凍てついた神域
出立から5日かけて旧巫宮へと辿り着いた一行は、侵蝕域の規模と植物や地面が凍てついている周辺環境の異常さに、息を飲んで佇んでいた。
「何これ……もう春も終わる頃だって言うのに……」
「周辺環境にまで影響を与える侵蝕域か……もはや怪異の類だな」
《近付いて確信できた……やはりここには、我の真実にまつわる何かが眠っている……しかし、寒すぎるな……》
「旧巫宮……へへ」
小さく身震いをしているジンを察知したティアは、さしものジンでもこの寒さと侵蝕域の得体のしれなさに恐怖しているのかと案じ、今にも逃げ出したくなっている自身の心を誤魔化す目的も兼ねて、からかいの言葉を投げかける。
「ふふっ震えちゃって、流石のジンでも怖いのかしら?」
「いんや、むしろワクワクしてんのさ」
「ワクワクって……」
「こんなデッカイ侵蝕域の中にはどんな景色が広がってるんだろうな……へへ、考えただけで震えが止まらねぇよ。それに、雪女ちゃんがどんだけ美人なのかも気になるしなぁ!」
「ほんっとあんたってば…………」
「何だよ?」
「何でもないっ」
緊張感が無い、馬鹿なんだから……紡がれるはずだった言葉は、ジンが向けたひたむきな笑顔によって恐怖が融解したティアの、複雑な心境と共に飲み込まれることとなる。
恐怖を乗り越えて生まれた緊張が途切れぬ内にと気持ちが逸るティアは、そそっかしく侵蝕域へと脚を進めた。
「ほら、早く行きましょ! こんな寒いとこに長居したくないわ」
「へいへい、お姫様の言うとーりに」
「皆のもの、出陣ー!」
「ノッてくんのかい……」
《空元気だ、察してやれ……うー寒っ》
「昔っから寒さに弱いよなお前、やっぱ蛇なんじゃねぇの?」
《絞め殺すぞ大うつけ》
「うー怖っ」
視界に闇しか映らなくなる距離まで近づいた一行は、この異常な冷気が侵蝕域の中から放たれている事を確信する。
「やはり冷気の出処は侵蝕域だったか」
「ひゃーこりゃ一段とさみぃなぁ、防寒着買っとくんだったぜ。ティアなんてその格好じゃ余計さみぃだろ、大丈夫なのか?」
「ふっふー、心配ご無用。早速私の力が役に立つ時が来たわね……"暖露飴"!」
ティアの掌から暖かな光を放つ小さな球体が四つ放たれ、ティアはその内の一つを口へと放り込んだ。
「はい、皆も飲んで飲んで。あっという間に身体がポカポカするわ」
「飲んでって……こんな得体の知れねぇもんやだよ」
「大丈夫よ、毒なんて入ってないから。噛み潰したらちょっと熱いかもだけど」
「つってもなぁ……」
《ぬっ!? 肉体から寒さが取り除かれてゆくぞ! おぉぉ暖かや暖かや!》
「確かに……このような魔術も存在するのだな」
「まじ……?」
躊躇いなく口にした二人に続き、ジンも恐る恐る喉へ球体を放り込むと、まるで体内に暖房が降って湧いたのかと錯覚する程に、一瞬で肉体に熱が灯った。
「うおすげぇ……」
「ふふーん、いいでしょこれ? 寒い時期はこれ一つで耐え忍んだものだわ。持続には個人差があるから、また寒くなったら言ってね」
《作り置きはできないのか? いくつかこいつの懐に忍ばせておきたいのだが……》
「作ってから5分もしたら消えちゃうから無理ね」
《そうか……》
見るからに残念がる仕草をするプラムを見たジンは、気持ちの悪い笑顔を浮かべながら「変温動物辛そー」と口走りかけたが、絞め殺されたくない思いがギリギリで勝ったようだ。
気を良くしたティアはいの一番に侵蝕域の入り口へと脚を進める。
「さぁ身体も暖まったところで、いざ出陣ー!」
《おいコラ、身体を接触しながら同時に入らないとまた迷子になるだろうが》
「……」
「忘れてたろ?」
「忘れてない」
「嘘つけ見栄っ張りー、あだぁッ!?」
「さ、行きましょー」
鳩尾に肘を叩き込まれ、悶絶するジンを無理矢理引っ張りながら一行は侵蝕域へ侵入する。
「うわっ……何というか、凄い悪趣味……」
「一面氷張りだな、脚を滑らせぬよう気をつけねばな……」
内部は洞窟の中に墓場や反転した鳥居等といった、オカルトな様相を思わせる人工物がうち捨てられた景色が広がっており、一面が氷漬けとなった寒冷地となっている。
歴戦の解放経験を持つジンと海源は一目見た瞬間に、攻略が過酷なものになる事を確信したようだ。
「んじゃプラム、早速目指す場所を教えて頂戴」
《少し待て…………ん?》
「どうした?」
《妙だな……裂け目がひとりでに移動しているぞ》
「裂け目は一所に留まるものなはず……。外に漏れ出る冷気といい、やはりこの侵蝕域は正常では無さそうだ」
「マトモな侵蝕域なんかありゃしないよ。もしかしたらお化けとかも出るかもなー」
「お化けなんかより侵蝕獣の方が何倍も怖いわ。さっさと裂け目を壊してこんな場所、おさらばしましょう!」
侵入から30分経過した頃、あまりにも静かな状況が続く事に、一行は違和感を覚え始める。
「あれだけ大規模な侵蝕域でありながら、侵蝕獣に未だ出くわさぬとは……かえって不気味と思わんか?」
「面倒が増えなくて良いんじゃないの?」
《どうにも他の生命エネルギーを感じ取れぬ……ある程度は感知できるものなのだがな。不吉な予感がするぞ……》
「ねぇ待って……あの氷像、変じゃない?」
ティアが指差した氷像は明らかに8つ足の熊のような生体を模した形を成しており、まるで今にも動き出しそうな存在感を放っていた。
「これもしかして侵蝕獣……?」
「躍動的な造形だな、まるで生きたまま凍らされたかのように……」
「侵蝕獣もこの寒さで凍えちまったのかねぇ」
《こんな厚い獣毛に覆われた生物が、環境要因で氷漬けになるなど考えられん。どれ……》
身体を氷像へと伸ばしたプラムは、舌を這いずらせて表面を舐めとると、少し身体を震わせた後に確信めいた表情を浮かべる。
《この氷……水の魔術によって発生したもので間違いない》
「魔術でって……私達以外に侵入した他の誰かがやったのかしら?」
《いや……何というべきか、常人が扱う生命エネルギーで生み出された魔術ではないことは確かだ。魔女が生み出した魔術によるものと断言しても良い》
「じゃあ水の魔女が……!?」
「過去の攻略作戦で水の魔女が同行したという記録は無い筈だが……」
《どういうことなのだ……うー寒っ。ティア、あの暖まる魔術をもう一度分けてくれ……舌も凍えてしまいそうだ》
「俺も寒くなってきたぜ」
「はいはい、"暖露飴"」
掌に生成された四つの飴のうち、三つをジンが手渡しで受け取ったその瞬間、氷像の目に爛々とした紅い光が灯る。
【……ヒュー】
「え……?」
【カァァァァッッ!】
「危ない!!」
「うわッ!?」
「ぅあ……ぁ…………」
「ッ!? ティア!!」
氷像の口から冷気を帯びた閃光が放たれ、ティアは光の中に飲み込まれてしまう。
光が明けると、そこには全身が凍りついたティアの姿があった。
「くそっ……! 擬態してやがったか!」
【ガァァァァッ!!】
《まずいぞ!》
侵蝕獣は凍りついたティアへと猛突進を仕掛けた。




