#10
――― アマイア暦1328年薔薇の月5日 夜 ―――
<レイル共和国 大都市ネゴル 大通り>
ドッ!!!!!ドン!!!!!
空気を震わせる大きな音が立て続けに2回響いた。
「!?」
その音に驚いた高野と少女は走るのを止め、思わず振り返る。
高野たちが目にしたのは遥か上空で巨大な霜の塊が落下していくところだった。
それは隕石のように大通りに落下し、キラキラと粒子になって辺りに飛び散った。
「…?」
高野は必死に目を凝らし、自分たちを追ってくる怪物の姿を探す。
だが、怪物の姿はどこにも見当たらない。
3階建ての建物に相当する大きさの怪物ならば、隠れようがない筈。
となれば、今落下してきた塊が…。
「誰かが倒してくれた…のか?」
高野はまだ自分たちの安全が信じられず、強張った声を出す。
「…」
翡翠色の髪の少女はへなへな、とその場に座り込んだ。
高野は脱力した彼女を見た後、もう一度自分たち逃げてきた方角を見て、「とりあえず」と口を開く。
「一緒に店に行こう」
――― アマイア暦1328年薔薇の月5日 夜 ―――
<レイル共和国 大都市ネゴル 大通り 限りなく透明な喫茶店>
「…」「…」「…」
バックヤードにリョウ、ショウイ、ヨシの3人が集まっていた。
ずぶ濡れ泥まみれのヨシが苦笑いしながら正座しており、頬を膨らませるショウイと腕を組んでニコニコと笑うリョウがその前に仁王立ちしている。
「てんちょー、おっそーい!うんこ?」
「そう、うんこ…をしてました、ごめんなさい」
ショウイの質問に笑って答えようとしたが、リョウの圧力に屈し、ヨシはすぐに謝罪を付け加える。
「お客様をめちゃくちゃ待たせたあげく、うんこしてて、買い物を忘れた?」
リョウは笑顔でずい、とヨシに迫る。
「お、おう。ごめん」
ヨシは圧に耐えきれず、正座したまま身体を後ろにずらす。
「…で、なんでそんなに泥だらけなわけ?」
「え、えーっと、それは…買い出しのために外に出たら急にお腹が痛くなってさ、トイレを探してめっちゃ走ったんだけど、泥濘に足を取られてベシャッ、と…」
常人には見えない怪物と戦っていたと言っても絶対に信用してもらえないだろうと考えたヨシは必死に帰り際に考えた言い訳をする。
ニンニクとホワイトペッパーのことをすっかり忘れていた。
「てか、てんちょー。店長のいない間、俺、マジで大変だったんだかんね?あのおっさん、マジでお客様の胸ぐら掴んでるし。俺、超平謝りだからね。おかげで久しぶりに逆立ち土下座からの宙返り土下座したからね?」
ショウイが腰に手を当ててブーブー、と文句を言う。ショウイにはどれだけアクロバティックな土下座のバリエーションがあるのだろう、と突っ込みたい気持ちを必死で堪え、ヨシは「本当にスマン」と頭を下げる。
「うんこしてたらでっかい地震が何回もあってさ…。俺、もうパニックで…。お客様は無事だった?」
ヨシは嘘に事実を織り交ぜながらさり気なくお客様の様子を尋ねる。
「あー、ね。こんなにおっきな地震あんまりないから皆びっくりしてたけど、特に店に被害はなかったよ」
接客担当で一番お客様を見ていたショウイがヨシの質問に答える。
「…さ、店長への説教は後にするとして、さっさと着替えて来なよ。お客さんが店長の炒飯お待ちだよ」
リョウはやれやれ、とため息をつくと、パンパン、と手を叩き、説教タイムを一旦お開きにする。
「あ゛!…やっっっべぇ…カフちゃん、大分待たせてた」
それを聞いて常連客から裏メニューのリクエストがあったことを思い出したヨシは弾かれたように飛び上がり、更衣室の中に駆け込んでいった。
「さ、俺は接客に戻るね。ボストンとヒョウロ、目を離すとまたなんかやらかしそうだし」
ショウイはリーダー格のゴロツキとガリガリに痩せたゴロツキのフォローのためにバックヤードから出ていく。
ホールに戻り、お客様の様子を観察しながらショウイはふう、と息を吐いた。
(戦闘中に店に戻っちゃったからヤバいかな、と思ってたけど、誰かが退治してくれたっぽいし、良かった良かった)
接客中、ずっと気にしていたトランスルーセンの気配が少し前に立て続けに大きな音がした後、消失した。どうやらショウイがもう一度思念体になって駆けつける必要はなさそうだ。
買い出し中の店長があの怪物に踏まれていないかと少し心配だったのだが、無事に戻ってきてくれて良かった。ショウイが店に戻ったせいで店長がぺしゃんこになっていたら流石に寝覚めが悪いところだった。
「しっかし、うんこしながら地震にビビって買い出し忘れるとか、どうなのよ、店長」
ショウイはフフフ、と笑いながらそう呟くと、テーブル席の空いた食器を片付けに向かった。
「…ふう」
2人がいなくなったバックヤードでリョウは小さくため息をつく。
今回は本当に危ないところだった。9つの封印を5つ解放した反動でまだ左足が痛む。
思考・行動に矛盾のない自立型の分身体を作るにはそれなりの時間がかかる。
料理の傍ら、バックヤードに分身体を生成していたリョウだったが、途中でファントムと戦闘していた筈のショウイの思念体が店に引き戻された時は焦った。
ギリギリで分身体の生成が間に合ったから良かったものの、間に合わなければ…。
(まあその時はあの人が身体を張ってなんとかしてくれただろうけど…)
ショウイと店長がファントムと戦っていることは知っていた。あの2人は自覚がないようだが、2人も嘘が下手すぎる。
ファントムが出現する度に居眠りをしたり、なんやかんや理由をつけて外に出ていくのでバレバレだ。
基本的にはあの2人にファントムの退治を任せていたが、今回のアレは流石にそういうわけにはいかなかった。
(しかし、ずぶ濡れで買い物も忘れてくるとか、流石に…)
クックック、とリョウは笑う。
「ん?どしたん?」
「あ、いや…」
更衣室から予備の制服に着替えて出てきたヨシがリョウの様子を見て首を傾げる。
「…店長、うんこって言ってたけどさ、煙草、吸ってたでしょ」
「げ…」
ヨシはギクリ、とした顔をして自分の身体の匂いをくんくん、と嗅ぐ。
「え…わかる?」
「わかるよ。非喫煙者には一発で」
リョウはジトッ、とした目でヨシを見る。
「でもうんこしてたのはホントよ?」
あくまでもうんこをしていたと主張するヨシに全てを知るリョウはプッ、と吹き出し、
「はいはい」
と手を振ってバックヤードの扉を開ける。
「さ、さっさと炒飯作る。お客様がお待ちかねだよ」
「ういーっす」
リョウと店長がバックヤードから出ていく。
その時、カラン…と扉のベルが客の来店を告げた。
(なるほど…「魔を呼ぶ者」、か)
リョウが入り口にいた高野の隣で両肩を抱き震える少女を見て、目を細める。
ちらりと横に立つ店長を見ると、彼は一瞬、険しい顔をした後、すぐにバックヤードに引っ込んで行った。
(まさか…今ここで処分する気か?)
確かに「魔を呼ぶ者」は不幸をもたらすとされるが、いくらなんでも店内では…、と慌てたリョウがバックヤードを覗き込むと、
「リョウくん、これ」
ポイ、と乾いた布がリョウの顔に向かって飛んでくる。
「…へ?」
リョウは乾いた布を受け取ると目を丸くし、思わず間の抜けた声を上げる。
「お客様濡れてるじゃん。お渡しして」
「あ、ああ…」
リョウは頷くと布を握りしめ、「お客様、大丈夫ですか?」と2人に駆け寄っていった。
ファントムを退治する者としては正しくない選択かもしれないが、どこか心の中でほっ、としている自分がいて、なんとなくくすぐったい気持ちになった。
「さぁて、アタシは今、最高にプンプンなわけですがぁ~なんででしょぉ?」
「大変すみませんでした…」
シュゼットの正面に座った高野が渋い顔で頭を下げる。
ずぶ濡れで怪我をしていた少女は治癒師であるシュゼットの治療を受けた後、バックヤードで着替えをさせてもらっている。
どうやら今は少女の姿を皆、見ることができるらしい。…幽霊は薬草を与えると実体化するのだろうか?
高野もずぶ濡れだったため、服が乾くまでの間、ということで喫茶店の店員の私物である服を借りていた。
そして少女が戻ってくるまでのわずかな間に始まったのは、シュゼットによるお説教タイムと事情聴取だ。
「信じられますぅ?デート中に女の子を放り出して外に行って、地震でアタシめちゃくちゃ怖かったんですよぉ」
「ごめんごめん…」
頬を膨らませてシュゼットはプンプン、と怒る。
「挙げ句、ビショビショになって、あんな若い女の子を拾ってくるって…どういうことですかぁ!先生の…先生の変態さん!ロリコン!」
「ぬぐ…い、いや…、通りでトラブルに巻き込まれそうになってたみたいだから連れてきただけで…」
ロリコン、という言葉が刺さり、思わず胸を抑えながら高野は事情を説明する。
「喫茶店でふと、窓の外を眺めたらさ、明らかに道に迷ってそうな感じのあの子が見えたんだよ。…ほら、言っただろ?『大丈夫じゃないかもしれない』って」
「確かに言ってましたけど…言ってましたけどぉ…」
「いや、本当に危なかったんだって。怪しい男に連れ去られそうになっててさぁ」
「じゃあなんでこんなに時間かかったんですかぁ?」
シュゼットの追求は止まらない。確かにただ暴漢に絡まれていただけであればこれほど時間はかからないかもしれない。
高野は「ぬぐ…」と言葉に詰まりながら必死で脳をフル回転させ、事前に用意していた言い訳の中から最適解を選び出す。
「彼女の保護者のフリをして声をかけに言ったら仲間を呼ばれて囲まれちゃったんだよ」
「…それ、先生ぇが撃退したんですぅ?」
疑わし気な顔で声を低くしてシュゼットは尋ねる。
「まさか」
高野はぶんぶん、と首を横に振る。そんなありもしない武勇伝を作っても、どこで綻びが出るかわからない。そもそも高野は武闘派ではない。元手品部に戦闘能力を求めてはいけない。
「困っていたところにたまたま通りがかった衛兵さんが駆けつけてくれて男たちを追い払ってくれたんだよ。でも事情聴取するって、衛兵所に連れて行かれて…その間にこの大雨さ」
「…で、ビショビショになってこの子と2人でここに戻ってきた、とぉ?」
「悪かったよ」
高野は頭を下げる。シュゼットは「むぅ~~~~」と頬を膨らませた後、ため息をついて頷く。
「…まあそういう事情なら許してあげますぅ。でもそれならなんであの子を衛兵所に預けて来なかったんですかぁ?」
「それは…」
その時、バックヤードの扉が開き、ブカブカの服を来た少女が出てくる。
「俺の服、ちょっと大きいよね。ごめんね、服乾いたら返すから」
ルビー色の髪の店員が少女に声をかける。服はどうやら彼の私物のようだ。
少女はこくり、と無言で頷き、キョロキョロと店内を見回す。
そして高野を見つけると小走りで近づいてくる。その様子はまるで子犬のようで可愛らしかった。
「あ、これどうぞ」
ルビー色の髪の店員が空いている椅子を持ってきて、高野の席の隣に下ろす。
少女はルビー色の髪の店員に促されるまま高野の隣の席にちょこん、と座った。
「はい、どうぞ」
タイミングを見計らったようにおさげの副店長が現れ、ストローの刺さったオレンジジュースのグラスを少女の前に置く。
「え?まだ頼んでませんけど」
高野が驚いて副店長を見上げると、
「サービスです」
「え、あ、ありがとうございます」
高野が副店長に礼を言うと、
「…頑張って、先生」
彼は高野にヒソヒソと囁き、ウィンクする。
高野はすぐにそれが目の前のピンク色の髪のエルフと隣に座っている翡翠色の髪の少女のことを指していると気付き、苦笑いした。




