ド田舎お嬢様、波乱の始まり
――ガイアエレヴの北方に位置する【アイスノルド大陸】。
その中心地には有力貴族達が集う大国家、【エランゼラ神聖王国】が存在し、世界で最も絢爛な建造物と謳われるエランゼラ城の内部では、貴族達による集会が開催され、明朝からに美しいクラシックが鳴り響く。
貴族達の社交の場であるホールで、何やら本日は特別な儀が行われようとしているようだ。
「紳士淑女の皆様方、本日は"聖女の儀"にご参加いただいたこと、心よりお礼を申し上げます」
――宗教的な意匠を凝らした、貴族の集まりに似つかわしくない服装をした男性がホールに呼びかけると、踊りや談笑を楽しんでいた貴族達は一斉に男へと向き直り、盛大な拍手を浴びせる。
「先ずはエランゼラ神聖王国に実りと平和をもたらした先代聖女、カミラ・ニールセン様へ深き哀悼の意を捧げましょう……」
――貴族達は祈りの所作を行いながら黙祷を捧げ、20秒は経過したところで宗教的な男性が両手を叩き、貴族達はそれと同時に目を開けて黙祷を終了する。
「先代聖女が没して早1年……神聖王を担う聖女の再臨がこの神聖なる儀式の場で今宵、果たされることを願います……それでは聖女候補たる淑女の皆様方は、中央へお並びください」
――華やかなドレスに身を包んだ今年、20の歳となる淑女達はホールの中央に集まり、ソワソワとした雰囲気を醸し出している。
だがそんな雰囲気に流されない、空気を読むこと無く皿に乗せられた料理に舌鼓を打つ異端が存在した。
「ん〜! マートマ産の野菜と鶏肉は美味ですわ! 一流の料理人によってその格別さがより一層引き立てられて……」
「あの〜……」
「はい?」
「聖女の儀が始まりますので……貴女も聖女候補でしたよね……?」
「……は!? そうでしたわ……料理が美味しすぎて、つい夢中になってしまいました……」
「ははは……」
――男性は引き攣った笑顔を浮かべながら、ホールの中央へと傍若無人な淑女を案内する。
空気の読めなさに加え、少量のドレッシングを口の周りに付着させていることに気づかない愚鈍さを見せつける彼女に、周囲の貴族達は声を抑えて嘲笑を浴びせる。
「何ですのあれ……とんだ恥知らずですわね」
「あれはクルグロフ家の娘ですわ……何でも農民階級の者達に混じって土仕事をしているとか」
「信じられませわね……! 領地が田舎なら、統治する者も田舎者に染まってしまわれるのかしら? 見ていて恥ずかしくなりますわ……」
「図体も随分大きいですわね……ドレスが全く似合っていなくて、笑っちゃいますわね」
――陰口も何のその、185cmもある長身で優雅に歩を進めて中央に集まる淑女達の最先端に立ち、腰に両手を当てて大きく脚を開く様は、とても貴族の令嬢とは思えぬ出で立ちであった。
「さあ! 聖女の儀を始めましょう!」
「進行は私の役割ですので……」
――男は淑女達の手の平へ小さな器に入った水を滴らせていき、儀に参加しない貴族達は手を濡らした淑女達の手に蜜の香りを纏う香木を置いていく。
「これより聖女の儀を執り行います……名を呼ばれた方はこちらの"聖木の印"の前に立ち、香木を印の中央に置いて"聖女の奇跡"を試みてください……。
奇跡によって香木の伸長に成功した方こそが次代の神聖王、【木の聖女】となります。
それではアンナ・クリーク様、こちらへ」
――名を呼ばれた淑女は聖木の印と呼ばれた樹木を象る白い紋章の前に立ち、そこへ置いた香木へ向けて手をかざしたが、一向に何も起きる気配は無かった。
「残念ながら貴女には聖女の資格が無いようです」
「くぅ……!」
「それではオーリン・グレンダール様、こちらへ」
――次々と聖女の儀に淑女達は挑戦していくが、誰も香木の伸長の成功を果たすことなく、無益にも時は過ぎ去って行くばかり。
そして最後の一人……傍若無人さを見せつけた淑女の出番が回ってくる。
「えー……では最後の方、【ブリット・クルグロフ】様、こちらへ……」
「よーし、やりますわ! やってやりますわ!」
――ブリットは意気揚々と聖女の儀に臨んでゆく。
「あんな田舎者が木の聖女になれるはずありませんわ……」
「はぁぁぁぁ…………!」
――立てられた香木に力を込めてゆくと、香木がそれに呼応するかのようにカタカタと揺れだした。
「えぇっ!?」
「まさか……!」
「来ましたわ! 香木よ、伸びてくださいまし!!」
――力を込めすぎてガニ股の体勢になっていることにも構わず、ブリットは香木の伸長を願って更に力を入れる。
香木の揺れも強まっていき、周囲の誰もが奇跡が起きることを予感したその時―――
香木はバランスを崩して倒れた。
「…………」
「おかしいですわ……全然伸びませんわね……」
「……これにて聖女の儀を終了致します。聖女様の再臨が叶わなかったことは非常に残念です……来年に期待致しましょう」
残念がる貴族達は早々にホールを退出して行き、一人未だに奇跡の発現を試みるブリットと儀を執り行った男を残して全員が去っていった。
「ああ、もう帰っていいですよ田舎貴族様」
「ポカしましたわ……!」
――――――――――――――
――集会を終えて実家のクルグロフ邸に帰ったブリットは、母親から鬼気迫る叱責を受けていた。
「聞きましたよブリットォッ!! とんだ恥を晒したあげく、聖女になることもできなかったそうではありませんかッ!!
よくもノコノコと恥も無くわたくしの前に顔を出せましたわねェ!?」
「母上様! 確かにわたくしは聖女にはなれませんでしたわ!!
しかし、わたくしはクルグロフ家の次期跡取りとしてやるべきことはやってきましたわ!」
「何をしてきたと言うのです!?」
「マートマのお野菜とお肉の素晴らしさを力説し、なおかつ美味しそうに平らげることでマートマの農家が如何に優れたものであるかを証明して来ましたわ!!
貴族の方達と教会の方に新鮮なお野菜を渡して取り入ることも忘れませんでしたわよ!」
――満面の笑顔でグーサインを出し、ズレた頑張りを主張するブリットに血の気が引いたのか、奥方は頭を抑えながらふらりと壁に身体を預ける。
側にいた家政婦は奥方の身を案じ、焦った様子を見せながら濡れたタオルを奥方の額に当てた。
「もう良いです……貴女と話すのは本当に疲れます……何処で育て方を間違えたのでしょうか……」
「母上様は間違った育て方などしておりませんわ! こんなにも逞しく、土仕事に耐えられる身体を授けてくださったのですから!」
「…………」
「母上様?」
――呆れ果てた奥方はフラフラと部屋から出ていき、側にいた家政婦はどうして良いかわからずにオロオロとしている。
自身に非があるとはこれっぽっちも思っていないブリットは、不思議そうな表情を浮かべて首を傾げた。
「何故こんなにも母上様はお怒りになられるのでしょう……わたくしが聖女になれなかったことがそんなにも気に食わなかったのかしら?」
「お嬢様……奥様のお怒りはご尤もですよ……」
「何故ですレイア?」
「農民と一体になって仕事をするというお嬢様の理念はご立派ですが、それを外に持ち出しても他の貴族の方達からは到底受け入れられることじゃありませんよ。
ただでさえクルグロフ家は田舎貴族と嘲笑されて弱い立場にあるのに、次期跡取りであるお嬢様が率先して農民に媚びていては示しがつかないでしょう……」
「媚びてなどおりませんわ! わたくしはノブレスオブリージュの理念に基づいてマートマの農耕の素晴らしさを大陸に浸透させようと……」
「私はわかっておりますよお嬢様……ただ奥様にはその理念を受け入れる余裕が無いのです。
長年弱い立場に立たされて憔悴している奥様のお気持ちを理解して、もう少し落ち着いた行動を取ってあげてください……」
「むむむ……」
―――――――――――
――多くの民が寝静まる時間帯に、ブリットはベッドに入って眠れない夜を過ごしていた。
母からの叱責と、家政婦であるレイアの指摘が脳内で鳴り止まないようだ。
(確かにクルグロフ家が田舎貴族と嘲笑され続ける現状はどうにかすべきと思っていますわ……だからこそ、わたくしはわたくしなりのやり方でマートマが、他の領地にも劣らない素晴らしい領地だと証明するために頑張っておりますのに……)
――母の苦悩を理解しつつも、自身にだって譲れない思いがある。
せめぎ合う感情にどう折り合いをつけて良いか迷いが生じたブリットは、答えなどそう簡単に出るものでは無いと結論づけ開き直る。
「……いつかは母上様も理解してくれますわよ。明日は早いからしっかり眠らなければ……」
――眠りにつこうと目を閉じた瞬間、部屋の扉が静かに開く音を聞いたブリットは、身体を起こして誰が入室したかを確認する。
「誰ですの……?」
「…………!?」
「……っ!!」
――紺色のローブに身を包んだ、あからさまな不審者が二名も侵入してきたことに驚愕したブリットは、大きな声で侵入者を威嚇する。
「何ですの貴方達はッ!?」
「…………!!」
「いやっ……!? 誰かっ!! 曲者でむッ!?」
――布に散布された薬剤を嗅がされたブリットは、その意識を闇に落とした。
―――――――――――
「…………んぅ?」
――覚醒したブリットは、混濁する意識を整わせながら自身の身に何があったかを確認する。
「……確か曲者に眠らされて……どこですのここは……?」
――身体を起こしたブリットは、周囲の状況を確認する。
周囲を見回したブリットは、自身が置かれた状況に大きな絶望を覚えた。
「……海のど真ん中じゃありませんの!? どうなっていますの!? ひやぁっ!?」
――大声を上げたのもつかの間、呼応するかのように波が大きく荒れだし、ブリットは小船に捕まっているのがやっとの思いで、濡れながら荒波に耐え続ける。
「はわわ……た、助けてくださいまし!! わたくしまだ死にたくありませんわっ!!」
――助けを求める声は無情にも広大な波の音に攫われて、誰にも届くことなく溶けてゆく。
頑張って耐え続けたブリットであったが、小舟自体が荒波に耐えられず、ついに命運が尽きる時がやってきてしまった。
「あぁ水がこんなに入って来て……!? もう駄目ですわ……きゃあぁぁぁっ!!?」
――小舟がひっくり返り、海に落ちたブリットは荒波に攫われてその姿を大海に消した。