#7
――― アマイア暦1328年薔薇の月5日 夕方 ―――
<レイル共和国 大都市ネゴル 大通り>
店の外に高野が飛び出すと翡翠色の光が徐々に消えていくところだった。
「!」
高野は体格の良いリーダー格のゴロツキの背中から出ていた光線の先を辿って顔を向ける。
高野が追いかけている光線と同じ色をした光線が他にも2本、通りの反対側の壁と、空を飛んでいる鳥からも伸びていた。
そしてその3本の光線の先の交わる先には…
「扉!?」
まるで元の世界で老若男女誰もが知っている国民的アニメに出てくる不思議な道具のように、古びた洋風の扉がそこにはあった。
そして、その扉と高野を結ぶ直線上に、光線と同色の翡翠色の髪の少女がこちらへ向かって走ってくる。
少女の歳は十代前半くらいだろうか。白いひらひらとしたローブを纏っている。
背格好はトントゥよりはやや大きいし、耳はエルフには見えない。
だが、どこか不思議な雰囲気があって、ただのヒューマンと言い切るのも難しい。
彼女は一体どれだけの距離を走ってきたのか、体中傷だらけで今にも泣きそうな顔をしていた。
だが、そんな彼女に大通りの人たちは目もくれない。この世界の人たちが冷たい人間で明らかにトラブル抱えてそうな子どもを無視しているから、ではない。
―――どうやら彼らには、彼女らが見えないらしい。
その証拠に彼らは、彼女が逃げるのと反対方向へ平然と足を運ぶ。
彼らの向かう先には、高野がこれまでに見たことがない程巨大な怪物が立っているのにも関わらず…。
「あれは一体…」
高野は3階建ての建物ほどの大きさの巨大な怪物を見上げて、息を飲んだ。
光線や翡翠色の髪の少女と同じく、翡翠色の半透明な怪物。
それはティラノサウルスを連想させる巨大な顎と手足、尾を持っていた。
ただし、顔に目が8個ついているところと、体表が蛍光色のスライムのようにドロリとしているところはティラノサウルスと明らかに違った。
怪獣の体表にある半透明の紫色のまだら模様が高野に毒々しい印象を抱かせる。
その半透明の怪物は巨大な顎をガパッ、と開き、吠えた。
「~~~~~!!!」
特撮映画に出てくる巨大怪獣のような鳴き声が爆音で響く。
高野もまさか生でそんなものを見る機会があるとは思わなかった。
だが、そんな怪物の思わず耳を塞ぎたくなる叫び声も、皆には聞こえないようで、彼らは平然と通りを歩いていた。
曇り始めていた空からポツポツと雨が振り始める。
目の前に巨大な怪物がいるというのに、彼らは呑気に「あ、雨だ…」と天を仰ぐ。
直後、怪物の8つの目が一斉にギョロリ、となにかを探すように動き、ピタリと止まった。
その8つの視線の先には、ふらつきながらも必死に走る翡翠色の髪の少女がいた。
怪物は巨大な右足を持ち上げると、自分に背を向けて走る彼女の方へ大きく一歩、足を動かす。
ズンッ!!!
「お?」「なんだ?」「地震?」「結構大きいな」
近くにいた者たちは突然の振動に驚き、地震と勘違いする。
地面に大きな足跡がくっきりと刻まれているが、怪物の姿を見ることができない彼らはその足跡にすぐには気づかない。
今度は左足を大きく上げた。怪物の進行方向にはドワーフの男戦士とトントゥの神官がいた。彼らは談笑しながらギルドの方に向かっているようだった。
「危ない…ッ!」
足の影に入った彼らに高野が思わず声を上げる。高野の声に気づいたドワーフとトントゥが怪訝そうにこちらの方を見た瞬間、
ズンッ!!!
半透明の巨大な足が彼らを踏みつけた。
地面にくっきりと巨大な足跡が残る。
「!!!」
「「?」」
だが、半透明な巨大な足は二人を押し潰すことなく、すり抜ける。
それを見て、高野は「なんだすり抜けるのか…」と胸を撫で下ろした。
眼の前で人がぐしゃりと潰れるのではないかと思って背筋が凍ったが、どうやら杞憂のようだ。
「なんだ?このでけぇ足跡?」
振動と共に自分たちの足元に突然できた窪みにトントゥが気づき、首を傾げる。
「大通りにこんな跡あったか?」
「…いや?」
ドワーフも首を傾げ…
「…くはっ」
突然、青ざめた顔をして胸を押さえる。
「おい?どうし…」
ドワーフの様子を見て声をかけようとしたトントゥも突然、白目を剥き、バタリ、とうつ伏せに倒れ込んだ。
「…ッ!!!」
こちらに向かって走ってきた翡翠色の髪の少女は彼らの声が聞こえたのか、立ち止まって振り返る。
地面に倒れ込んだ2人を見て、口を横にぎゅっと結んでから、「ごめんなさい…」とか細く呟く。
そして、目をつぶって再び駆け出す。
ズン、ズン、ズン!!
怪物は少女に向かって歩を進めていく。
運悪くその怪物に踏まれた通行人たちが次々と、先程のドワーフやトントゥと同様に地面にうずくまったり、倒れ込んでいく。
間違いなく怪物に踏まれたことで、良くないなにかが起こっていた。
だが、当の本人たちはその原因がわからない。
幸い、雨のおかげで通行人は多くはない。
だが、怪物の見えない一般人たちも目の前で異常事態が起きていることに気づくには、既に十分過ぎる程の被害が出ていた。
「あの足跡がヤバい」「おい、こっちに向かって近づいてきてるぞ」「ヤバい、なんだかわからないがヤバい」「逃げろ逃げろ」「建物は安全か?」「わかんねぇ、わかんねぇよ!」
通行人たちが見えない怪物に怯えてパニックを起こし、口々に叫ぶ。
「…!!!」
通行人たちは翡翠色の髪の少女と同じ方向に逃げ始める。
翡翠色の髪の少女の足はすでに疲労の限界なのか、それほど早く走れていなかった。あっという間に通行人たちに追いつかれ、姿を認識されていない彼女は彼らにぶつかって地面に倒される。
「あ…」
それを見た高野は思わず走っていた。逃げ惑う人々にぶつかり、それをかき分けながら彼女の方へ進む。
そして倒れている少女に駆け寄るとしゃがみ込んで「大丈夫?」と手を伸ばす。
すぐそこに怪物が迫っているというのに、随分胆力がついたものだ、と高野は自分のことながら感心する。
「?」
翡翠色の髪の少女は高野の差し出す手をポカン、と見つめ、そして左右をキョロキョロと見回す。
「君だよ、君」
「…」
自分に話しかけていると知った少女は目を見開く。
「なんで…」
その時、高野と翡翠色の髪の少女を掴もうと巨大な右腕が伸びてきた。
(…獣神ブラム。力を)
“ほいよ”
獣神ブラムには高野と同じく怪物が見えているようで、余計な説明をしなくとも高野へ加護を与えてくれた。
一瞬で身体中から力がみなぎってくるのがわかる。
全身から金色の光を放ちながら、金髪、金眼に変わった高野は翡翠色の髪の少女の腕を掴んで抱きかかえると、地面を蹴って猛スピードで怪物の腕をかわす。
(~~~~!!これが「加護」!すっげぇ!)
自分のものとは思えない身体能力に思わずテンションが上がる。
獣神ブラムから与えられた「獣神の加護」―――それは一定時間、身体能力を爆発的に向上させる「獣人族」にのみ与えられた1日1回限定の奥の手だ。
高野はこの世界への異世界転移者だったため、担当神が不在だった。
そのため、冒険者として職業選択をする際に、神々に直接交渉した。神々は拍子抜けする程、あっさりとそれを認め、ダイスロールで担当決めを行った。
そして、ダイスの目の結果、高野の担当は獣人たちの主神―――獣神ブラムとなった。
獣神ブラムが高野の担当となったため、一応、見た目はヒューマンだが、種族分類としては「獣人」ということになっている。
せっかく神から与えられた加護だが、高野はこれまで一度しか発動させたことがない。
しかも、上級冒険者相手に見た目が変化する特性を利用したハッタリとして使っただけだ。
―――ちなみに「加護」使用時、高野の髪の色と目の色が金色になり、身体からも光のオーラが出るが、この見た目の変化に特段意味はない。ただ単に「『獣化』するなら変身感が欲しい」という獣神ブラムのこだわりである。
目の前を怪物の腕が通過していくのがはっきりとわかる。
なんというか…スポーツ選手が時々言う「ゾーン」に入るというのはこういう感覚なのだろうか?
生身の高野では到底かわせない攻撃を悠々と回避できた。通過がちょっと遅いな、と思えるくらいだ。
(うわ~、マジでヒーローみたい)
と、高野は思わず笑みを浮かべてしまう。
だが、一度、怪物の手から少女を救った程度で自分が強くなったと錯覚してはいけない。
この加護には制限時間があるし、レベル1の高野がこんな巨大な怪物になにかしたところで倒せるとは思えない。
高野ができるのは逃げることのみ。
だが、通行人たちと同じ方向に逃げるわけにはいかない。
怪物の狙いは恐らく高野の腕の中にいるこの翡翠色の髪をした少女だ。
姿が見えない怪物は彼女を連れて逃げれば必ず追ってくるだろう。もし、通行人たちと同じ方向に逃げれば、より多くの人たちを巻き込むことになる。
そもそも、あちらに逃げればシュゼットや喫茶店の人たちを巻き込む可能性もあるから絶対にダメだ。
かと言って、狭い通りに逃げるのも良くない。
透過する半透明の怪物に建物の中にいる者たちが被害に遭う可能性があるからだ。
「加護」の影響か、普段よりも冴え渡る思考を巡らせ、最善の策を考える。
そして…
(よし、ギルドに逃げ込もう!)
高野は自分で問題解決することを早々に諦めた。
自分の力では怪物の姿は見えてもどうにもならない。
ギルドにいる人間たちもきっと多くの人には怪物は見えないかもしれない。
だが、高野は見えるのだ。そして恐らくこの腕の中の少女も…。
ならば冒険者の中にも怪物が見える者がいるかもしれない。
少なくともその人は高野よりは戦闘能力が高いだろう。運が良ければ知り合いの冒険者たちの力も借りることができるかもしれない。
今考えたのは全部可能性の話で、全員が怪物を見ることができなければ、ギルドの冒険者全員を巻き込むことになる。しかし、それでも闇雲に人気のないところへ逃げるよりは幾分マシな筈だ。
眼の前を怪物の右腕が通過する刹那の間に、そんな大雑把なギャンブルを冴え渡った脳で計画し、高野は腹を括った。
「舌、噛まないでね」
高野は腕の中にいる少女に努めて優しく声をかけると、地面を蹴って、怪物の右肘の下あたりを目掛けて飛び込む。
怪物の右足の前でギュン、と左足を踏ん張って急制動をかけ、今度は怪物の左の踵の方へ跳ぶ。
体育の授業でサッカーをやった時、サッカー部によくやられたフェイントのようだ。
ボールを持っている状態で高野がこれを真似してやると確実にボールを置いていってしまうが、この場にボールはないから関係ない。
ジグザグ走行で怪物の股下をくぐり抜け、長い尻尾の隙間から抜け出す。
「…わぉ、先生やるぅ~」
その様子を少し離れた建物の屋根の上でスコープ越しに見ていた男が、煙を吐きながら呟く。
喫茶店の客としてきたギルドのカウンセラーだというあの先生は、元軍人の男の見立てでは、どう考えても戦闘の素人だ。
なぜ彼が翠魔を見ることができるのかはわからないが、翠魔を相手取るには明らかに実力が不足していると思っていた。
だが、彼は突然髪の色が変わったと思ったら、男の想定外の速度で翠魔の手を避け、足の間をすり抜けた。
お陰で弾を一発撃たずに済んだ。
―――できればこちらに気づかれずに一撃で翠魔を仕留めたいところだ。
男は雨に打たれて濡れたサファイアブルーの前髪を、チェーンのついた眼鏡にかからないように左手で横に流す。そして、ライフルのトリガーに右指をかけたまま、煙草を吹かした。
煙草の煙が風で流れるのを見て、ライフルの角度を微調整する。
慌てて店から出てきたので、制服のまま腹ばいになってしまったが、服が汚れてしまったので店に戻る前に着替えねばなるまい。
「しかし、今回の翠魔はなかなか大物だな。あのおチビちゃんが連れてきたのか?」
あのゴロツキのリーダーの背中にあった翡翠色の模様は異世界の扉の座標を決めるマーカーだ。
偶然、異世界を渡るのではなく、意図的に異世界を渡れるとしたら膨大な魔力を持つ高位の魔法使いか、異世界を渡る能力を持った異能者、あるいはスコープの先にいる翠魔しかあり得ない。
少女の髪の色は翠魔と同じ透き通るような翡翠色…
「あれか、噂に聞く『魔を呼ぶ者』、ってやつか?」
その時、翠魔の尾が揺れ、少女を抱えた金色に輝く男の背中目掛けて振り下ろされる。
しかし、先生はやはり戦闘の素人であるらしい。
自分の背後に迫る危機を全く感知できないまま、真っ直ぐ怪物に背を向けて走っていた。
「…」
男は目を細める。
今、装填している弾丸は「ホワイト・バレット」。
視界を奪うための弾丸であり、尻尾を狙えば効果は落ちる。
それに怪物にこちらの位置を特定されてしまうリスクがあるが…
「接客中のお客様に死なれたら店長失格っしょ」
「限りなく透明な喫茶店」店長ヨシは躊躇わずライフルのトリガーを引いた。




