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【完結】聖女は死の円環を解く  作者: 干野ワニ
第三幕 明けない夜の鐘

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第19話 事故か、自死か、事件か

 私は術衣にきっちりと身を包むと、遺体の横たわる台の前に立った。手を胸の前に上げて聖印を切り、目を閉じて静かに術前の祈りを捧げる。


 ややあって、私は覚悟を決めて目を開いた。遺体の状況は、刻一刻と変化する。今は、後悔している暇はない。


『これまで死にたいと思ったことなんて、何度もあったわ』


 凍てつくような極寒の石畳の上で、彼女は倒れ伏していた。だから死亡時刻の正確な推定は難しいだろうと思いつつ、一通りの記録を取ってゆく。


「やはり、寒さにより死後変化が抑えられているな。死亡時刻の検討は後にして、落下着地による損傷の精査を行おう」


「はい」


 私は人形のように固く冷たい脚に、そっと手を触れた。それは東方の磁器のように蒼白く、滑らかなものだったが――右の側面を見たとたん、私は眉根をよせた。きっと、この面を下側にして落下し、固い地面との圧迫を受けたのだろう。まるで白い骨の形を浮き彫りにするように……辺縁に押しやられた血が血管を破り、赤黒い内出血となっていた。


右体側(みぎたいそく)辺縁性(へんえんせい)出血が見られるな。骨折の部位の確認を」


 先生の言葉にうなずいて、私は全身の骨の状態を丁寧に確認していった。


 同じ墜落死でも、事故か、自死か、事件かは、骨折の部位から推定できる。例えば覚悟の自死の場合、多くの人は両足を揃えてほぼ垂直に落下する。ゆえに、まず足を、次いで骨盤を、さらに腰椎、頚椎……と、中心を上に向かって折れてゆく。


『でも、そのたびに、わたくしたちは踏みとどまって生きてきた』


 一方で不慮の事故である場合、足場から外れた上半身が先に落ちてゆく。体勢を立て直そうともがくほどに崩れ、多くの場合で頭から先に着地するのだ。


 しかし、この遺体は――。


「内出血と同じく、骨折も右体側に集中しています。それと……」


 髪を掻き分けるように、頭部へ指を這わせてゆく。少しずつ触診するうちに毛髪の根元に出血と、頭蓋骨(とうがいこつ)の陥没が見つかった。


「後頭部に皮膚の裂傷と、これは破裂骨折……位置的に、落下によるものではないですね」


「やはり、他殺か」


『貴女なんかに心配されなくても、絶対に殺されてなどやるものですか……!』


「……はい。鈍器によって後頭部を殴打されたのち、高所より投げ落とされたのでしょう。直接の死因がどちらかは、分かりませんが」


 壁や手すりがある場所で、抵抗する大人を投げ落とすのは難しい。だから後頭部を殴って気絶させてから、身体を横にするよう抱え上げ、壁を越えて投げ落としたのだろう。ゆえに、右体側に骨折部位が集中したのだ。


 実はあの話し合いの後も、私は顔を合わせるたびに切々と、アレッサンドラ嬢へ警戒を訴えていた。すると彼女は文句を言いつつ、それでも最後には折れた様子で、困ったように少しだけ笑ってくれた。


『ああもう、しつこいんだから! 分かったわよ、ちゃんと気をつけるから……』


 あれほど生きたいと望んでいた彼女を、むざむざ死なせてしまった――。


 一番のお気に入りだったという白いドレスを、アレッサンドラ嬢のほっそりと長い手足に通してゆく。胸元で無数のリボンを結んで着せ終えると、血を拭って乱れた髪を梳いた。


 大きく見開かれたままだった目の上に保湿油を乗せ、そっと撫でてまぶたを下ろす。頭の下に枕を入れて顎をひき、開け放たれていた唇を合わせるように整えた。


 仕上げ、真っ白な頬と唇に、ほんのり淡く紅を差す。


「おやすみなさい、アレッサンドラ様……」


 穏やかな眠りについたアレッサンドラ様に、私はひざまずいて深く祈りを捧げると――弔いを待つ仲間のもとへと送り出した。



 * * *



 清めの燻蒸と湯浴みを終えて――私は髪を乾かす暇も惜しんで、宿坊の上階にある先生の部屋を訪ねた。すすめられた椅子に腰かけるなり、私は勢いこんで言った。


「先ほどの検屍の結果、アレッサンドラ嬢は死後に投げ落とされた……そうすると、やはり屋上の状態が不自然です」


 屋上に上がるには、たったの数段とはいえ、梯子を上がる必要がある。先に殺害してからぐったりとした遺体をかついで梯子を登るのは、このアレッサンドラ嬢の靴を履いて歩けるような体格の人間には、まず無理だろう。


 だからといって屋上に上がってから殺したとすれば、雪上に争ったり倒れたりした形跡が残るはず。しかしたった一本の足跡の道がある以外、新雪は全く乱れていなかった。


「これはつまり、遺体が落とされたのは……」


「そう、鐘楼からではなかった」


 私の言葉を引き継ぐように、先生はそう言ってうなずいた。


「そんな、なぜ気づかなかったのでしょう。夜は無人になる礼拝堂には、犯行にうってつけの部屋があったのに……!」


 すぐにでも礼拝堂へ行こうと部屋を飛び出そうとする私を引き止め、先生は首を横に振った。


「その前に、君は髪を乾かすべきだ。この気温で濡れ髪のまま外を歩けば、身体を冷やす」


「でも……!」


「どのみち調査に同行させる神官を手配せねばならないから、その間に乾かすといい」


「そういえば……分かりました」


 侍女を呼んで暖炉の前で髪を拭いてもらっているうちに、二名の神官が現れた。これから行う調査の、証人とするためだ。


 私たちは二名の神官と共に礼拝堂へ向かうと、やはり鐘楼の直下に、おあつらえ向きの大きな窓が見えた。外から何番目の窓かを数えてから礼拝堂に入り、粛々と二階へ上がる。廊下に整然と並ぶ瞑想室を数えながら歩き、鐘楼の直下にあたる窓のある部屋の扉を開けた。


 こうして、連れていた神官たちと共に内部を調査した結果――部屋に敷かれた絨毯に、ほんの僅かだが新しい血痕が見つかったのだった。


 何らかの手段でアレッサンドラ嬢をこの部屋の中へと誘い込み、後頭部を殴って気絶させたのだろう。


「あとは、瞑想室から鐘を鳴らす仕掛けの痕跡が見つかれば、確定ですね」


 うなずく先生と共に神官たちを連れ、鐘楼へと向かう。すると鐘を鳴らすための太い引き綱に、少しだけほぐれて隙間になっている部分があった。


「ほぐれた内部の色が、まだきれい……これって、ごく最近ほぐされたということですよね」


「ああ。ここに紐などを繋げ、下階の窓に届くまで引き綱を延長したのだろう」


「でもそれでは、引き綱に結びつけた紐が残ってしまいます。足跡が同じ靴はもうなくなっているので、紐を回収しに鐘楼に戻ることができないのでは……」


「綱に紐を結びつける必要はない。綱の隙間に通した紐を、円環状(ループ)になるよう紐同士で結び合わせるのだ。そうすれば綱に触れずとも円環を一か所切るだけで、手繰り寄せて回収することができる」


「なるほど……では、まず下手人は後頭部を殴打して気絶、もしくは死亡させたアレッサンドラ嬢から肩掛けと靴を脱がせ、それらを自ら身につけて鐘楼へと向かった。そして長い紐を鐘の引き綱に通し、円環状になるよう結んで下階の窓へ向けて垂らす。仕上げに鐘楼に肩掛けを残してから、雪上を後ろ歩きで下階に戻り、遺体に靴を履かせた――」


 この大きな鐘の引き綱は、左右に揺らして鳴らすものではなく、文字通り上下に引いて鳴らす構造になっている。その綱が下階まで伸びた状態でも、問題なく鳴らすことができただろう。


「――準備が整ったら窓を開けて遺体を落とし、上から垂れる紐を引いて鐘を打ち鳴らす。数回鳴ったら紐の輪を切り、急ぎ手元に巻き取ってから現場を撤収した……ということでしょうか」


「妥当だな」


 先生はうなずいたが、私は肩を落とした。


「でもなぜアレッサンドラ様は、夜明け前に一人で瞑想室へなんて行ったのでしょう。あれほど、気をつけると言っていたのに……」


 疑問の拭えなかった私は、アレッサンドラ嬢の侍女から話を聞くことにした。すると前日の夜、夕食から戻ると、いつのまにか卓上に一通の手紙が置かれていたことが分かった。


 アレッサンドラ嬢はその手紙を読んで顔色をかえると、「誰も中身を読んでいないわよね!?」と焦ったように侍女たちへ確認し、すぐに手紙を暖炉で燃やしてしまったらしい。


 これは、誰かに弱みを握られて、呼び出されたということか――。


 手紙は、やはり奥部(リトレ)の取り出し口を通って置かれたのだろうか。この棟には、貴族向けの共用のリトレというものはない。だから自室で使えば陶器を交換してもらわないわけにはいかないから、部屋を離れる時だけ、取り出し口を塞ぐ重石を除けるようにしていたらしい。


 その代わり使用人通路にも、警備をかなり多めに配置してもらったはずだったのに……彼らによると、見かけたのはいつもの職務をこなす者ばかりで、不審な者は特にいなかったという。


 話をしてくれた侍女に礼を言って、私はアレッサンドラ嬢の部屋を後にした。だが廊下に出たところで、隣の部屋の扉からフランチェスカ嬢が不安げな顔を出した。


「ねぇ、アレッサンドラのこと、何か分かったの……?」


 私が簡単に状況を説明すると、彼女は一転して憤怒の形相を浮かべて言った。


「よくもアレッサンドラを……許さない……!」


「フランチェスカ様、アレッサンドラ様は今、冷蔵の処置を受けられる安置室にいます。だからどうか、彼女にお別れを言いに行ってあげてほしい。でももし貴女を殺そうとする者が姿を見せても、絶対に一人で対処しようとしないで。逃げて!!」


「はっ、大丈夫よ。アレッサンドラとは違い、わたくしには戦う力がある!」


 フランチェスカ嬢はそう力強く言い切ると、一転して声を沈めた。


「だから、わたくしが守ってあげると約束していたのに……アレッサンドラ、なぜ一人で行ってしまったの……?」


 フランチェスカ嬢の瞳に、大粒の涙が宿る。彼女はそれを隠すように顔を背けると、小声で言った。


「……アレッサンドラの死を、不注意による事故なんかで済まされないようにしてくれて、ありがとう」


「いいえ、私は結局、また何もできなかったから……」


「……下手人は、状況からして使用人。それで合っている?」


「ええ、恐らく……」


「そう、ならば後はわたくしに任せなさい。アレッサンドラの仇は、わたくしが取るわ」


「待って! 下手人とは別に、黒幕がいる可能性がまだ……!」


 私は慌てて引き留めたが、彼女の決意は変わらないようだった。


「ならば、死よりも勝る苦しみを与え、黒幕を強引に吐かせるまでよ。アレッサンドラ、どうか待っていて……!」


 そう言い残すと、フランチェスカ嬢は自らの部屋の扉へと消えた。


 今のフランチェスカ嬢は冷静さを欠いてしまっているから、とても危険な状況だ。それだけじゃない。順序でいえば次の犠牲者となるはずのマリネッタ嬢も、相当に危険だろう。


 これまでの周でマリネッタ嬢の死因は、単独ではいつも溺死だった。もちろんイレギュラーも沢山あったけど、水場には特に気をつけるよう伝えなければ。


(もう絶対に、誰も死なせない……!)


 私は改めて自らを奮い立たせると、マリネッタ嬢の部屋へと向かった。



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