オスマンサス・ダスク
※ボイコネライブ大賞応募作品となるためシナリオ形式にて執筆しております
※(M)は心の声です
【登場人物】
●千代六果/せんだいろっか
音読みちよろくかから通称チョロ子。20代後半。
意地っ張り。高学歴ニート。アンドリューとは犬猿の仲。
●安藤里遊/あんどうりゆう
通称アンドリュー。20代後半。
ハーフ顔イケメン。チョロ子は高校時代の同級生。
0:住宅街。夕暮れに染まる町を歩く六果
六果:はあ……こんな田舎くさい街で合コンしたって、いい出会いなんかあるわけない。あーあ、ハイスペックイケメン、どっかに落ちてないかなぁ
六果:……ん? この匂い。ああ、もうそんな時期か……
六果:(M)ふわり。風に乗って金木犀が香った。
六果:(M)むせかえるような甘い芳香に誘われ、厳重に鍵をかけた記憶の引き出しが、ミシミシと音を立てる。鈴なりに揺れるだいだい色の小さな花が、胸の中で散らばった。
六果:(M)――散らかって、また、むせる。
六果:やば、ここアイツん家の近くだ。あっちの道から行こ
六果:(M)消そうとすればするほど、存在感は増していく。
六果:(M)コンシーラーで覆い隠したクマをそっとなで、きびすを返した。
六果:(M)あれは過去の残り香か、今を漂う清香か――。
0:古い一軒家で目を覚ます六果
六果:ん……んん……。あれ、ここ、どこ……?
里遊:おお、やっと起きたか、チョロ子
六果:へ? その声……あ、あ、アンドリュー? なんであんたが!
里遊:ここ俺の家。よう見てみ。おまえ夕べ泥酔してうちの軒先で座り込んどったぞ。俺は親切で中に入れて寝かせてやっただけ
六果:え、まじ? うあ、最悪……
里遊:最悪はこっちじゃ。死体でも転がっとんか思うて、寿命縮まったっちゅうの
六果:えっと、ごめん……
里遊:はあ~。おまえ、いつもあんなしょうもない飲み方しよるんか
六果:(M)目の前の男、安藤里遊の双眸が細くなる。端麗なしかめっ面は、やけに冷ややかに映った。
六果:うるさい。別にいいでしょ。よりによってなんであんたなんかの世話になってんの。サイアク
里遊:うわ、かわいくな。おまえ高校んときからなんも変わっとらんな
六果:あんただってその口の悪さどうにかなんないの?
里遊:チョロ子に比べりゃ百倍マシじゃ
六果:その呼び方やめてって昔から言ってんでしょ! もういい。かわいげのない女はさっさと帰ります、さようなら
里遊:あ、おい……!
0:安藤家を出ていく六果
里遊:……あーあ。カバンもスマホも持たずにアホか
六果:(M)安藤家の玄関を飛び出すと、満開のオレンジ色が視界の端に広がった。
六果:ああもう、なんのために昨日この道を迂回したわけ?
六果:(M)アンサー。アイツに会いたくなかったから!
六果:(M)強く望まないことは、強く望んでいることと同じ。煩わしい法則から、今日も逃れられない。
0:しばらくしてから安藤家に戻ってくる六果
里遊:で? ひどい剣幕で出てったくせに、なんで戻ってきた?
六果:いや、だって、その……
里遊:ん?
六果:お、お母さんにこれ持ってけって言われて。はい!
里遊:は? なにこの紙袋。中身……タッパー?
六果:娘が一晩世話になったおわび。あと私のカバン返して
里遊:いやいやいい年こいて母ちゃんにわびさせんな。来るなら自らわびに来い。……もういい。上がれ
六果:はあ?
里遊:このタッパー煮物かなんかじゃろ。俺今から昼メシ。ついでにおまえも食ってけ。ほんでタッパー持って帰れ
六果:なんで私がアンドリューなんかと!
里遊:あ? 俺はおまえの敵かなんかか。つべこべ言わんではよ上がれ。タッパーが空んなったら、カバン返してやる
六果:……っ、はいはい、わかりました!
0:食卓を囲む二人
六果:家のひと誰もいないの?
里遊:おお。俺ひとりしかおらん。ジジババはみんな死んでしもた
六果:え……あ、えっと、その……私知らなくて。ごめん
里遊:お、チョロ子がヘコんだ。おもろ
六果:はあ?
里遊:ハハ。んな眉間にしわ寄せて怖い顔すんなって。別に謝るようなことじゃない。俺がひとりになったのはもう何年も前じゃ。なんも引きずっとらん
六果:ふーん……。なら、いいんだけど……
里遊:……チョロ子は? なんで今さら実家帰ってきた? アメリカの大学行った後、しばらく東京で仕事しとったんじゃないんか?
六果:……別にいいでしょ。そんなことどうだって
里遊:まあどうでもええな
六果:ちょっと
里遊:ハハ
六果:なんなのもう
里遊:いやおまえみたいなプライド高いやつが、わざわざ田舎に帰ってくる理由、俺なんかに教えるわけねえわ
六果:ねえ、一言どころか全部余計なんだけど
里遊:ハハハ
六果:もう帰りたい
里遊:で、おまえいつもあんなひどい飲み方しよんか? いい年して……
六果:別にいいでしょ
里遊:でた。別にいいでしょ
六果:もういちいちあげ足取るな!
里遊:あれはどう考えても大人の飲み方じゃない
六果:うっさいな! だって眠れないんだもん……!
里遊:お?
六果:ああでもしないと眠れないから……。しょうがないじゃん、ほっといてよ
里遊:……なんやチョロ子。寝るためにあんなバカみたいに酒飲んどるんか
六果:だからうるさ……
里遊:ちょっと待っとれ
六果:は? え、アンドリュー?
0:食卓を離れて庭に出た里遊が戻ってくる
里遊:チョロ子、ほれ
六果:え、この香り……金木犀の花
里遊:おう。これをお茶にすると、桂花茶ゆうてな、不眠症に効くんじゃ。メシ食い終わったなら今入れてやる。飲んでみぃ
六果:え、生でお茶にするの?
里遊:生のが香りがええし。ほれ
0:急須に生花と緑茶とお湯を注ぐ
六果:すごい……いい香り
里遊:じゃろ? ちょっと蒸らして……。ん、どうぞ
六果:……いただきます。ごく…ごく…。うん、なんか落ち着く味……
里遊:ふ、いかにもリラックス効果ありそうじゃろ。いっぱい摘んできたし、持って帰って寝る前に飲め
六果:あ……ありがと
里遊:なんや。おまえちゃんとありがと言えるんじゃん
六果:当たり前でしょ
里遊:今朝はその当たり前ができとらんかったけどな
六果:うるさい。もう帰るから、カバンとタッパーちょうだい
里遊:へいへい
六果:あと、この家仏壇あんの?
里遊:あ?
六果:あるなら、あいさつしとこうと思って……帰る前に
里遊:なに、まじで? ……かわいいとこあるじゃん。ええよ。こっち来て
六果:……ニヤニヤしないで
里遊:ハハ
0:仏間で手を合わせる六果
六果:ねえ、アンドリュー。仏間に広げてるこれ、なに? 洋服と……カメラ?
里遊:ああ、それ、俺の仕事道具
六果:え……?
里遊:在宅フォトグラファーってわかる? いろんな企業から家に送られてきた商品の写真を撮って、納品するオシゴト
六果:……そんな仕事あるんだ。それだけで、生活ってできるものなの?
里遊:まあ、時期によっては心もとないけえ、動画サイトでVログとか投稿して、生活の足しにしたり? いろいろ自由にやっとる
六果:……え、Vログ? なんかイマドキ。でも、あんたなら写真撮るほうより撮られるほうが向いてんじゃないの。昔から顔だけはいいし
里遊:うるせ。顔も、ええの
六果:アンドリューって呼ばれてんの初めて聞いた時、ハーフかと思った
里遊:フルネームもじっただけじゃ。美しすぎてすまんな
六果:うわ腹立つ。まあでも、有名企業に勤めて外車乗り回してます、とかじゃなくてよかった。ちょっとでも欠点があったほうが安心する
里遊:……欠点? なに、俺の仕事のこと?
六果:あ……、や、えっと
里遊:はは、ほんま相変わらずじゃの、おまえ。無意識にひとを見下しとるの、自分でわかっとる?
六果:そんなつもり……
里遊:気づいてないなら重症だけど
六果:ちょ、ちょっとした言葉のあやでしょ
里遊:ふうん。言葉のあやね。まあいい。俺は別に怒っとるわけじゃないし。幻想のヒエラルキーの頂点から、好きなだけ下界を見下ろしとけば?
六果:……か、帰る
里遊:おい、カバンとタッパー……
六果:わかってる!
0:カバンと紙袋をつかんで出ていく六果
六果:(M)ムカつくムカつく。なにアイツ。なんであんな風に言われなきゃなんないの。自分だってずっと私のことバカにしてるクセに……!
六果:そうでなきゃ、今も昔も『チョロ子』なんて呼ぶはずがない。
0:突然スマホの通知音が鳴る
六果:あ、メールだ。一体なんの……千代六果様、この度は、弊社の採用選考をお受け頂き、――…貴殿の、今後一層のご活躍を……
六果:(M)――バカにされて当然なのかもしれない。
六果:(M)高校を卒業した後、私はアメリカの大学に入り、外資系の有名企業に就職した。あとはハイスペックなパートナーを見つけて結婚するだけ。順風満帆な人生の青写真。
六果:(M)けれどどこをどう間違えたのか、現実の私は実家に出戻り、さえない企業からテンプレートの祈りをささげられている。
六果:もう、やってられるか!
0:真っ暗な住宅街に鳴り響くインターホン
里遊:あー、うるせえ。なんじゃこんな時間に!
六果:はあーい! こんばんはぁ~。うるさいのが来ました~!
里遊:あ? おいおまえ何時だと思って……う、酒くさっ
六果:あはは、変な顔。ザマァミロぉ~
里遊:ちょ、上がんな帰れ
六果:やぁだ。帰ったらお母さんに怒られるもーん。お邪魔しまぁす
里遊:チョロ子、おいって!
0:我が物顔で六果が縁側に腰掛けた
0:金木犀の甘い香りが充満している
六果:……はぁ、いいにお~い
里遊:なんでまたそんななるまで飲んできた。不眠症用の茶葉渡したろが
六果:ねえねえ、キンモクセイのお酒とかないの?
里遊:ひとの話聞け
六果:ねえねえないの~? だしてよ~
里遊:あっても出すかアホ。茶のほう出してやるから酔い覚ませ。ほら
0:差し出された桂花茶をゴクゴク飲み干す
六果:んー……、ん。やさしいあじ
里遊:はあ、おまえはほんま……
0:呆れ顔で里游が隣に腰を下ろす
六果:お、ちょーどいいとこに。よいしょ
里遊:おい、俺の膝は枕じゃない
六果:いーじゃん。はあ~、すずしくてきもちいい
里遊:……ハァ。わずらわしくてめんどくさい
0:静寂が訪れる。
0:金木犀を見つめて六果が口を開いた。
六果:なーんか、でじゃぶー。高校のときもあったよね。おんなじようなこと
里遊:……んん
六果:貧血でたおれた日のアンドリュー、やさしかった。ぜ~んぶウソだったけど~
里遊:ひとの親切をウソとかゆうな。あん時も家の前にうずくまってる女がいてびっくりしたっちゅうの
六果:あは。あの日こうやって膝枕して~、手の平で日差しをさえぎってくれたよね。具合わるいのにドキドキしちゃったぁ
里遊:は……?
六果:だまされちゃってさ~、ほんと、ばっかみたい
里遊:人聞きの悪い。俺だっておまえがこんなに性格悪いとは知らんかった
六果:ね~
里遊:ね~じゃねえわ
六果:……ぜったいにケツジツしない。キンモクセイみたい
里遊:あ?
六果:あの日おしえてくれたじゃん。キンモクセイの木はオスしかいないんだって
里遊:ああ、よう覚えとるな。雌雄異株。金木犀なんかどこにでも生えとるくせに、オスだけで実がならん。雌株を植えてもなぜかオスになるらしい
六果:ふふ。私ってキンモクセイだったのかも
里遊:はあ?
六果:アンドリューといても、私は女になれない。六果なんて名前を授かっても、実を結ぶこともない。
六果:……あ、でも、キンモクセイは外国だと実をつけるんだっけぇ? それじゃあ、私とはちがうね。私は海外に出たって実らなかったし、なんにも残せない、残らない……
里遊:おい、そりゃどういう……
六果:実らなくても大事にしてもらえるなら、キンモクセイに、なりたかった、なぁ……すぅ…むにゃ……
里遊:チョロ子?
里遊:……寝た。はぁぁ。くそ、わけわからん。俺の前で弱いとこなんか見せんなアホ
0:翌朝、目を覚ました六果が今に顔を出す
六果:(M)……またやってしまった!
六果:おはようございます……
里遊:おまえ、ええ加減にせえよ
六果:……えーと、ゴメンナサイ
里遊:目の下
六果:え?
里遊:クマひどい。あんななるまで飲んで睡眠の質が悪い証拠じゃ。そんなこと続けよったら病気するぞ
六果:……うん
里遊:今何時
六果:……えーと、あ、十時ちょっと?
里遊:月曜の、朝十時。……チョロ子、おまえ仕事は?
六果:…………
里遊:もしあったら、日曜の夜にあんなアホみたいな飲み方せんよな?
六果:………………
里遊:なんでおまえみたいな高学歴の人間がニートなんかやっとる。眠れんこととなんか関係あるんか
六果:別にどうでもい……
里遊:どうでもよくない。『別にいいでしょ』も禁止。もう二日もここに来て、俺に迷惑かけとるのわかっとるよな
六果:……そうだとしても、答える義務なんかない
里遊:俺だっておまえみたいなめんどくさい女、本当なら関わりたくもねえわ。高校ん時だっておまえに振り回されて散々だった。それなのに、あんな顔見せられたらイヤでも気になるだろうが
六果:は? 振り回されて散々だったのはこっちのセリフなんだけど。なに、もしかして昨日のこと根に持ってんの? 私が欠点なんて言い方したから
里遊:……っ
里遊:ああそうじゃ。あれが欠点に見える曇った色眼鏡、どこでかけてきたんじゃ。俺が知っとるおまえはそんなんじゃなかった。昔はもっと……
六果:アンドリューが知ってる私ってなに? 世間知らずで、ちょっと声をかけられただけですぐその気になる、チョロい女?
里遊:なんじゃそら
六果:いまだにチョロ子だもんね。どんだけバカにすれば気が済むの? からかわれてることにも気づかないでヘラヘラしてるのが『かわいげ』なら、そんなものいらない!
里遊:ちょ、待て、誰がバカにしとるって……
0:スマホの通知音が鳴った。
0:画面に浮かぶポップアップを見てテーブルに放る六果。
六果:これがさっきの質問の答え
里遊:……先日は、最終面接にお越しいただき……。これ、
六果:そ。お祈りメール。昨日も一通来たなぁ。いつも面接で落ちちゃうんだ。私には就職してやりたいことなんかない。会社に利益ももたらせない。簡単に見抜かれちゃうの。私に価値なんてないってこと
里遊:チョロ子……
六果:はは、やっぱりチョロ子なんだね。高校の時初めてできた彼氏には、からかって遊ばれて終わったし?
里遊:え
六果:だから、二度と誰にも軽く扱われないよう、必至で教養を身につけたのに、また恋愛しようとしても同じだった。
六果:日本人の女がなんで海外でモテるか知ってる? イージーだから。自己主張せず、すぐ服を脱ぐ。バカにされてるの
里遊:……
六果:日本に戻って就職したらしたで『あの大学出たならこれくらい簡単だろ』、結果出せば『当たり前』。上がるのは上司のポジションだけ。……そんで、実らない木はポキっと折れちゃった。今の私は成れの果て。
六果:……ねえ、そんなに簡単だった? 手折られて当然なほど、私には価値がない?
里遊:ちょ、っと待て。情報量が多い!
里遊:……いっこだけ確認してええか。おまえのことからかって遊んだ相手って、誰のことや
六果:なにそれ……。覚えてないとか笑う
里遊:覚えてないも何も、俺には身に覚えがない。からかっとったのはおまえのほうだろ
六果:はあ? 言うに事欠いてよくそんなデタラメ……
里遊:俺ん中では! 遊ばれて振られたのは俺のほうじゃ。
里遊:付き合って一カ月もせんうちに『もう終わりでいいよね』ってメッセージ一つで終了。連絡先もブロックされて、話をしに行っても取り付く島もない。わけわからんかった
六果:ああ、なるほど。一方的に終わらせたから、こっちが悪いことになってんの? けどさ、私みたいなかわいげのない女引っかけたのはそっちなんだから、自業自得でしょ
里遊:俺が遊んどったって決めつける理由はなんじゃ
六果:笑ってたから! 見たよ。初めてキスした次の日、私のこと話しながら友達と笑ってたでしょ。『名前の通りチョロかった』って。最悪
里遊:は? ……なんやそれ。そんなことが理由で俺は切られたんか
六果:そんなことってなに。私がどれだけ傷ついたと思って……
里遊:チョロいとこが、……おまえのチョロいとこが、俺は好きやった
六果:……バカにすんのもいい加減にして
里遊:しとらん。たしかに世間知らずに見えた。スカートの丈は長いし、化粧もせん。ちょっと近付けば『顔面がいいから離れて』って真っ赤になるのが……面白かった
六果:バカにしてんじゃん
里遊:しとらんって!
里遊:……俺のこの顔だけは昔から女に受ける。こびた上目遣いでのぞき込まれたり、ベタベタ触られることはあっても、おまえみたいに距離をとったり、照れるわりにまっすぐ見てくる女はおらんかった
六果:モテ自慢かよ
里遊:おまえちょっとは黙って聞けや
六果:……
里遊:モテたとしてもそれは俺自身じゃない。アイツらは『顔のいい男をモノにした自分』に酔いたいだけで、自分勝手なエゴがにじんで煩わしいだけやった
里遊:でもおまえにはそれがない。こっちの言動に面白いくらい素直に振り回されるのが……チョロくてかわいかった
六果:……バカみたい
里遊:なにが
六果:あんたの語彙力。ひどすぎて意味わかんない。チョロくて面白いからからかいました、まるって話?
里遊:なんでそうなるんじゃ。もうええ、こっち来い
六果:ちょっと、腕引っ張んないで
0:仏間にある棚の奥から箱を取り出す里遊
里遊:ほら、これ開けてみ
六果:なにこの箱……えっ
0:箱の中には大量の写真が入っていた
六果:これ、お庭の金木犀と……私の写真。……こんなにいっぱい
里遊:おまえと出会ったのもちょうどこの時期だった。玄関先で倒れとるの拾って介抱した礼に、写真の練習台になってくれって頼んだの覚えとるか
六果:……うん
里遊:……はは。これも、これも、ピント合ってないし、アングルひど
里遊:最初はおまえと会う口実みたいなもんだった。でも、たいしてハマってもない写真を撮り続けるうちに、カメラを触るのが、俺の日常になった
六果:才能があったんでしょ
里遊:あん時も、チョロ子がキラキラした目で『これキレイ、これ好き、絶対才能あるよ』って繰り返すせいで、将来カメラを仕事にすんのも……案外チョロいんじゃないかって思うようになった。
里遊:そんでまんまとカメラマンになった男がここにおる
里遊:俺は、おまえのチョロさに惚れて、振られて、将来を変えられた。これを遊びって言われたら、俺の人生そのものが否定されとるのと同じじゃ
六果:…………この写真、なんでとっといたの
里遊:俺だって捨ててやりたかった。一方的に突き放されて、顔を合わせても憎まれ口しかたたかんおまえに、心底ムカついた。それでも、俺にとっては切り捨てられんくらい大事な思い出だった
六果:……じゃあ、私、ちゃんと好かれてたの? ちゃんと、アンドリューの彼女だった?
里遊:あたりまえだろが
六果:そうなんだ……。はは、よかった……
六果:でもさ、なにもかも今更だね……。私はもう人生丸ごと折れちゃった後で、正直どうしていいかわかんないもん。未来が見えない。
六果:あの時は勝手に怒って、振り回して、迷惑かけて、ごめん……
里遊:別に今更ってことはないだろ
六果:今更だよ。仕事も、自信も、今の私にはなんにもない。なんにもなくなっちゃった
0:涙をにじませる六果。しばらくして…
里遊:……金木犀は、雌雄異株で実を結ばん。なら、どうやって増えてくか、知っとるよな?
六果:……? 枝を、植えるんでしょ
里遊:そう。挿し木で増やすんじゃ。増やすために、わざと枝を折って、また植える。そっから新しい木が育って、たくさんの花をつける。何度でも、何度でも
六果:……何度でも
里遊:折れたんなら植えればいい。なんも遅くない。ひとりで植えれんかったら、俺が一緒に植えてやる
六果:アンドリュー……。私、あんたにとってはめんどくさいだけの相手なんでしょ。なんでそこまで……
里遊:めんどくさいのは否定できん。けど、おまえが眠れんくなった原因、もとを正せば俺が発端みたいなもんだろ。これでも責任感じとるわけ
六果:なに、責任とってくれんの
里遊:ああ。責任とってやる
六果:は?
里遊:幸い俺は独り身だし? 仕事も家もあって、多少は気持ちに余裕がある
六果:待って。私はもうアンドリューが好きだった頃の私じゃない。ロクに社会に適応できないニートだよ。あんたが気持ちと時間を費やす価値なんてない
里遊:あの頃とちがうのはお互いさまじゃ。やり直してから考えてみても、別に遅くはない。俺にも植え直したい枝くらいあるし。
里遊:人生案外チョロいってこと、今度は俺がおまえに教えてやる番じゃ
六果:それは……私に都合よすぎない?
里遊:でも努力すんのはおまえだろ。それを手伝うやつがおったって、別にズルじゃない。
里遊:あのな、決断ってのは思考を働かせると間違えるらしい。とりあえず直感で答えてみ?
里遊:ハイ、アナタがこれから植えるのは、昔折れた枝ですか? 最近折れた枝ですか? それともアンドリューの枝ですか? はい、さん、にい、いち
六果:え? えっと、えっと、、ちょっと待って、それどれ選んでも結局植えるんじゃん
里遊:お、バレたか
六果:バレたかじゃない。なんなのもう
里遊:ハハハ。やっぱ、そんな変わってないわ、おまえ
六果:え……
里遊:昔と同じ、翻弄されてすぐ真っ赤になる、かわいらしいチョロ子のまんまじゃ
六果:……やめてよ、バカ
里遊:まあ俺もそんなに成長してないもんで、性格はそう変わらん。だからこれからはイヤなことがあったら、その都度言ってくれ
六果:……うん
里遊:おっ、チョロ子、今アンドリューの枝選んだ?
六果:バっ……。全部! 全部の枝植えるから、だから、うまくできないときは……手伝ってもらってもいい?
里遊:おう。任せろ
六果:(M)整った両目の際に、くしゃりと笑いじわが寄る。くったくなく破顔する彼を見るのは久々で、懐かしさに胸がきしんだ。
里遊:ところで、いっこだけ、今やり直していい?
六果:なにを……、っ……!
0:―かすめ取られる唇。ほんの一瞬で離れる
里遊:……チョロ
六果:……っ! はい、それイヤ! 早速イヤ! チョロいって言うの禁止!
里遊:ハハハ、おもろ
六果:(M)ふわり。風に乗って金木犀が香った。
六果:(M)むせかえるような甘い芳香が、開け放たれた記憶の引き出しを満たしていく。鈴なりに揺れる橙色の小さな花が、庭先であふれんばかりに咲き誇っていた。
【オスマンサス・ダスク/終演】
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