ルチア様はほんの少しだけ困ったように笑った。
「今日はね、珍しくあの子が頼み事をしに来たのよ。貴女が心細いだろうから、今夜だけでも付き添ってやってくれ、と」
(え、そんな、私が心細いだろうというだけで、この国の頂点の一角にあたる御方を動かしたというの!?)
驚きのあまり「そんな……」としか言えないでいると、ルチア様は笑顔で話を続けた。
「それがね、とっても残念そうな顔で言うものだから、それなら自分が付き添えばいいじゃないとからかってみたの。そうしたら、苦虫を百匹くらい噛みつぶしたような顔をしていたわ」
ルチア様は、さも楽しげにころころ笑う。だが間もなく表情を一変させると、淋しげな笑みを浮かべて言った。
「貴女はさっき助けてもらっていると言ったけど、それは違うわ。女神の試練を一身に受けて生まれてしまったあの子の方が、きっと何倍も貴女に助けてもらっているのでしょう」
「女神の試練とは……もしや先生に加護がない理由を、ご存知なのですか!?」
思わず声を上げて問うと、ルチア様は哀しげに目を伏せた。
「……女神アウラは、聖樹の存在に頼り切ってしまったこの国を憂いているの。ゆえに王の子に試練を与え、変革を望んでいる」
「そんな……しかし急な変革は、強い痛みを伴います。先生ご自身の、人生のように……」
私が彼のこれまでの苦難を想像して肩を落とすと、ルチア様は静かに言った。
「……あの子がいつも懐に武器を隠し持っていることを、知っている?」
「はい……」
先生は常に、あの『短銃』を懐に入れて持ち歩いているようだった。それはどうやら、安全な部屋でくつろいでいる時でさえ――。
「……術師たちはね、一見すると非力な女子供であっても、素手で屈強な戦士をも殺傷できる武力を持っている。だから貴族たちの集う社交界では、皆きらびやかな衣装の下に魔術という武器を隠し持っているも同然なの。さらに怪我をしても、法術を使えば一瞬で完治させることができる」
これまで当たり前のように魔法を使っていた私は、考えたこともなかった。皆が当たり前に持っている能力を、ただ一人自分だけが持ってない。その事実を彼はどれほど不安に、どれほど不公平に感じていただろう。
「それでもあの子……フィデンツィオは、加護の有無がもたらす格差を自らの努力で埋めようと、魔術の代わりに砲術を極め、法術の代わりに医術を手に入れた。女神の期待に見事に応え、たゆまぬ努力で試練を乗り越えてきたの。きっとこれからも、あの子ならばこの国を変えてゆけるわ」
「ですが多くの民は、それほど強くはなれません。それに先生だって、なぜ一人だけ哀しい思いをしなければならなかったのでしょうか。乗り越えられる強さがあるから苦しんでもいいなんて、おかしいです……」
話しているうちに感情があふれて、私はうなだれた。
「ファウスティナ……折れた枝を素材に新たなものを生み出そうとした貴女なら、女神の望む変革を最も良い形で引き起こせるかもしれないわね。そう、きっと、貴方たちならば……」
ルチア様はどこか悲しそうに微笑み卓上に手を伸ばすと、私が作ったペーパーナイフを手に取った。
「っ……」
瞬間、眉をひそめると、ルチア様はナイフを取り落とす。その指先に赤い血の玉がぷくりと立ち上がるのを見て、私は思わず彼女の手を取った。
「大丈夫ですか!? 申し訳ございません、まだ表面の処理が甘くて……!」
「ああ、うっかりして、心配をかけてごめんなさいね」
私は治癒の法術を使おうとして手をかざし……ふと違和感があって、手を止めた。
「これ、私の魔紋が……」
「あら、本当ね。貴女の魔法力を宿した枝のささくれで刺したから、かしら。まさか、魔術攻撃のような魔紋が残るなんて知らなかったわ」
「そんな……まさか……」
(それってつまり、攻撃魔術でなくても、例えば聖樹で木の杭を作って胸に打ち込めば、私の魔紋を残すことができるということ? 犯人はそれを知っていたから、どの周でも聖樹の枝を折り取っていたのでは……!)
「どうしたの、お顔が真っ青よ?」
明日にした方がいいというルチア様の制止を振り切って、私は部屋を飛び出した。
「何事だ!?」
「先生! 枝が折られた理由が分かるかもしれません……!」
騒ぎを聞きつけたのか隣室から出てきた先生は、それだけ言うと全て察してくれたようだった。先生に同行してもらい、二階にある本来の私の部屋へと急ぐ。
果たして、折れた枝の数と折られた根元の数を比べた結果――最も太い枝が一本、無くなっていたことが判明したのだった。




