喪失の従者(レイア視点)
――ブリットが獣人達が住まう島で、プロレスラーになることを決意して一月が経った頃。
クルグロフ家にクビを言い渡された家政婦の【レイア・リンデグレーン】が、マートマの小さな酒場で店の主人と会話を交わしていた。
「レイア……飲みすぎじゃないか?」
「……」
「クルグロフ家の家政婦をクビになったことを引きずっているのかい? マートマや近隣の町村での日雇い家政婦業が順調に板について来たと言うのに……」
「そんなんじゃないわ……」
「ならブリット様の事を気にしているのかい?」
――レイアはグラスに注がれた安物の赤ワインを、味を楽しむことも無く喉奥へと流し込んで行く。
「これを見てマスター」
頬に僅かな赤らみが色づいたレイアは、懐にしまっていた手紙を主人へと手渡し、主人は手紙の内容を黙読して狼狽えた様子を見せる。
「これは……」
「奥様が言うには、ブリットお嬢様が残していった手紙だそうよ……」
「お嬢様が失踪した理由として、マリーダ様が民に公表していた内容通りだな。
これがどうかしたのかい」
「……こんな手紙、捏造よ」
「?」
「私は7歳の頃にクルグロフ家に仕えて、15年間歳が二つ下のお嬢様との時間を過ごしてきた……勉学をしたり、食事をしたり、民に混ざって畑仕事をしたりするお嬢様をずっと側で見てきたわ。
食器の持ち方から、何気ない仕草、お腹が鳴るタイミングまで、私はお嬢様の全てを把握している自負がある」
「…………そうなんだ」
「そんな私だから解かるの……この手紙に書かれた文字、良く似せてはいるけれど、お嬢様の筆跡とは異なるものだってね。
これは間違いなく、お嬢様が残した手紙なんかじゃ無いわ」
「つまり……ブリット様は自らの意思でマートマを離れた訳では無いと主張するつもりかい?」
「ええ……そもそも、あのポジティブが服を来て歩いているようなお方が、聖女になれなかったくらいでここまで大袈裟に恥を覚える訳が無いじゃない」
「それもそうだね……でもそうなると、ブリット様は何者かの手によって拐われた、もしくは殺害されたということになる……」
――グラスに注がれたワインを飲み干したレイアは、クールな印象を持たせるつり目をより厳しく尖らせた表情を浮かべていた。
「……お嬢様の失踪には、奥様が関わっている……私はそう考えているわ」
「民の中にはそういった陰謀論を唱える者も少なからずいるが……君も同じ口かな?」
「お嬢様がいなくなる前日……聖女になれなかったお嬢様に、奥様は今までに無いほどの怒りをぶつけて、強い失望を秘めたような表情を見せたわ……。
それに、いなくなったことがわかったあの日……奥様は、これっぽっちも慌てた様子を見せることは無かった……。
いくら衝突が絶えない仲だからって、血を分けた娘に対して取って良い態度じゃない……」
「業を煮やした奥様が、お嬢様の失踪、もしくは殺害に関わっていると……」
「それだけのことで奥様が関わっていると考えるなんて、馬鹿げていると思うでしょ……。
でも……あんな奥様を見てしまった私には、どうしたってその疑惑を拭うことができないの……」
「……まぁ、かく言うわたしも奥様が怪しいとは睨んでいるけれどもね」
「え……?」
「ブリット様はマートマの希望と言っても良いお方だった……昔からクルグロフ家は、民に対して傲慢を働く貴族として嫌われていた存在だったが、ブリット様は違った……。
民に寄り添い、共に土仕事をして作物を収穫する喜びを分け合って笑顔を与えてくれた……。
更にクルグロフ家御用達の業者が作物を安く買い叩き、その業者から見返りのバックマージンを受け取るビジネスを撤廃し、公国城下街の信頼性の高い卸売市場に作物を販売委託するルートを確保したことで、農民が不当に貧しい生活をしなくても済むようにしてくれた……」
「マスター……」
「マリーダ様はクルグロフ家の代々続いたビジネスを潰し、民に寄り添う方針を掲げるブリット様を憎んでいて、家が成り上がるための望みである聖女にもなれなかったことをきっかけに、ブリット様を切り捨てて妹のローラ様を次期跡取りに据えた……。
わたしはそう考えている」
「同感よマスター……お嬢様がいなくなって一番得をするのは奥様だものね」
「とは言え証拠は無い」
「そう……だからどうにもできない。
母の時代から長年仕えてきた家に、こんな強い不信感を抱くなんて思わなかった……。
それに、ブリットお嬢様に会えない日々が永遠のものになることが受け入れられなくて……飲まないとやっていられないわ……」
「程々にしておきなよ……もしかしたら本当に旅に出ただけかもしれなくて、ある時ひょっこり帰ってくるかもしれない。
そんな呑んだくれた姿をブリット様に見られたら失望されてしまうよ?」
「……そうね、希望を捨てちゃ駄目よね」
レイアは酒代を主人の手元へと置き、席を立って主人へと深々と頭を下げた。
「ありがとうマスター……」
「どういたしまして、またのご来店をお待ちしておりますよ……」
酒場を出たレイアは晴天の空を見上げる。
「きっとどこかで生きている……そうよねお嬢様……」
希望を胸に、レイアは酔った足取りで自宅への道のりを歩んで行く。
「うっ……飲み過ぎた……あぁ……」
「おっと……」
「あ……ごめんなさい…………っ!?」
酔いが回り、足元がふらついたレイアは通りすがりの大柄の男にもたれかかってしまう。
謝罪と共に顔を見合わせたレイアは、その男が獅子の顔つきをした、この辺りでは見かけない獣人であったことに動揺した。
「いや、無事で良かった……それでは」
「…………」
凸凹とした大袋を背負って去って行く男の背を、レイアは呆けた様子で立ち止まって見送った。




