#8
ドパァンッ!!
遥か遠くから火薬の爆ぜる大音量がした。
同時に高野の頭上を凄まじい風が吹き抜ける。
風圧によって砂埃が立ち上がり、同時にまるでスモークを炊いたかのように白煙が広がる。
少し後に黄色い粘液を撒き散らしながら巨大な尻尾が地面に落下し、ズシンッという音とともに地面に衝撃が走る。
「!!!」
高野はそれでようやく自分の背後を怪物の巨大な尻尾が狙っていたことに気づく。
だが、幸運にもその狙いが外れた。
(いや…誰かが助けてくれた?)
この白い煙は怪物の尻尾によって発生したとは思えない。
となれば、高野と腕の中の少女以外の第3者が介入したとしか考えられない。
「なんだかわからないけど、ラッキーだったね~、お兄さん」
その時、白い煙の中から若い男ののんびりとした声が響いた。
その声はまるで板を一枚挟んだような奇妙な響きがあり、壁の薄い隣の部屋から声をかけられているみたいだった。
「?」
「あぁ、ダメダメ、振り向いたら。そのまま全力で真っすぐ走って。俺が引き付けておいてあげるから」
若い男の声は高野が振り返ることを止め、全力でギルドの方へ逃げることを勧める。
「…誰だかわかりませんが、ありがとうございます」
高野は大声で礼を言うと、加護の力が残っているうちに、と全力でその場を離脱した。
「…いえいえ」
煙の中にいる声の主は横目で高野が翡翠色の髪の少女を抱え、走っていくのを見守りながら微笑む。
「まずトランスルーセンが彼に見えてたことがびっくりだけど、よく飛び出していったよ。やるじゃん先生」
白い煙が徐々に晴れていく。
そこには半透明の怪物と同じく、半透明の姿の生き物が浮かんでいた。
ルビー色の髪に前髪だけ一房生えた銀髪。ルビー色の髪の左右からは雄羊を連想するカールした2本の角が生えている。
雨に濡れてキラキラと輝くのは水色の肌。その透き通った水色の背中からは小さな黒い羽が生えている。
彼は人に近い見た目をしているが、明らかに人ではない。
彼の姿がもし見える者がいれば、彼を悪魔や魔物と呼ぶだろう。
その正体はこの世界には存在しない生物―――夢の世界を通じてこのレイル共和国大都市ネゴルに転移してきた夢魔だ。
彼の名はショウイ。
彼は正体を偽り、「限りなく透明な喫茶店」のバイトリーダーとして日夜、祖国の戦争を止めるための方法を探し求めていた。
「仕事中だからね。そんなに長くは居眠りできない。店長やリョウくんに見つかったら絶対起こされるし…」
半透明の夢魔の姿は眼の前の怪物―――トランスルーセンと夢魔の世界では呼んでいる―――と同じく思念体だ。
思念体とはある意味ではショウイの自身であり、この世界では魂と呼ばれるものである。
この世界でショウイは、仮初の人間の身体に思念体を結びつけて活動している。
故に、この世界ではその仮初の身体が寝ている時にだけ、ショウイは肉体から思念体を切り離し、思念体のみで活動することができる。
つまり、わかりやすく言えば、今、ショウイの人間の身体は「限りなく透明な喫茶店」のカウンターの中で居眠りしており、思念体になって外に飛び出してきている。
「幽体離脱している状態でこの場にいる」と言っても認識的には問題ないだろう。
思念体が傷つけばもちろん人間の身体にもダメージを負うし、深刻なダメージを受ければ存在そのものが消失する。
だが、肉体の制約を解き放ち、本来の姿になったショウイは人間の姿とは比べ物にならない程の力を発揮することができる。
ただし、仮初の肉体とショウイの思念体を結びつけている今、肉体に強い刺激が加われば、たちまち思念体は夢から醒めて、肉体に呼び戻されてしまうという制限がある。
かといって、肉体と思念体の結びつきを切れば、思念体としてのショウイは、この世界でたちまち存在を保てなくなってしまう。
この世界を海だとすれば、肉体は海を自由に浮かぶためのボートのようなものだからだ。
「だから…起こされる前に速攻でカタをつけるよ!…『夢想の刃』!!!」
夢魔の姿をしたショウイは叫びながら右手を伸ばす。
ショウイの想像力によって生み出された武器が眩い虹色の光を放ちながら出現する。
ナックルガードのついた柄から伸びるのは、身体よりも大きな虹色の片刃剣。
刃の部分にはギザギザした突起が無数についている。
「~~~~~~~!!!!」
半透明の翡翠色をした怪物は何者かに尻尾を撃ち抜かれた痛みと、獲物の狩りを邪魔された苛立ちを表現するかのうように、巨大な口を引き裂けんばかりに広げて叫び声を上げる。
「うっさい!本体が目ぇ覚ましたらどうすんだ。このアホゥ!!!」
その爆音量の鳴き声に思わず耳を塞いだショウイは、頬を膨らませて叫び返す。
そして、海の中を泳ぐ魚のように空を泳ぎ、怪物の口に斬りかかった。
剣を振りかぶる瞬間、刃先についたギザギザの小さな突起が下方に流れ、柄に消えた突起が上方から現れ、とまるで電動ノコギリのように高速回転する。
「おりゃぁ!!!」
怪物の口の右側を縦に鋭い剣閃が走った。
「~~~~~ッ!!!」
怪物が爆音で悲鳴を上げ、口の間から巨大な牙が黄色い粘液とともに数本ボトボト、と地面に落ちる。
「かっっっった~~~~~!!マジか。そしてうっさい、ってぇ―――」
ショウイのイメージによって虹色の片刃剣が形を変えていく。
柄がみるみる内に細く、長くなり、薄い刃の部分は左右に広がって厚みが増えていき、巨大な質量を持った四角い塊に変わる。
それは怪物の顎の半分はありそうなスレッジハンマー。
ショウイは細い身体のどこにそれほどの力があるのか、下から上にすくい上げるようにハンマーを振るう。
「―――言ってるだろぉぉぉぉおおおおお!!!!!」
ガツーンッ!!!!!
ショウイの驚異的な膂力から繰り出されるスレッジハンマーによるアッパーカットが怪物の下顎の中心を見事に捉え、かち上げた。
今の一撃によって、首が跳ね上がった怪物の口の中からボロボロと砕けた大きな牙が地面に落ちていく。
怪物は8つの目を一斉に見開き、ショウイを睨みつけた。
「…一体、誰と戦ってるんだ?」
取り外したライフルのスコープで怪物の顎が跳ね上がる様子を見ながら、サファイアブルーの髪を持つ店長―――ヨシは首を傾げる。
高野を救うために位置がバレる覚悟で先程の一撃を放ったが、ありがたいことに誰かがヨシに続いて攻撃を仕掛けてくれている。
それは間違いないのだが、姿を隠すスキルかなにかを使っているのか、姿が視認できない。
「…この眼鏡、その手のスキルは看破できる筈なんだけどなぁ。ひょっとして壊れてる?」
ヨシは宝具である自分の眼鏡をトントン、と指で叩いて顔をしかめる。
その時、ヨシの頭の中に男の声が響く。
“多分、アンタの眼鏡よりも高度な隠密系スキルか、魔法なんだろうよ。それよりももう何本か吸っとけよ。さっきのでわかったろ?あの翠魔、超大物だ。今のアンタじゃ、『1本』だと厳しいぜ”
「だな。…って、これを機に俺を早死させるつもりじゃないだろうな?」
ヨシは頭の中で親しげに声をかけてくるジーンに頷き、促されるままに煙草をくわえて火をつけようとした手を止める。
“おいおい、そりゃないぜ、相棒~。俺はアンタのためを思ってるだけさ。ささ、気を取り直して吸って、吸って~”
「…」
どの道、この状況を打開するにはそれしかないだろうということはヨシも理解している。
ジーンの口車に乗るのは癪に触るが仕方がない。
「…火」
“はいよ。弾は何になさいましょ?”
「『ブルー・バレット』…2本で」
“まいどぉ!”
頭の中の声が嬉しそうな声を上げた。直後、煙草の先端にボッ、と青い火が灯る。
火は明らかに通常の煙草の火よりも勢いが強く、普通ならあっという間に煙草が燃え尽きてしまいそうだが、不思議と煙草の減り方は変わらない。
ヨシは腰に吊るしていた弾薬の一つを抜き取ると、肺に入れた煙草の青白い煙をフーッ、と吹きかけた。ヨシから吐き出された青白い煙はみるみるうちに人の上半身のような形に変わる。
ジーンだ。
「それ、人前でやるなよ?」
どう考えてもジーンの形をした煙は目立つ。この世界では存在しないであろうジーンはあまり人には見られたくなかった。
“大丈夫大丈夫。わかってるってぇ~”
ジーンはニヤニヤと胡散臭い笑みを浮かべながら、弾薬の周りをスイー、と一周すると元の青白い煙に戻り、弾薬に巻き付く。
青白い煙に触れた弾薬はヘッドからボディ、ボディから弾頭に向けて青白く輝き始めた。
力に恵まれなかったヨシが戦場で生き残るためにはジーンの力に頼るしかなかった。
代償は決して安くはないが、ジーンのおかげで今はあの半透明の怪物―――翠魔とヨシの世界では呼んでいる―――からお客様を守ることができる。
翠魔は全てを奪っていく。ヨシは自分に居場所を与えてくれたこの世界の人々が自分と同じ運命を辿るのをなんとしてでも防ぎたいと思っていた。
ライフルの側面部についたボルトのハンドルを起こして引くと薬莢が排出され、地面に転がる。
そして今しがたジーンの力を付与した弾薬を素早く装填する。
“それよりどうだい?この際、新しいバレットの契約を検討しないか?『15本』で良いのがあるぜぇ?”
ジーンはヨシから契約料を取り立てた後、ヨシの口から吹き出る煙から顔を出し、ひそひそと声をかける。
「さり気なく営業すんな。―――結構だ。4つでなんとかするよ。いざとなりゃ『3本』でいく」
“またまた~。我慢は身体に毒だぜ?”
「余計なお世話だ」
顔の周りをフワフワと浮かぶジーンを手で払い除けてかき消し、会話を中断すると、ライフルを持ち運びできるように手早く片付ける。
自分以外に誰が助太刀してくれているのかはわからないが、とにかくこれはチャンスだ。今のうちにポイントを移動しよう。
眉の傷をなぞりながら方針を決めると、ヨシはずっしりと重いライフルを背負い、別の狙撃ポイントへ向かって走り出した。
「ぅわっと~」
怪物が振り下ろす尻尾を虹色の大鎌を担いだショウイは半円を書くように下から上にカーブして避ける。
「尻尾、邪魔だなぁ…『夢想の刃』!!」
虹色の大鎌をイメージの力で大鋏に変換すると尻尾を「えいっ!」と勢い良く断ち切る。
「ゲフブブブ!!!」
怪物はスレッジハンマーによって大量の牙を砕かれた口から黄色の粘液をボトボトと垂らしながら奇妙な声を上げる。
少し後にズシン、と大通りに翡翠色に紫色のまだら模様が入った尻尾の一部が落下し、傷口から黄色い粘液を吹き出しながらどろどろに崩れていく。
「うえええええ…」
その様子を見て、ショウイは空中で顔をしかめる。色といい形といい、気持ちが悪いトランスルーセンだ。これほどの大型はあまり見かけない。
一応、このトランスルーセンもショウイと同じく、思念体の本体から切り離した部位はしばらくすると存在を保てず消滅するらしい。
ならば…
「そろそろ弱ってきたんじゃない?…ってまだか」
切断された尻尾の断面がぶるぶる、と震えると、尾の付け根から無数の細い尾に分かれていく。
それを見てショウイは苦笑いする。
ショウイの「夢想の刃」を見て学習したのか、あるいはショウイを脅威と認定し、仕留めるためにその場で進化したのか…。
尻尾は長く細い鞭の束となり、それぞれが意志を持っているかのように一斉にショウイへと向かっていく。
尻尾の先端はよく見れば、それぞれに目があり、口があり、牙がある。1つ目の蛇の化け物のような形をしていた。
それらは一斉に口を開いてショウイへと襲いかかる。
「そっちがその気ならこっちも…」
ショウイが虹色の大鋏を変化させようとした時、
「…!嘘でしょ」と目を見開いて声を上げる。
ショウイの思念体にノイズが走る。
肉体の方が目を覚まそうとしていた。
誰かがショウイを起こしているのだ。
思念体のショウイは自分の身体が急速に肉体へと引き寄せられていく。
「おい、誰だこんな時に…。あ、もしかして店長か?…いや、リョウくんかも。『バイト中に居眠りして』って怒られるのかな、そんな場合じゃないのに…」
覚醒する肉体に戻るまいと必死で抵抗するも虚しく、ショウイの思念体はあっという間に肉体の方へと吸い寄せられていった。
――― アマイア暦1328年薔薇の月5日 夕方 ―――
<レイル共和国 大都市ネゴル 大通り 限りなく透明な喫茶店>
「ふぇ!?」
涎を垂らしたルビー色の髪をした青年―――ショウイは身体をビクリ、と震わせて飛び起きる。
「ショウさん、ようやく起きた」
ショウイの身体を揺すっていたのはガリガリに痩せたゴロツキだった。
「んにゃ、どしたん?」
ショウイは目を擦りながらガリガリのゴロツキに尋ねる。
「『んにゃ、どうしたん?』じゃないッスよ。大変なンスよ。…ボストンが客と喧嘩してて」
「はぁ!?」
その言葉でまだ寝ぼけていたショウイの意識は一気に覚醒していく。
ボストンというのは確か接客を任せていたガタイの良いリーダー格のゴロツキの名前だ。
「なんで!?」
ガバッと身体を起こしてガリガリのゴロツキの両肩を掴むと、彼は顔を仰け反らせながら事情を説明する。
「…で、ボストンが持っていったラーメンのスープに手を突っ込んでたとかで、『汚い、こんなの食えるか!』とかって客が文句を言って、ボストンが『ああ!?俺の手が汚ねぇっつーのか!?』って。…なんでこの状況で目を覚まさないんですかぁ」
要約するとボストンが接客で不手際を起こし、それにお客様が腹を立てた。だが、事もあろうにそのお客様に対し、ボストンが逆ギレした、ということらしい。
ガリガリのゴロツキは客の胸ぐらを掴んで大声で怒鳴るボストンを指さして顔を青くしながら「あそこ」と訴える。
「店長は?」
「まだ戻ってきてません」
「そりゃそうか。戻ってきてたら俺、今頃怒られているわ。リョウくん…は厨房か、手ぇ離せないよな。―――わかった、俺、行くわ」
この街の平和はもちろん大事だが、この状況でショウイが二度寝をしたら後で店長とリョウに死ぬほど怒られる。バイトリーダーのショウイはクビが確定してしまうだろう。
店長の殺人靴下はショウイの世界の夢魔たちを救う兵器としてこれからも手に入れ続けなければならないし、まだクビになるわけにはいかない。
この街と店を天秤にかけるなら街の人には申し訳ないが店を取る。
(さっさとこれ片付けて二度寝して助けに行こう)
ショウイは頭をポリポリ、と掻くと慌てて「お客様~、大ッッッッ変申し訳ございませぇぇぇぇええええん!!!」と大きな声を上げて謝罪のために走っていった。




