#9
――― アマイア暦1328年薔薇の月5日 夜 ―――
<レイル共和国 大都市ネゴル 大通り>
雨脚が徐々に強くなる。
夕日がすっかり落ちて辺りは暗くなり、遠くの方でゴロゴロと雷の音が聞こえた。
「獣神の加護」の力を借りた高野は薄暗くなった大通りを跳び跳ねるように進んでいた。
「!!」
時間制限付きの加護の効果が切れ、高野の髪が黄金から徐々に黒髪へと戻っていく。
それと同時に身体能力がこの世界の常人レベルに戻り、身体が一気に鉛のように重くなる。
高野は体勢を崩す前に抱えていた翡翠色の髪の少女を地面に下ろした。
「…ごめん、悪いけど、ここからは一緒に走ってもらえる?」
「獣神の加護」によって身体能力を底上げした反動が一気に高野を襲い、身体中を倦怠感が支配する。
「…」
少女は戸惑いながらこくり、と頷いた。どうやら彼女に言葉は通じるらしい。
「? なに?」
肩で息をする高野をじーっと見つめる少女に高野は尋ねる。
「…私が見える、の?」
少女はか細い声でぼそり、と訪ねた。
よく見れば彼女はあの翡翠色の化け物と同様にうっすらと透けていた。
確かに周りに気づかれにくいとは思っていたが、まさか彼女は…。
「うー…う、うん。見える、みたい。……………ええっと、あれだよね?その………お化け、とか、じゃないよね?俺、霊感とかない筈なんだけど…」
高野はぎこちなく笑いながら頷いて見せる。
(やっべぇ…話しかけちゃいけない類の幽霊とかだったらどうしよう)
咄嗟に助けてしまったが、この少女が何者なのか深く考えていなかったことに今更気づく。
心理学という一応、科学に携わる者として、高野は観測できないものは信じないというスタンスを取っている。ありもしないものに怯えても仕方がないからだ。
しかし、ここは異世界。元の世界では霊感がなくとも、この世界に来たことで幽霊などが見えるようになったとしてもなんら不思議ではない。観測できてしまったら幽霊の存在も認めざるを得ない。
なにせ、実際、この世界には神が実在するのだから…。
(霊感なんてそんな特殊な能力、1ミリもいらないけど…。一応、足は…ついているみたい。あ、でも最近のホラーゲームとかだと足がない幽霊とかそもそもいないか)
高野は少女の足がついていることを確認して、一瞬安堵するが、すぐにそれがなんの安心材料にもならない、と思い直す。
(っていうか…)
彼女は白いひらひらとした衣を1枚纏っているが、足は素足で傷だらけだった。何度も転んだりしたのか、衣も所々破けているし、手や顔にも擦り傷がある。
「…」
高野は冒険者バッグから薬草を取り出すと1枚、彼女の目の前で食べて見せ、彼女にもう1枚を差し出す。
「?」
高野の薬草を食べる様子を見た少女は恐る恐る薬草に手を伸ばし、それを小さく千切って口に含む。
「!!」
薬草の強い苦味が口の中に広がったようで、少女は一瞬ピクリと身体を震わせ、眉をしかめるが、すぐに無表情に戻り、何事もなかったかのように渡された薬草を全て平らげた。
その姿はまるで無糖のコーヒーを大人ぶって飲む子どものようだ。
必死になって強がって見せている…他人に弱味を見せたくないのだろうか?
そんなことを考えながら彼女の様子を眺めていると、不思議なことに彼女の半透明だった身体がスゥ…、と実体を伴った色味に変化していく。
(え?なに?どういうこと?実体化した?)
「…」
高野はそのことに気づき、心の中で少なからず動揺した。
しかし、今はそのことについて触れている時間はない。あの怪物がいつ追いついても不思議ではないのだ、と来た道を振り返る。
先程助けてくれた人が足止めしてくれているのか、どうやらまだ怪物がこちらに来る様子はない。
彼女が幽霊だとか幽霊じゃないとか、そのことは一旦置いておくことして、傷だらけの少女を裸足のまま歩かせるのは大人としていかがなものか…。
本来先程同様に彼女を抱えて、あるいは背負って逃げるべきだろう。
しかし、情けないことに加護の反動のせいで身体がガタガタであり、とてもそんな体力はなかった。
「あ…!」
その時、高野の脳裏にアイディアが閃く。
この怪物に負われる状況がいつまで続くかわからないことを考えれば、急がば回れだ。
「足、ここに置いて」
高野はその場に片膝をつき、少女の片足を乗せるようにお願いする。
雨のせいで地面に触れている方の膝が泥で汚れ、みるみる内に湿っていくがどの道、この雨の中、外に居続ければ、遅かれ早かれ全身ずぶ濡れになるので気にしない。
服は洗えばいい。
「?」
少女は首を傾げながらためらいがちに汚れた小さな右足をそっ、と高野の右膝に乗せる。
石や建物の破片でざっくりと切れた傷口、その上から土などが入り込んでいてすぐにでも綺麗に洗い流して清潔な包帯を巻いてやりたいが、今はその時間はない。
この傷…一体、彼女はどれだけの距離を1人で逃げてきたのだろうか。
高野は手元にある薬草を足の裏に貼り付け、初心者講習会で学んだ応急処置の仕方を思い出しながら、できるだけ厚めに包帯を巻きつける。
「痛くない?」
こくり、と少女は頷く。
本当は痛いかもしれないが、彼女は無表情で心の内が読み取れない。
「…よし。これで少しは楽になると思う」
高野は彼女の右足をそっと地面に下ろす。高野特製の薬草靴下だ。
高野は初心者講習会では毎日フル装備で3時間半にも渡る全力ダッシュをさせられていた。ブーツで長時間走ると靴ずれが出来て、靴の中が血まみれになる。
それを回避するために、高野が編み出したのがこの靴ずれ防止の薬草靴下だ。
薬草によって治癒力を上げることで痛みを軽減する。
これで裸足よりは大分マシな筈だ。
「よし、じゃあ左足も…」
といいかけて、はた、と高野の身体が硬直する。
治療のためとはいえ、どう見ても十代前半の少女の素足を膝の上に乗せて触る三十代の男…。
これは絵的に非常によろしくないのではないだろうか?
(事案?事案なのか?いや…でも、緊急事態だし…。むしろそんなことを考える俺がおかしいんだ)
高野はぶんぶん、と首を振り、引きつった笑顔で「ささ、左足も…」と再度、少女に左足を乗せるように要求する。
一旦意識してしまうと、どんどんこれがイケナイ行為な気がしてきて、高野は自分の顔と言動が気持ち悪くないか、と不安に駆られる。
しかし、少女はこくり、と小さく頷いて左足を素直に高野の右膝の上へ乗せた。
(これ、ロリコンおじさんは泣いて喜ぶシチュエーション…。ダメダメ!そういうことを考えちゃダメ!)
高野は頭の中に浮かんだ考えを必死でかき消し、考えないようにする。
考えないようにすればするほど、頭の奥底に沈めた考えは勢いを増して浮上する…。
「シロクマ実験」という有名な実験があり、考えないようにするということは、その時点で考えない対象を強く意識していることになり、結局、余計に意識することになる、という結果が科学的に証明されている。
だが、理屈ではわかっていたとしても、ついついやってしまうことはあるのだ。
「ロリコンおじさん」「犯罪」「不審者」などのおだやかではないワードが頭の中を占めるが、高野は目の前の作業に没頭することで無視した。
「…よし、これでOK」
簡易的な薬草靴下で彼女の足の傷の応急処置を終えると、「行こう」と声をかける。
「…」
翡翠色の髪の少女はこくり、と頷くと高野の小指をそっと掴んだ。
「…」
再び頭の中に「ロリコンおじさん」というワードが浮かび上がるが…
(うるさいうるさい。緊急事態だ)
高野は彼女の小さい手を握り返し、雨の中、ギルドの方に向かって駆け出した。
一方、その頃、突然眼の前から消失した思念体のショウイを探し、怪物の尾の蛇たちはそれぞれの先端についた単眼をキョロキョロと動かす。
どこにもいない。
邪魔者は突然いなくなった。
ならば、と怪物は気を取り直し、翡翠色の髪の少女を追って大通りを進もうとする。
「待てよ」
だが、怪物の背後から突然声がかかる。
直後、大量の銀色に輝く槍が飛来し、怪物の背中に突き刺さった。
背中に生えていたいくつかの背びれが槍によって破れ、黄色い粘液を大通りへ撒き散らす。
「~~~~~!!?」
無視できない突然のダメージに怪物が振り返るとそこには白茶色のフードを目深にかぶった男が立っていた。
男の周囲には銀色に輝く槍がいくつも浮かんでおり、それらの穂先は全て怪物に向いている。
「そっちには行かせらんないわ。悪いけど」
奇襲攻撃を行った白茶色のフードの男は、ハスキーな声で怪物へ声をかける。
男は空中に浮かんだ魔法陣を足場にして、ふわりふわり、とあっという間に怪物の目線の高さまで駆け上った。
身体の周りに浮かんでいた銀色の槍も彼と一緒についていき、
「いけっ!」
男が指差す方向へ一斉に銀色の槍が飛んでいく。
「~~~~!!!」
怪物の顔についている8つの目を狙って槍が飛び、全ての目に無数の槍が突き刺さった。
目を失った怪物は黄色い涙を流しながら、呻くと、尾に生えた無数の蛇たちを男へ放つ。
一つ目の蛇たちは牙を剥きながら白茶色のフードの男へ飛んでいくが…。
「よい、しょっ!」
フードの男の身体の周りにラウンドシールドがズラリと並び、それぞれが意志を持ったように蛇たちの牙から男を守る。
蛇たちの猛攻を盾たちに防がせながら、男は魔法陣の足場を蹴り、猛スピードで地面に着地する。そして、その勢いを力に変換し、腰を落としてフードの中から怪物の右足に向かって掌底を繰り出す。
「せぇい!!!」
魔力を込めた掌底の衝撃は突風のように足を突き抜け、怪物はぐらりと体勢を崩した。
両手をついて前のめりに地面に倒れ込み、大通りに幾度目かの大地震を発生させる。
地震によっていくつかの建物は外壁が少し崩れたり、窓ガラスが割れたり、ドアが外れるなどの被害が出た。
だが、男は攻撃の手を緩めはしない。
「らぁぁぁぁああああああ!!!」
男が地面を蹴り、高く跳躍しながら手を掲げる。
その手にはひと目見て業物とわかる突撃槍が握られていた。
空中に現れた魔法陣を蹴り、勢いをつけて怪物の身体に突撃槍を突き立てようとする。
しかし…
「!?」
地面に横たわった怪物の身体がボコボコ、と蠢いた。身体の側面を突き破って複数の足が生える。
そして、銀色に光る槍の刺さった8つの目が内側からせり上がっていき、地面に排出された。
牙を折られた巨大な口は胴体に引っ込んでいき、縦長の四角い怪物へと変形していく。
口や目の代わりに身体中から頭文字「G」を冠する生命体の触覚のような器官が無数に生え、背中の中心にはびっしりと生えた牙が浮き出してくる。
背中に巨大な口。そしてその口に食べ物を運ぶための手足であり、感覚器官である触覚がびっしり覆っている怪物。
最早、最初の恐竜のような印象は一切ない。一番近いイメージは背中に口と髭の生えたオオムカデの化け物だ。
突撃槍を突き刺そうと勢いをつけて落下する男を丸呑みにせん、と背中の巨大な口がガパッ、と開いた。
「!!」
男は咄嗟に空中に魔法陣を展開し、自分に急制動をかける。
そして、魔法陣を蹴って上空に退避する。
一瞬遅れて男の展開した魔法陣が怪物の背中に現れた巨大な口に飲み込まれる。
「このファントム、肉体の再構築が早すぎる…」
上空に退避した男は冷や汗を流しながら呟いた。
あともう少し気づくのが遅ければ、あの化け物に喰われていただろう。
ショウイと合わせて、もう相当なダメージを与えている筈だが、それでもまだこれほどの力がある。いや、むしろ最初よりも力をつけてきている印象だ。
男がこれまで戦ってきたファントムの中でもかなり手強い。
本当はショウイの力をもっと借りたかったところだが、どうやら彼は先程発生した店のトラブル対応で肉体へ引き戻されてしまったようだ。
「…今ならギリギリ留めをさせるか?」
ローブの下に隠れている左足のベルトの留具をパチパチと外しながら男は呟く。
9つあるベルトの留具を1つ外す度に魔力が増大していくのを感じる。
同時に足の焼け付くような痛みが強まっていく。
男のベルトの下には大きな傷があった。
その傷は「高濃度魔力傷」に汚染されていた。
「高濃度魔力傷」とは、通常、レベル差のある相手から魔法攻撃を受けた際、稀に現れる汚染された傷だ。
汚染された傷はダメージを与えた主の魔力よりも強力な魔力を持つ治癒師によってのみ治すことができる。
だが、男の場合には少し事情が違った。
男は生まれつき、自分の器を超える魔力を持っていた。
自分の器よりも大きい魔力は自分を食い殺す。
生まれつき強大な魔力を持っていた彼は、ある時、戦闘で魔力を暴走させてしまい、自分自身の魔力によって「高濃度魔力傷」を発症させてしまった。
彼は元いた世界で必死に自分の傷を治せる治癒師を探した。しかし、それは非常に困難を極めた。
なぜならば、元いた世界では、男は王国最強の魔術師だったからだ。
残念ながら、彼の本来の持つ魔力を超える治癒師は、元いた世界にはどこにも存在しなかった。
故に彼は、異世界に自分を超える魔力を持つ者を求めた。
その者に会うまでは魔力を制限する宝具であるベルト―――「9つの封印」によって魔力の出力を抑え、傷の進行を抑制すると決めた。
「9つの封印」を解放する度に傷の進行が早まるため、男はこの世界に転移するために解放して以来、ずっと封印し続けてきた。
ただの巨大生物ならば、この世界の冒険者たちにも対処は可能だろうからあえて男が手を出すことはしないが、ファントムとなれば話は別だ。
この世界とは微妙にチャンネルの違う空間に存在するファントムに対処できるのは、男と同じくチャンネルの違う空間を認識できるものだけだ。
ファントムは認識できなければ干渉できない。一方でファントムは一方的にあらゆるチャンネルの違う空間に干渉することができる。
このファントムは環境への適応が異常に早い。すでに最初の見た目から何度か変態を遂げている。
(ショウイと俺と戦ったことで学習してる)
このままでは手がつけられなくなる。
「9つの封印」を解放せずに打開するのは極めて困難だ。
そう判断した男は「9つの封印」の5つ目のベルトを解放する。
封印されていた魔力が左足から全身に周り、内側から湧き出る。
魔力の影響を受けて、髪色が普段のブラウンダイヤモンドのような髪色からシトリンのようなコニャックイエローに変わっていく。
同時に、魔力に反応して左足の「高濃度魔力傷」がジワジワとその範囲を広げていくのがわかる。
これ以上は男の身体が耐えられない。このままではまたあの悲劇が繰り返されてしまう。
(一撃でケリをつける)
男は白茶色のフードの中で決意を固め、暴発寸前の魔力を左足に集中させる。
強大な魔力に反応してか、翡翠色の怪物がムカデのように全身の足をバタつかせて男の方へ高速で接近してくる。
男はギリギリまで怪物を引き込むと、無数の触覚が男の身体に触れる直前で、くるり、と身体を回転させる。
そして地面に手をつき、左足を天に向かって突き上げた。
ドッ!!!!!
一瞬、回転上段蹴りの威力によって周囲の雨粒が全て消失する。
3階建ての建物に相当するサイズのムカデに似た怪物は、男の蹴りの威力で頭と思しき部位を上にし、全身を浮かび上がらせる。
銀色の衝撃波が天まで突き抜け、夜空を覆っていた雨雲がその部分だけポッカリと消失した。
ムカデの怪物はあまりの衝撃に耐えきれず、身体が半分に千切れ、身体から切り離された下半身が瞬く間に消失する。
だが…
男は遥か上空で、半分になった怪物の身体が落下しながらボコボコと蠢くのを見た。
背中から巨大な翼をいくつも生やし、触覚と口と翼を持った奇妙なコウモリのような姿に変わる。
(これでもまだ足りないのか…ッ!!!)
「~~~~~~!!!!」
その怪物は巨大な口を開き、男を喰らわん、と高速で落下する。
「店長、頼む…」
「9つの封印」を解放した反動と、「高濃度魔力傷」の激痛によって顔をしかめた男は自分の勤め先の店長に祈った。
買い物のフリをして店を出た店長はきっとどこかで息を潜め、チャンスを狙っている筈だ。
「…誰だか知らんけど、ナイスアシスト♪…あとは任せておけ。―――『ブルー・バレット(2)』!!!」
その時、遥か数キロ先でポイントを変え、腹ばいになっていたヨシがニヤリと笑い、引き金を引いた。
ドン!!!!!
彼の髪と同じくサファイアブルーの軌跡を描いて弾丸が発射される。
引き金を引いたのとほぼ同時に、数キロ先の上空を凄まじいスピードで落下していた怪物の身体の中心を青い閃光が貫いた。
銃弾で貫かれた怪物の身体の内側から霜が一瞬で広がる。そしてあっという間に体表が真っ白な霜で覆われた。
地面に落下すると同時に霜で覆われた怪物は砂のように細かい粒子となって消え去る。
「…おし、なんとかなったか」
ライフルのスコープでその様子を覗いたヨシは煙草の火を消して携帯灰皿へ放り込む。
「…やっべ、もうこんな時間。皆になんて言い訳しよ…。うんこしてた、でいいかな?…、まあ大丈夫だろ」
雨に濡れた長髪を後ろにかき上げながらヨシは遅刻の言い訳を考え、舌を出した。




