2 魔導師様の提案
「それでお嬢様、体調はどうですか?痛むところはございませんか?」
「そういえば・・・どこも痛くないわ」
「魔導師様が二年間、毎週のように通ってお嬢様を診てくださっていたんです」
「魔導師様が?」
「はい。今日もそろそろお越しになる頃かと思います」
「え?」
何時間も泣き通しのこんなボロボロな顔を人様に見せるわけにはいかないわ。
「ティナ!急いで湯あみをさせてちょうだい!」
「あ、はい。起き上がれますか?」
少し体は重たいけど、ベッドに手をつくとすんなりと体を起こすことが出来た。
「魔導師様の治癒魔法のおかげかしら?そこまで筋力も落ちていないみたいだわ」
「それは良かったです」
「さあ、早く支度を整えましょう」
栗色の髪は艶を失い、顔も少しこけてしまってはいるが、髪を結って化粧を施せば、見れるくらいには修正出来た、と思う。
装いを整えて少しすると、控えめなノックの音が聞こえた。
「失礼します」
頭を下げて部屋に入って来たのは、国立魔導師団の黒いフードを肩からかけた長身の男性だった。
鮮やかだか深みのある青い髪をなびかせた彼は、私の姿を見るなり綺麗な金色の目を瞬かせた。
「お目覚めに・・・なったのですか?」
信じられないものを見るかのような顔で硬直してしまった彼に、ティナが笑顔で駆け寄った。
「エニフィール様、ようこそお越しくださいました。今朝ミリアお嬢様がお目覚めになったんです!」
「そう、だったんですね・・・」
エニフィールと呼ばれた彼は、それはそれは端正な顔立ちをしていた。
昔城を訪れた際に魔導師団のことをよく見かけてはいたが、ここまで目立つ容姿の方はいなかったように思う。
彼と目が合ったので、ニコッと微笑んで見せると、彼は視線を逸らしてしまった。
私上手く笑えていなかったかしら?
三年ぶりに笑ったんだもの、顔がこわばっていたかもしれないわ。
私は気を取り直してソファから立ち上がり、深々と頭を下げた。
「長い間私を診てくださっていたと聞きました。本当にありがとうございました。このご恩をどうお返しすればいいのか・・・」
「お気になさらないでください。僕が勝手にしていたことですので」
「え?お父様に私の治療を依頼されていたのではないのですか?」
「違います」
「そ、そうでしたか、ではなぜ・・・」
ボランティアだとでも言うのかしら。
「研究の一環です」
「研究、ですか?」
「治癒魔導士が一年ほど治癒魔法を施してもお目覚めにならないとお聞きしたので、他に何か原因があるのではないかと思いまして。初めは好奇心でここに来ました」
「そうでしたか・・・。それから二年間も足をお運びになったと?」
「はい」
何だか不思議な人ね・・・。
「それで、私が目覚めなかった原因はわかったのでしょうか?」
「はい。事故による外傷で意識不明になったのではなかったようです」
「「え??」」
ティナと私は驚いて顔を見合わせた。
「呪いの魔法ではないかと」
「・・・呪い?」
「ミリアさんの首元に見たことのない魔法の痕跡があったので、それを解析してみたところ、古代魔法の呪いの魔法と酷似していました」
「では、誰かに呪いの魔法で眠らされていた、ということでしょうか?」
私の問いに、エニフィール様はゆっくりと頷いた。
「そ、そんな・・・一体誰がそんなことを・・・」
青ざめた顔で腕にしがみついてきたティナの手を私はそっと握った。
「きっと私を眠らせて得をする人なのでしょうね」
「解析の結果、その呪いの発動期間は四年だとわかりました。僕はそれをどうにか短縮出来ないものかと試行錯誤していたんです」
「では、あなたのおかげで私は一年早く目覚められたのですか?」
「そう、だといいんですが」
エニフィール様は肯定はしなかったが、彼が二年もの間私に掛けられた魔法を解くために尽力してくれていたことに変わりはないのだ。
感謝してもしきれない。
「ありがとうございました」
「エニフィール様、ありがとうございました」
私とティナが深々と頭を下げると、彼は顔を赤らめながら微笑んだ。
「それで、この事をお父様には・・・」
「いえ、誰にも話しておりません」
「それは、なぜですか?」
「犯人が身近な人物でもある可能性を考えて、どなたにもお話ししませんでした」
「そうでしたか・・・。ご配慮ありがとうございます」
「それで、目覚めたばかりの方にこのような事を聞くのは申し訳ないのですが、犯人に心当たりはありませんか?事故に遭う前にお会いした方の中で怪しい者がいたとか」
「怪しい者ですか・・・」
あの日は朝からバタバタしていて、屋敷には大勢の人たちが出入りしていた。
「特に思い当たる方はいませんね・・・」
「そうですか・・・。犯人がわからない以上、ミリアさんが目覚めた事は公にしない方がいいかと思います。また狙われてしまうかもしれませんので」
「そう言われましても、隠れて暮らすわけにはいきませんし・・・」
意識が戻らないフリをしてこの部屋に一年も籠るのは遠慮したいところだ。
「でしたら・・・僕の屋敷に来ませんか?」
「え??」
「屋敷には離れがありまして、そこでしたら自由にお使いいただいて結構です。もちろんティナさんもご一緒に」
「いえ、でも・・・」
「治療院には別のところに転院すると伝えて、誰からも所在を追えないようにした方がいいと思います」
「あの、ちょっと待ってください」
私が断りを入れようとすると、ティナが真剣な眼差しで私の腕を引っ張った。
「お嬢様がこの治療院にいることを犯人に知られているかもしれませんし、ひとまずエニフィール様のお屋敷にお世話になりませんか?」
「ティナ・・・」
確かにここは安全とは言えないけれど、かといって初めて会った男性のお屋敷でお世話になるなんて・・・。
「離れは生前祖父が使っていたのですが、今は空いている状態なんです。使っていただいた方が屋敷も寂れないので助かります」
そんなキラキラした瞳で見つめられても困りますわエニフィール様。
ティナもなぜそんな懇願のポーズを取っているのよ。
私は今日初めて彼とお会いしたけれど、ティナとエニフィール様の間には少なからずの信頼関係があるのかもしれないわね。
確かに今は両親がいる屋敷に帰る気にもならないし、悪くない申し出かもしれないわ・・・。
「あの、エニフィール様はご結婚されていませんか?」
「え??も、もちろんしていません!婚約者もいません!」
「そうですか・・・」
普段の私なら断っていただろう。
この時の私は、スレイン様との婚約破棄と妹との結婚の話に動揺して正常な判断が出来ていなかったのかもしれない。
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
こうして私は、この日からエニフィール様のお屋敷に住まわせてもらうことになったのだった。