選択(クレス・アン視点)
コテージに辿り着いた俺はガキ共に顔を見せること無く真っ先に風呂へ入り、浴場に設置された鏡の前で、魔女の前で難しい顔を浮かべないように笑顔の練習を行う。
(…………我ながら、笑っている方がおっかねぇ顔していやがるな)
作り慣れていない笑顔は大きく引き攣っており、こんな顔で人前に立とうものなら十中八九、警戒されるか通報されるような酷い顔をしていた。
俺はあらゆる表情を試してみたが、そのどれもがガキを泣かしかねない面で、いつも通りの仏頂面が一番マトモな表情だと理解し、歯噛みした。
(せめて髪型だけでもマイルドにしておくか……)
乱雑に刎ねさせた長髪を整え、後ろ髪をヘアゴムで纏めあげる。
これである程度、表情の厳つさが柔らかになったと確信した俺は浴場から退出し、身体に纏わりついた水分をタオルとドライヤーで削ぎ落として、淑芬が用意した替えの衣服に手をかけたが……。
「なん……じゃ……こりゃッ…………!?」
――――――――――――
「この人こそ、我らが紅牙傭兵団の団長、クレス・ヒートハーツのアニキだぜ!」
「……!?」
カイお兄ちゃんが見せてくれた写真に映っている団長さんの姿は、目も髪も身体の大きさも、全部があたしのお義父さんにそっくりで、とてもショックを受けたあたしの体は勝手に震え出した。
「震えるのもわかるわアンちゃん……団長、怖い顔しているもんね」
「俺達もガキの頃は、慣れるまでビクビクしたもんなぁ」
「違うの……怖いけど……違うの」
「「 ? 」」
顔が怖いからじゃない。
団長さんがお義父さんに似ているから……お義父さんを見るだけで、あたしはどうしようも無く怖くなっちゃうから……。
団長さんとお義父さんは違う人だってわかっているのに、写真に映る団長さんの顔を見ると、お義父さんに怒鳴られ、ぶたれた記憶が溢れ出して止まらなかった。
「大丈夫アンちゃン?」
「…………」
「クレスおじさんにお義父さんの姿を重ねちゃうノ?」
「……うん」
「お義父さんに酷いことをされて来たものネ……仕方が無いことだワ」
淑芬お姉ちゃんが、あたしの背中に手を置いて優しく撫でてくれたおかげで、少しだけ震えが良くなった。
「でもクレスおじさんは絶対に理不尽な暴力を振るうような人じゃないかラ、ちょっとずつで良いから慣れてあげテ」
「うん……頑張る」
「ありがとウ。クレスおじさんはこう見えて結構お茶目な人だかラ、すぐにでも好きになれると思うワ」
暫くして家の中の何処かから扉が開く音が聞こえて、淑芬お姉ちゃんはその音が鳴った場所に向かって行く。
すると大人の男の人……多分、団長さんとお姉ちゃんの会話が微かに聞こえて来た。
「あらァ、お似合いじゃなイ♡」
「てめぇ……この服は何だ……?」
「私が言っていた根拠の答えヨ、その格好ならアンちゃんにもきっと怖がられないワ」
「こんな馬鹿みてぇな格好、あいつらの前で晒せってのか……!?」
「いいからさっさと部屋に入りなさイ、男は度胸ヨ」
「てめ……押すんじゃねぇ……!?」
ズルズルと引き摺るような音が近づいてきて、お義父さんに似た団長さんが直ぐそこまで来ていることを理解したあたしは、緊張して心臓のドキドキと汗が止まらなくなる。
そして、ドアノブが回された扉はゆっくりと開かれて団長さんがあらわれ―――――
「…………」
「…………熊さん?」
「……ぷっ」
「ぷふぉっ!」
現れたのは、黒と白の模様が特徴的な熊さんのような着ぐるみを着た団長さんだった。
「だーひゃっひゃっひゃ! 可愛いっすね〜アニキィ!! ひ〜ひっひっひィ!!」
「……ぷふふ」
カイお兄ちゃんは団長さんを指差しながら床で笑い転がって、セイラお姉ちゃんは目を背けながら口を抑えて笑っていた。
「…………」
「ほらねアンちゃン、クレスおじさんはパンダさんが大好きデ、パンダさんになりたいからって着ぐるみまで着ちゃうようなお茶目なおじさんなのヨ。可愛いでしょウ?」
(嘘こくんじゃねぇ……!)
(ホラホラ、しっかりアンちゃんとスキンシップしてあげなさいパンダさン)
「うお……お……!?」
「あ……!」
団長さんは、淑芬お姉ちゃんに背中を押されながらヨタヨタとあたしの所に向かって来る。
着ぐるみの可愛さで最初は気にならなかったけれど、近くで見上げた団長さんの顔はやっぱりお義父さんにそっくりで、しっかり向き合わなきゃって頭では思っていても、あたしの身体は無意識に震えて涙が溢れ出しそうになっていた。
「あ……うぅ……」
「……大丈夫か」
「!! いやっ……!」
(手を近づけられただけであんなに素早く頭を庇うなんて……)
(殴られることに対する防御反応……本能に刻まれる程、虐待が習慣化していたのネ……)
「……」
お義父さんじゃないってわかっているのに……わかっているのに、あたしは団長さんとお義父さんの姿を重ねてしまっている。
「怖いなら、無理しなくていいんだぞ……」
「…………!」
団長さんは、あたしを怖がらせないよう視線を合わせるようにしゃがんで、優しい声色であたしを案じてくれている。
その瞳からは、お義父さんと違って優しさが伝わって来るのに……それでもあたしは恐怖に負けて、その思いやりに応えること無く目を瞑って黙り込んでしまった。
「…………」
「あ……団長……」
「アニキ……」
「風呂に入れてやれセイラ……」
「あ……!」
団長さんはこんなあたしに呆れてしまったのか、諦めてしまったのか、部屋から出ていってしまう。
悲しげな表情と背中を見せていた団長さんの姿に、あたしは強い罪悪感と後悔を覚える。
どうしようも無く震えていた身体が、落ち着きを取り戻していたことが、何よりも情けなかった。
「ごめんなさい……」
「気にしない、気にしない」
「でもあたし、団長さんにあんな……」
「おじさんは子供に怖がられることに慣れているかラ、そんなに気にしていないワ」
「でも……」
「申し訳ないって思いがあるなラ、きっといつかわかり合えるワ」
「そうね……とりあえずお風呂に入りましょうか」
あたしはセイラお姉ちゃんにお風呂へ案内された。
「ふぅ……予想以上に深刻っすね……」
「そうねェ……何か仲良くなれるきっかけを作れれば良いんだけド」
「俺とセイラで取り持てるよう、頑張ってみますよ!」
「そうしてあげると嬉しいわカイ君……」
「任せといてください!」
「さて……私は傷心の団長さんを労ってあげましょうカ……」
―――――――――――――
豪雨が過ぎ去り、再び霧雨程度の雲模様と化した空の下、俺はベランダに出て葉巻を吸いながらアンの怯えた様子を何度も思い出していた。
「…………」
「やっぱりここにいタ」
淑芬は大傘をさしながら、ベランダの端に佇む俺の隣に居並ぶ。
「また濡れちゃうわヨ」
「放っておけ……」
「随分傷心しているわネ」
「してねぇよ……」
「無理しないノ、そんな寂しそうな顔しておいテ」
「…………」
またこいつはわかったような口を利きやがる……。
葉巻の煙がいつも以上に目に沁みることに耐えきれなくなった俺は、灰皿に葉巻を置いた。
「淑芬……」
「ン?」
「アンのことをイングスには報告しなかった」
「…………」
俺の言葉で全てを察したのか、淑芬はからかうような目つきを崩し、真剣な表情へ変貌させる。
「イングスから250万ベリルの報酬を受け取ることになった……それを受け取ったら、アンを連れて別の大陸へ活動拠点を移そうと思っている。」
「アンちゃんを守るためネ……」
「…………」
「侵蝕晶を産み出す力を持った土の魔女を失った共和国ハ、今頃血眼になってアンちゃんを探しているでしょうネ……。
それにアンちゃんの力が大臣さんにバレたラ、共和国がやっていたように侵蝕晶を産み出す仕事を強要されかねなイ……。
最悪、アンちゃんを巡って血で血を洗うような争奪戦が起こるかもしれなイ……。
そんな汚ない大人の事情ニ、子供が巻き込まれることを貴方は良しとしないものネ」
「…………」
淑芬は手摺りに置いた俺の左手に右手を重ねてくる。
「変わってないわネ、子供のためならお金もポリシーも捨てることを躊躇わないとこロ」
「勘違いすんじゃねぇ……気に食わねぇことに反発してぇだけだ」
「フフ、そういうことにしておくワ。あぁそれト……」
「?」
「アンちゃんガ、貴方を怖がっちゃったことを申し訳なさそうにしていたワ」
「……だからなんだ」
「嫌われているわけじゃ無いから安心してってことヨ。いつかは仲良くなれると良いわネ」
「余計なお世話だ……」
「フフフ」
満面の笑顔を浮かべやがって……だが、嫌われてはいないという言葉に少し安心している自分がいることは確かだった。
「雨が……止んだな」
「夕陽が綺麗ネ……」
そんな晴れやかな心に連動するように、暗がりな雲模様も過ぎ去って茜色の空が顔を出し、夕陽に照らされた淑芬は濁りない瞳を俺に向けて言葉を紡ぐ。
「また一からになるけド、頑張りましょうねクレス。どんな道を歩もうト、私は貴方に何処までもついて行くかラ」
「……ああ」
――――1人の少女のために、大陸で積み上げてきた傭兵団の信頼や実績の全てを捨て去る。
その選択をしたことに、クレスは一切の後悔と迷いは無かった。
だがその選択が、紅牙傭兵団と土の魔女に凄絶な運命を賭すことになることを、この時のクレスは未だ知る由も無かった――――
次回、水生木の章