危機を乗り越えろ(ティア視点)
(なにこいつ……侵蝕域にはこんな化け物が彷徨いているっていうの!?)
《グルフゥゥ……!》
結晶を生やした怪物は、四つ足を大きく開いて完全に戦闘態勢に入る。
頼れる者が存在しない今の状況で、戦わなければ命を落とすんだということを理解した私は、心臓をこれまでの人生で体験したことがないくらい高鳴らせて魔術を発動するために詠唱する。
"輝きの聖剣よ……! 我が旅路を鎖す者らを、神をも焦がす光で退けよ……!"
「"クラウ・ソラス"!!」
クラウ・ソラスは火の魔術で創り出した黄金の聖剣。
私に対して害する心を持つ者には、万物を溶断する熱を刀身に纏って、接近戦の助けになってくれる。
《ガルゥアァァッ!!》
(来る……!)
凄まじい敵意を込められた咆哮と共に、怪物は弧を描くように私の元へと接近してくる。
私は腰を落として剣を構え、左手で詠唱不要の魔術を発動して牽制を図る。
「"火矢"!!」
火矢は礫状の光を放つ牽制魔術。
着弾の衝撃に伴って発火し、礫の速度は標準的な反射神経を持つ者が、中距離から目視して回避するのが困難な程度にはある、汎用性に優れた魔術。
……ではあるけど、こんな敵意を持って素早い生き物に接近されているプレッシャーからか、狙いがブレブレで掠る気配すら無かった。
(ヤバイヤバイヤバイ……! 全然当たらない……!)
あと数歩踏み込まれたら、確実に凶牙の餌食になってしまう……後退りしながら必死になって撃ち続ける。
速さを求めて直線的な動きに切り替えた、怪物の顔を覆う結晶にようやく命中させることができたものの、意に返していないかのように直進する怪物は一気に跳躍し、その勢いのまま私の身体は押し倒されてしまう。
「きゃあぁぁ!!」
《ガフアァァ!!》
「いやっ……! 離れてっ……!」
私の首筋を狙って牙を立てようとする怪物相手に、両腕を使って抵抗したものの、力の差は歴然で数秒も保たないことは明らかだった。
何とかしようと集中した私は、力を振り絞って怪物の結晶に覆われた首にクラウ・ソラスを押し付けて、結晶ごと焼き切ろうと企てる。
私が食われるか、結晶が溶けて怪物を焼き切るのが先かの我慢比べが勃発した。
「届い……てぇ……!!」
火事場の馬鹿力というのは本当にあるようで、とっくに押し切られて牙を立てられていてもおかしくないのに、私の腕は既のところで牙を届かせないようにと、細腕からは信じられない力を発揮している。
その甲斐あって、結晶の溶断が間に合った刃がそのまま首に押し付けられて、怪物は苦しみに満ちた叫び声を上げた。
《ギャキャウゥンッ!?》
「だあぁぁぁッ!!」
苦痛から逃れようとする怪物に対し、私は両腕で剣を持って肉に食い込む灼熱の刃を振り抜き、怪物の首を両断して危機を乗り越える事ができた。
「はぁっ……はぁっ……!」
勝利と絶命を逃れた高揚感が全身を支配して息を荒げる。
肉体が分かたれた怪物は、狂った世界の土に溶けて行くように姿を消し、再び孤独になって静寂が訪れたことを認識し、冷静になった私は侵蝕域の恐ろしさに心を飲まれてしまった。
「う〜……死ぬかと思ったよぉ……!」
思わず涙が零れ落ちて身体が震え上がる。
両腕で自分の身体を抱きしめ、必死に声を殺して恐怖に抵抗する。
その甲斐あって何とか震えと涙を抑えた私は、立ち上がって衣服の汚れをはたき落とし、前向きにこの地獄を進んで行く決意を固めた。
「一先ず海源さんを探さなきゃ……立ち止まっていてもズルズル死んで行くだけよ……」
頬に残る雫を拭って侵蝕域を進んで行く覚悟を決める。
そんな私の甘っちょろい覚悟は即座に打ち砕かれることになった。
「……ッ!? うそ……」
《ガフウゥゥゥ……》
戦闘の音につられてやってきたのか、同型の怪物が三体も私の前に立ちはだかった。
(無理……! 一体でも死にかけたのに、三体なんて絶対無理……!)
臆してしまった私は、魔術の詠唱をすることなく後退りして、戦意喪失を露わにしてしまう。
その意を感じ取られたのか、怪物達は警戒心を持つことなく疾走して、私の命を刈り取りに来る。
《グルアァァッ!!》
「……ッ!!」
三体纏めて私めがけて飛び掛かって来た瞬間に、私は確かな死を予感し全く動けなくなってしまう。
死を前にして目を閉じると、母と国を転々として過ごした頃の走馬灯が走った。
(お母さん……)
(ティア、貴女は呪われた子なんかじゃない……優しさと思い遣りを持って生きていけば、それをわかってくれる人が必ずいるわ……)
(そうかな……)
(そうよ、そしてそれはいつか強い絆になる……その絆を大事にすれば、どんな偏見や困難だって乗り越えて行けるわ……今は苦難に満ちているけど、何があっても諦めたら駄目よティア……)
母の記憶が、諦めていた私の心を奮い立たせてくれる。
活目した私は、接近に対応できる無詠唱の防護魔術を即興で発動した。
「"焔の装衣"ッ!!」
《キャウンッ!?》
自身の周囲に火炎を発生させて侵入を拒む障壁の魔術。
固さも備えた焔の障壁は怪物の侵入を拒みつつ、結晶に覆われた顔面を燃焼させたことで身を守る結晶を融解した。
「死んでたまるもんですか……! "クラウ・ソラス"!」
体勢を整えた怪物達を迎え撃つために、クラウ・ソラスを発動して身構える。
《グルゥッ……! ガアッ!!》
醜い顔を曝した怪物は、再び徒党を組んで私へと襲いかかりに来る。
中距離の間合いから怪物達が飛び掛かった瞬間、怪物達の胴体に赤いロープのようなものが巻き付き、三体纏めて空中に連れて行かれた。
《ガアァァァッ!?》
「えっ……!?」
「誘身砕震……」
怪物が連れて行かれた上空を見上げると、そこには高く飛び上がった男の人がいて、宙に浮く怪物達に対して攻撃を加えようとしていることがわかった。
「"堕天殺"!!」
《ギャババババァ!?》
「きゃっ……!?」
男の人は空中で回転しながら、右脚による蹴りと左脚による踵落としを交互に繰り出しながら怪物を落下させ、最後は縦一列に纏め上げられた怪物達が地上に落下する瞬間、右拳を怪物に叩きつけて、衝撃が貫通した地面に大きなヒビを創った。
私はその衝撃で尻もちをついてしまった。
「へっ」
拳を叩きつけられた怪物達はその衝撃に耐えきれず、三体纏めて土に溶けていく。
汗一つかかずに怪物達を殲滅した男の人は、こちらに軽く顔を向けて微笑んだ。
「あ……」
「ごめんね怖い思いさせて」
助かったという安心感から、ついほろりとしてしまった私を気にかけての言葉なのだろう。
嬉しさはあったが、他人に弱さを見せたくない生き方からくる性格が災いして、キッと目つきを鋭くして涙を拭い、差し出された手を無視して立ち上がった。
「何てこと無いわ……」
「先に行っちゃった時はどうなることかと」
〘侵蝕域は入口の安定しない空間だ、逸る行動一つで死が近づく、突出するような真似は控えるんだな小娘〙
「う……」
「まぁ俺が事前に言わなかったのが悪いんだしさ、あんま責めてやるなってプラム」
〘こういった手合いはまたやりかねんからな、これから行動を共にする以上は釘を刺して置かねばならんだろう〙
死にかけた事実がある以上、反論ができない……。
不甲斐無さからくる恥ずかしさで、顔を見合わせることができずに俯いた。
「ごめんなさい……」
「あんま気に病まないの、それじゃあ改めて一緒に行こうか?」
男の人は侵蝕域の中でも相変わらず、飄々とした態度で余裕を崩さない。
その余裕の裏付けである強さを間近で見たことで、彼に対する確かな信頼感が芽生えていた。
――――――――
「あの……」
「ん?」
「貴方の名前、聞いてなかったなって思って……あ、私はティア……【ティア・フィオーガ】よ」
「そういえばそうだ……俺はジン・ウッドランド、よろしくなティア」
「ジン……さっきはありがとう、私一人だったら多分やられていたから……でも良く私の居場所がわかったわね。こんな代わり映えしない景色の中で離れ離れだったのに……」
「あぁ、居場所がわかったのはプラムのおかげなんだ」
「プラムの?」
〘我は他者の生命エネルギーを感知することができる。その能力を用いて、侵蝕域に入った瞬間からお前を探知していた〙
「へぇ…………待って、じゃあその力を使えば海源さんも見つけられるんじゃ……」
〘残念だが無理だ、感知するには対象の生命エネルギーを一度でも肌に感じ取らねばならないからな……お前を感知できたのは、事前に魔術を披露していてくれたからだ〙
「あぁ、あの時の……それじゃあノーヒントでこんな広い世界で、海源さんを探さなきゃならないのか……」
〘いや、探す必要は無い〙
「え?」
〘生きてさえいれば、侵蝕域を解放した際に共に生還できるからな。どこにいるかわからない人間を探すより、核である裂け目を目指して解放を優先した方が良い。裂け目を破壊すれば侵蝕域は解放されるからな〙
「でも……その裂け目だって何処にあるかわからないじゃない、それじゃあどっちみち同じなんじゃ……」
〘案ずるな、我には裂け目の位置がわかる〙
「え……何で?」
〘知らん〙
「知らんって……!」
このプラムっていう生き物は謎に塗れている……そもそもこんな蛇みたいな生き物が人の言葉を喋っている時点でおかしいのよね。
「まぁ信用して良いよ、これまでもこいつの言う事聞いていれば辿り着けたし」
「わかったわ……ノーヒントで彷徨うよりはマシだし……それにしても広すぎない? 外からみた侵食域の範囲と、明らかに面積が違うと思うんだけど……」
〘基本的に、飲まれた範囲の50倍以上は広さがあると思っていい。侵食域に常識は通用しない〙
「本当に恐ろしい場所ね……」
話を聞くたびに、恐怖を誤魔化して真っ先にここに入った軽率さの後悔が強まっていく。
反省の意を込めて警戒心を強めて移動していた私は、不快な音が遠くから響いたことに気づいた。
「待って……何か聞こえない?」
「え?」
耳を澄ますと、金属同士がかち合う音が確かに遠くから響いたことがわかった。
「やっぱり聞こえた……こっちね……!」
〘おい小娘っ……! ちっ! 引き戻してやろうか……!!〙
「まぁまぁ、付き合ってやろうじゃないの」
また軽率な行動を取ってしまった罪悪感に身を包まれつつも、響いた音に嫌な予感を覚えた私は必死に音が鳴る方角へと脚を早める。
音源の元へかなり近づいたものの、この先の道が途切れた崖になっていることが見えた私は、崖の境目に立って崖下を見下ろすと、そこには結晶を生やした人型の怪物と、それに対峙する一人の人間の姿を発見する。
「あれは……海源さんだ……!」
その人こそ、私の恩人である海源さんで間違い無かった。