#12
「はあああああああああ!?」
高野が大きな声を上げ、スプーンを持っていた翠がビクゥ、と肩を震わせた。
「ちょぉ、先生ぇ、声、声!」
シュゼットがシーッ、と唇に手を当てて静かにするように促す。
高野は慌てて自分の口を押さえ、「え…だって」と呟く。
「それって…」
「あっ!」
シュゼットは高野の動揺の理由を察して、しまった、と顔を赤らめる。
「えええええええ、ええっとですね、そ、そういうんじゃないですよぉ?その、なんというか…。……………ほ、ほら、スイちゃん、ほっとけないですし。かと言って男の人が年頃の女の子と一緒に住むのはちょっとアタシ的には嫌というか…。いや、いやいや、そういう意味じゃないんですよぉ!」
あっという間に真っ赤になったシュゼットは必死に言い訳を始める。
「その…お試し!そう、これはお試しなのですぅ!」
シュゼットはあわわしながらまくし立てた後、ビシッ、と人差し指で高野を指差す。
その後、「家族の…」と小さくゴニョゴニョ呟く。
「…!」
それがバッチリ聞こえてしまった高野も自分の顔がカーッと熱を帯びていくのを自覚する。
「え?あ、あああああ…、い、今のナシ!今のナシ!聞かなかったことにぃ、聞かなかったことにしてくださいぃぃぃぃ!!!」
それを見てシュゼットはゆでダコのように真っ赤になった顔で手をバタつかせた。
「お、おう」
高野も激しく動揺しながら頭を縦に振る。久しく恋愛をしていなかったので珍しく動揺してしまっている。
「お試し、お試しですからぁ!」
「う、うん」
スプーンを持ったまま2人のやり取りを眺めていた翠は「?」と小首を傾げる。
「…一緒に住む、の?」
「「…」」
少女の純粋な問いかけに顔を赤らめた高野とシュゼットは顔を見合わせ、同時にゆっくりと頷いた。
「それって、家族、ってこと?」
「家族(仮)ですぅ。(仮)」
「そ、そう。あくまでもお試し、だけど」
2人は言い訳がましく翠にまくし立てる。
だが、翠は
「家族…」
と、その言葉を噛みしめるように呟いた。
「翠…の、家族」
「お?なんか盛り上がってるねぇ。はい、これ、ケーキセット、お待たせしました」
そこにサファイアブルーの髪の店長がニヤニヤしながらケーキセットを2つテーブルの上に置いた。
「いいねいいね。LOVEの気配がするぜ」
「なになに~LOVEの気配だって?聞き捨てなりませんなぁ」
ニヤニヤする店長の後ろからひょこっ、とルビー色の髪の店員が顔を出す。
「はいはい、2人ともお客様に絡まない。…ごゆっくり♡」
店長と店員の襟首を掴み、おさげの副店長が笑顔でズルズルと引きずっていく。
「あ゛!リョウくんちょっと待って、今、良いところだろ」
「そうだそうだ~」
「バカヤロ。良いところだから茶々入れるんじゃないよ」
店長と店員が文句を言うが、副店長は一括する。
「それよりも、ショウくん、君は居眠りしてた分もちゃんと働けよ?バイト代、減らすよ?」
「え゛…バレてた?」
副店長に穏やかな声で指摘され、ルビー色の髪の店員はビクリ、と震える。
「店長も、ね♡」
「お、おう!わかった。わかりました!」
翠が名残惜しそうにシフォンケーキを食べ終わり、セットについてきたアップルジュースを飲み終わるのを待ってから高野たちは会計を済ませて外に出る。
「ありがとうございました~。また来てねーっ!」
「色々ご迷惑をおかけしました。服もありがとうございます。また来ます」
「全然。ね、リョウくん、服、綺麗に乾かすの得意だったでしょう?」
濡れた服で戻ってきた時、「お帰りまでに乾かしておきますよ。リョウくん、乾かすの、得意なんで」とルビー色の髪の店員が服を預かってくれた。
最初は「果たして服を乾かすのに得意不得意があるのだろうか」なんて思ったが、今になって考えてみると、この世界にはドライヤーも乾燥機もない。晴れの日に外で乾かす以外の方法を取ろうとすると、火で乾かすしかないだろう。
そうと考えると、確かに巧拙はあるのかもしれない。
服を預けた時は、流石に帰るまでに服は乾き切らないと思っていたが、袖を通してみると、湿り気一つなく、まるで魔法でも使ったのではないかと疑いたくなるくらいパリッと乾いていた。
確かに彼は乾かし上手だった。
「間違いないですね」
高野はルビー色の髪の店員に笑って頷いて見せる。
「では、リョウさんと店長さんにもよろしくお伝えください」
「はーい!んじゃあ、またのご来店、お待ちしてます!」
ルビー色の髪の店員が高野たちに手を振って見送ってくれる。
アルコールなしの夕食代にしてはなかなか良いお値段だったが、彼らの食材や豆へのこだわりを考えれば納得だ。…というか、大分居座らせてもらったので、むしろごめんなさい、と言いたいくらいだ。
店を出る時には雨もすっかり上がっていた。
「…ぁふ」
外に出ると翠が小さくあくびをする。住むところも決まり、安心して眠くなったのだろう。
3人で話し合って、今日のところは翠はシュゼットのところに泊めてもらうことになり、高野は今住んでいるギルドの職員寮に戻ることにした。
今後の具体的な話は明日以降にする予定だ。
女性2人と暮らすことになるので、最低でも3部屋はある借家を借りる必要があるだろう。
この世界の不動産事情は相場も含めて全然分からないが、2人と一緒に暮らすならば、職業柄、職場の近くに住むどうかなども真剣に考えねばならない。
なにせ仕事の相手は荒くれ者たちだ。恨みを買って自宅を特定されれば、彼女たちが危険な目に遭わないとも限らない。
それにこの世界には学校のような機関があるのか、学区などもあるのか、そもそも義務教育などはあるのかなどその辺も色々調べていかねばならないだろう。
とろん、とした目をする翠を見て高野は微笑む。
(まさか結婚よりも先に子育てのことを考えることになるなど想像もしなかったなぁ)
その時、高野の腕をつんつん、とシュゼットがつついた。
「せんせっ、今日はご馳走様でした♡でも、いいんですかぁ?全部出してもらっちゃって。アタシ、ケーキセットだけのつもりだったんですけど…」
シュゼットは上目遣いでこちらを覗き込む。
「全然良いよ。今日はホントごめんね。息抜きに連れ出してくれたのに」
「まったくですよぅ!せっかくオシャレしてきたのに、デートぶち壊しですぅ」
ぷんすか、と口を膨らませて両手をバタつかせた後、シュゼットは笑う。
「…でも、ま、スイちゃんに会えたから良しとしましょう」
シュゼットはよしよし、と眠そうな顔をする翠の頭を撫でる。
3人で帰り道を歩こうとした時、
「あ、先生ちょい待ち」
後ろから突然、声が聞こえた。
3人が振り返ると喫茶店の中からサファイアブルーの髪の店長が飛び出してくる。
「ちょっとだけ2人でお話ししたいことがあるんですが、いいですか?」
「…私に?」
高野は店長の突然の提案に驚きつつ、シュゼットに視線を送る。
シュゼットは指で「おっけぇです」と丸を作り、
「じゃあ、アタシはスイちゃんと先に帰りますねぇ。店長ご馳走様でしたぁー!先生ぇ、また明日~」
と元気な声で別れを告げる。
「うん。翠をよろしく。ごめんね、送っていけなくて」
「全然大丈夫ですよぉ。この街でギルド職員に手ぇ出す命知らずはなかなかいませんので」
シュゼットはケラケラ笑う。
「タカノ…また会える?」
翠が不安げにこちらを見上げるので、高野は翠の頭にぽん、と手を置き、「明日会えるよ」と笑いかける。
「ん」
翠はこくりと頷くと、「じゃあ、スイちゃん、行きましょぉ」シュゼットに手を引かれ去っていった。
「本題の前に、これ、お土産です。良かったらどうぞ」
店から少し離れた路地裏に入ったところで、店長は高野に黄緑色の液体が入ったポーション瓶を数本渡した。
「? これは?」
ポーション瓶はよく冷えていた。瓶の外から中身を見るとプツプツ、と液体からは細かい気泡が発生しており、炭酸のような感じにも見えなくはない。
「…まあ一口飲めばわかりますよ。ただし、夜だから一口だけにしておくことをオススメします」
店長はニヤリと笑い、高野に試飲を勧める。
「?」
言われるままにポーション瓶の蓋を開栓すると、甘い…しかし、どこか懐かしい香りが鼻孔をくすぐる。
ポーション瓶を口につけ、ゆっくりと傾ける。
口の中に入り込んでくるのはやはり、高野の予想通り、シュワシュワとした炭酸。
「!!」
舌の上を転がるキンキンに冷えた黄緑色の液体は甘く、ケミカルな味。
アルギニン酸特有の苦味とクエン酸の酸味がシロップの甘みと絶妙なバランスで融合されており、遅れてガラナ特有のピリリとした辛味が襲ってくる。
疲れた大人にしかわからない、中毒性のあるパンチの効いたこの味…ッ!
「美味い…」
高野の目から涙がこぼれる。
ゾンビ状態の高野はこれによって、過去何度、修羅場を乗り切ってきただろうか…。
これは決してポーションのような体力を回復させる飲み物ではない。
高野特製麻痺ドリンクのような強力な鎮痛効果がある飲み物でもない。
カフェインとアルギニン酸と糖分によって脳をお祭り状態にし、身体中のエネルギーを無理やりかき集めて働かせる悪魔の飲み物。
元いた世界ではあまりに危険な飲み物のため、メーカーによっては中身の見直しがされることもあるくらいだ。
現代社会の社畜サラリーマンたちが愛用する究極の付与魔法―――。
社畜の救世主、その名は―――
「エナジードリンク…」
高野は神に祈るような声で呟くと店長は腕を組みながら「うんうん」と頷く。
「この世界にも…あるんですね」
まさか丁度欲しいと思っていたものがこんなところで手に入るとは思いもしなかった。
「―――やっぱり、先生も異世界から来てたんですね」
高野の反応を見て、予想通りといった感じで店長は尋ねる。
「先生もってことは…」
店長は頷く。
「俺も異世界から来たんですよ。さっきチラッと聞こえちゃって。…あぁ、俺が異世界出身って話、内緒ですよ。誰にも言ってないので。もちろん、先生たちのことも内緒にしておきます」
店長はしー、と人差し指を口に当ててウィンクする。
「なんで…」
なぜ今まで黙っていたそんな大事な話を今、自分だけにしたのか?
そんな意味を込めて高野が尋ねると、「んー…」と店長はぐいっと伸びをしながら夜空を見上げる。
空は雨が上がってすっかりと晴れ渡り、星々がキラキラと輝いていた。
「―――ここだけの話なんですけど、あの怪物…翠魔っていうんですけど、倒したの、俺なんですよ」
「!!」
突然の店長のカミングアウトに高野は驚く。あの時、高野を助けてくれたのは彼だったのか。
「…まあ正確には俺1人で、じゃなかったんですけどね。―――先生には話しておいた方がいいかな、って思って。…あの子、一緒に暮らすことにするんですよね?」
「…翠のことですか?」
店長は真剣な顔をして頷く。
「先生の世界には翠魔はいましたか?」
「いえ…」
高野は首を横に振る。特撮映画じゃあるまいし、あんなものが元の世界にもいたら大変なことになっていただろう。
「そうか。ってことは、先生は『旧世界』から来たんですね」
「『旧世界』?」
高野は首を傾げる。その反応を見て、店長は「あ、いや…」と少し慌てた様子で両手を前に出す。
「決して馬鹿にしているわけではなく…神、精霊の存在しない世界を『旧世界』と言うんですよ」
「…?」
高野は黙って店長の言葉に耳を傾ける。
「神が管理を離れた世界、って言ったほうが正確なのかな。俺も詳しいわけではないんですが…」
店長は頭を掻きながら「…煙草、いいですか?」とポケットから火起こしセットと煙草を取り出す。
「どうぞ」
「先生は吸います?」
「いえ」
「すみません」
店長は手慣れた様子で炭に火打ち石で火をつけ、藁のような燃えやすい植物で覆って火を大きくする。この世界で煙草を吸うのは少々ハードルが高そうな気がしたが、店長ほど素早く火をつけることができるのであれば、それほど問題ないのかもしれない。
煙草に火をつけると起こした火を片付け、高野に背を向けて煙を吐き出した。
「…翠魔はどこからとも無く現れて、人を襲います。そして放っておくとどんどん成長し、やがては世界を滅ぼす」
「…」
「俺の世界もやられました。そのエナドリは故郷で古くから伝わる味に似せて作ったものです。…皮肉なことに『KAIBUTSU』っていう名前のドリンクだったんですけどね」
高野の元の世界にも似たような名前のドリンクがある。味も似ているし、奇妙な一致だったが、ここでは別の疑問を口にする。
「翠魔と翠の関係、もしかしてなにかご存知じゃないですか?翠は翠魔に狙われていたようなんです」
「ええ…」
店長は頷きながら煙草を深く吸い込み、煙を吐くと、火を消して煙草を携帯灰皿に捨てる。
「…そうでしょうね。あの子は多分、『魔を呼ぶ者』だから」
「『魔を呼ぶ者』…」
高野はその言葉に不吉な響きを覚える。先程、翠自身も「魔を呼ぶ者」と呼ばれていたと言っていた。あの時はあだ名かなにかだと思っていたが…。
「詳しいことはわかりませんが、時々いるんです。翠魔が世界を破壊するよりも優先して執拗に狙う相手が…。それを俺たちの世界では『魔を呼ぶ者』と呼んでいました」
「なぜ『魔を呼ぶ者』は翠魔に狙われるんでしょう?」
店長は首をゆっくりと横に振る。
「わかりません。ただ、『魔を呼ぶ者』は『異世界の扉』を呼び寄せる力があると言います。彼女も恐らく…」
「その力を持つ者を翠魔は狙う…?」
高野は口元に手をやり、考え込む。思いの外、大きな話になってきた。
神々が管理する新世界と神々の管理から離れた旧世界…
時々突然現れる異世界を渡ることができる扉とそれを呼び寄せることができる「魔を呼ぶ者」…
「魔を呼ぶ者」を狙う「翠魔」…
不明確な情報がどんどん追加され、わからないことだらけだが、翠の力を借りることができれば、高野は元の世界に戻れるかもしれないということはわかった。
「なぜ『魔を呼ぶ者』と翠魔は認識できる人と認識できない人がいるのでしょう?翠も最初、翠魔と同じく半透明で、周りの人から認識されていなかったんですけど…」
高野は気になっていたことを話す。薬草を食べさせたら急に身体が実体化したような感じがあったことも気になる。
「残念ながら俺にもわかりません。そもそも『魔を呼ぶ者』を見たのは俺もあの子が初めてで…」
「そうですか…」
「わからないことだらけですみません」
店長は高野に頭を下げる。「いえ…」と高野は首を横に降った。
「ただ、この街にいる間はまた翠魔が出ても俺がなんとかするから安心してください、ってことが言いたかったんです。でも、『魔を呼ぶ者』が呼び寄せるのは翠魔だけじゃない」
高野は店長の言葉に頷く。
『迷人』ですら、正体がバレれば、多方面からその知識や技術を手に入れようと狙われるリスクがあるのだ。もし世界を自由に渡る力を持っているのであれば、その力を利用しようとする者はもっともっと沢山いる筈だ。
最悪、魔神教などの組織に狙われることだってあり得る。
「彼女を守る力がいる」
「そういうことです」
高野の言葉に店長は頷いた。
「これからが大変ですよ。…くれぐれも気をつけて」
「ありがとうございます」
店長が差し出してくる右手を取り、2人は握手を交わす。
「また、なにかあれば相談に乗ります。あと、エナドリももし気に入ったら買いに来てくださいね」
「多分、近い内に大量に買いに来ると思います」
「ははは、じゃあこっちも大量に素材集めないと」
店長は笑った。
「ふぅ…」
高野の後ろ姿を見送った後、もう一本煙草を吸い、息を吐く。
「…頑張れよ、先生」
ヨシはそう呟くと、自分の店へと戻る。
限りなく透明な喫茶店は基本的に深夜が忙しい。
店の扉を開くとすでに常連客たちが集まっていた。
「あ、てんちょー、おっそーい!またうんこー?」
複数のドリンクをトレイの上に乗せて運んでいたショウイが口を膨らませて文句をいう。
「あ、こら、ショウくん、ここ、一応飲食店」
「よく言うよ、ヨシくんめっちゃ下ネタ言うくせに」
ヨシがバイトリーダーを注意していると常連客の1人が笑いながら指摘する。
「流石にホールでうんこは言わないよ。うんこは。だってうんこだぜ?」
「はいはい。言ってる言ってる。めっちゃ言ってる」
他の常連客がヨシにツッコミを入れ、喫茶店の中に笑いが起きた。
もうこの時間になると常連客ばかりなのでヨシたちもアットホームでやりやすい。
「わりわり、ちょっとお客様と外で話し込んでた」
頭を掻いてヨシはカウンターの中に入っていく。
「その割には煙草臭いよ?」
副店長のリョウがニコニコしながらヨシを咎める。
「げっ」
ヨシは大げさに顔をしかめて見せる。煙草の匂いは匂いに敏感なハーフエルフのリョウにはすぐにバレてしまう。
「店長煙草吸いすぎ~」
「わりわり、命の呼吸なもんで…。あれ?ゴロツキのバイト君たちは?」
「料理分は働いてもらったからさっき帰したよ」
ヨシがキョロキョロと店内を見回すとリョウが答える。
「おお、そっか。一声かけたかったけど、まあそのうちまた会えるだろ」
「どうかねぇ」
リョウはクスクスと笑う。
「店長、KTKブレンド1つ!」「リョウちん、なんか作って~ジャンクなやつ」「しょたろ、注文良い~?」
常連客たちの声が飛び交う。
「ねぇ、店長、全然、手が回んないんだけど」
「今、新しいバイト雇う準備してるからもうちょい頑張ろ」
ショウイにリョウが声をかける。
相変わらずこの時間は毎日賑やかだ。
「さて」とヨシはコーヒー豆を袋から取り出しながら呟く。
「もうひと踏ん張りしますか!」
限りなく透明な喫茶店の夜は長い。
―――疲れてしまったそこのあなた、今宵も喫茶店は変わらず、あなたをお待ちしています。ひと休みしていかれませんか?




