#2
――― アマイア暦1328年薔薇の月5日 昼 ―――
<レイル共和国 大都市ネゴル ギルド 相談室>
机の上にどっさりと積まれた記録の山に埋もれながら
「眠い…」
と、高野は呟いた。
ようやく昼休憩に入ったが、身体がだるくて、まぶたが重い。これまでは薬草を煎じたドーピングドリンクでなんとか誤魔化してきたが、それももう限界に近かった。
それもその筈、シスカ、シュゼット、そしてベテラン冒険者たちと共にルッカというエルフの少女の故郷の痕跡を探す冒険から帰ってきてまだ1週間程度しか経っていない。
その間放り出した仕事は山積みで、帰ってきた途端に治癒師のカリネに笑顔で手招きされ、新しいクライエントをどっさりと紹介された。
なんでも最近は徐々に高野の存在が冒険者たちに認知されてきており、予約希望者が増えてきているらしい。
誰が吹聴しているのかわからないが、なんでも「再起不能になった冒険者がカウンセリングを受けて復活し、門番をぶっ飛ばした」とか「女好きのクソ野郎がカウンセリングを受けて更生し、ハーレムを解散した」とか「Aランクの魔法使いを素手でねじ伏せた」とか高野に関して誤った情報が流れているらしい。…しかも、どれも100%間違っているわけではないことが困る。
まあとにかく、おかげで「カウンセリング受けると強くなれるんスか?」と相談に来る輩もいたりして、クライエントのカウンセリングに対する誤解を解くところから始めなければならず、そうした意味でも忙しい状況だ。
しかし、中にはこれまで誰にも打ち明けることができなかった心の内を話せたというケースや、即座に介入しなければ命にかかわるような状況だったケースもあり、ある程度の認知度は必要だな、と改めて実感させられた。
「こんな時にエナジードリンクでもあればなぁ…」
もうひと頑張りできるのにと、高野は異世界に無い「社畜労働者の常備薬」を渇望する。
その時、
「こんにちはぁ~、せんせぇ、遊びにきましたよぉ~」
ノックの後、バーン、と豪快に扉を開き、シュゼットが相談室に入ってくる。
「わっぷ!?」
その衝撃で記録の山が崩れ、机に突っ伏していた高野の後頭部に襲いかかる。
「シュゼット~~~」
この時間は面談が絶対に入っていないから良いが、それでも…
「勢いよく入ってきたら駄目だろ!」
高野は記録の山から頭を突き出し、ピンク色の髪のエルフに文句を言う。
「えへへ~、今日はムラサキガニのポテトサラダをゲットしたので嬉しくてぇ。ほらほら、せんせぇに早く食べさせてあげたかったんですよぉ~」
シュゼットは「すみませぇん☆」と舌を出して赤いフレームの眼鏡の下からウィンクする。可愛い子ぶれば誤魔化せると思っているのだろうか。
「何度も言ってるけど…」
「わかってますよぉ~、カウンセリング中は絶対開けませんってぇ~。大丈夫、ちゃぁんと先生の予約スケジュールは全部把握してるんでぇ!アタシ」
シュゼットは胸を張って相談室のソファに座る。
「…今度からはノックして静かに入ってきてね」
「そういう問題じゃないんだけどな」と高野はつぶやきながらシュゼットにお願いする。
「それで、ムラサキガニって?」
「ああ、そうそう!」
シュゼットは包みを開いて紫色をしたペースト状の物体が入った木の器を取り出す。
「あ、もしかして、先生は初めてですかぁ?ホントは南西の方にあるレーベって国で取れるカニなんですけど、この時期、運がいいとマロフ海の潮に乗って港に『こんにちは』することがあるのですぅ」
「レーベ」とは確か迫害を受けた獣人たちが作った獣人たちだけの国の名前だった筈だ。
シュゼットの対面に腰掛けた高野に「はい」とスプーンを差し出してくる。
「…」
器に入ったムラサキガニのポテトサラダを眺める。この色は…そう、例えるならば紫芋のような色だ。
紫色の食べ物は傷んだ食材を連想させるためか、抵抗感が強い。本能が食べてはならないと訴えかけるのだ。しかし、紫芋のイメージを持ったことで、その抵抗が大分和らいだ。
「いざ…」
高野はスプーンでポテトサラダをひと匙すくうと口に含んだ。
「!!!」
口の中いっぱいに磯の香りが広がる。カニの引き締まった身の弾力とポテトのホロホロとした食感が楽しい。
カニの身は甘みと程よい塩気があり、口の中にとろけるような旨味がゆっくりと広がっていく。
後に引く旨味がいつまでも残るこの感覚はなににも代えがたい幸福だ。
なぜコイツは紫色をしているのだろうか?外敵に食べられないためだろうか?
そして、器の端にマヨネーズのようにまとまったポテトサラダよりも濃い紫、むしろ黒といっても差し支えのない固形物が鎮座している。
最早、高野のスプーンには迷いはない。ポテトサラダの上にたっぷりと乗せて食べる。
押し寄せる快感!
自分の脳からエンドルフィンがドバドバ出ているのではないか、と錯覚するほどの多幸感。
その濃い紫の固形物の正体はカニ味噌だった。
―――わかっている!このポテトサラダを作った人物はこのムラサキガニという生き物のことを熟知している!
こんなもの…こんなものこのポテトサラダの付け合せにマッチしない筈がない!
高野は抗えない快感の波にひたすら翻弄されていた。
「あ、先生、夢中になってるところ悪いんですけどぉ~。アタシの分もちゃんと残しておいてくださいねぇ。あ~…もうこんなに食べちゃってるぅ」
「!」
恍惚とした表情を浮かべた高野の視界にひょい、とシュゼットが顔を出す。
「人気すぎて一個しか買えなかったんですぅ。だから半分このつもりだったんですよぉ」
「ぬな!?」
(30代の男が若い女の子と同じ器のポテトサラダを半分こ…だと!?)
高野の多幸感は一瞬で引っ込み、脳裏に「犯罪」の文字が点灯する。
(これは許されるのだろうか?いやいや、誘ってきたのはシュゼットだし…そもそも彼女はエルフなわけで、ルッカさんよりも年上ってことはヒューマン年齢では恐らく〇〇歳は過ぎているだろうし…)
固まっている高野からシュゼットはひょい、とスプーンを奪い取ると「いただきますぅ♡」と嬉しそうに微笑んで、高野のスプーンが触れた部分に容赦なくスプーンを差し込んでいく。
「うまぁ~♡ヤバい。超美味しい」
スプーンを柔らかそうな唇で挟んでシュゼットはにっこりと微笑んだ。
その様子を見て高野はごくり、と生唾を飲み込む。
頭の中では「犯罪!」「犯罪!」「犯罪!」「犯罪!」と小さな高野が拳を突き上げ、円を描くように歩き回りながら、声高に叫んでいる。
「あーぁ、もう無くなっちゃったぁ。先生、食べ過ぎですよぉ」
「ご、ごめん」
上目遣いでちょっと尖らせた口を膨らませるシュゼットに高野はドギマギしながら慌てて謝る。
「…あらら、先生ぇ、なんかお疲れですかぁ?」
じっと高野の顔を見つめたシュゼットは形の良い眉を少し寄せて首を傾げる。
「え?そ、そう?」
「顔色、悪いですよぉ?」
「え…それはマズいな…」
高野は顔をしかめる。
顔色の悪いカウンセラーはあまり良くない。皆、自己管理ができていない体調の悪そうな人間に悩みを打ち明けたいとは思わないだろう。
確かに仕事が溜まっていて最近リフレッシュ出来ていないかもしれない。
そもそもこの世界にきてから命にかかわるような事件続きで、気が休まる暇がなかったかもしれない。
高野は異世界転移する前、五反田のテナントに仲間と共に相談室を立ち上げて、カウンセラーとして働いていた。
なんとかカウンセラーとして生計を立てられるようになってきていたが忙しい毎日を送っていた。
ある日、仕事終わりに、前から気になっていたバーがもうすぐ閉店になると聞き、潰れる前に一度くらい、とBar「Dice」に立ち寄った。
そしてバーの扉を開いた瞬間、気づけば無一文、無職の状態で異世界のBar「Honey Bee」の店内に転移してしまった。
たまたまそこに居合わせたグラシアナという獣人のオネエが親切にこの世界のことを教えてくれ、彼女のアドバイスもあって、高野は今、こうしてこのギルドでカウンセラーとして働くことができている。
恐らくこの世界においてカウンセリングルームを設立したのは高野が初めてだろう。
元の世界以上にカウンセリングの需要がある世界だったが、相談室にやってくるクライエントたちは平和ボケした国からきた高野にとって想像を超える体験をしてきた者ばかりだった。
高野のクライエントの1人、シスカはエルフの美しい女性だった。彼女は依頼中に魔物たちに囚えられ、仲間や婚約者を目の前でなぶり殺され、彼女自身も屈辱的な目にあわされた。彼女が冒険者たちによって救出され、奇跡の生還を遂げたのは囚えられてから半年も経った後だった。彼女は高野がこれまで見てきたどのクライエントよりも深いトラウマを抱えており、最初は口を利くことすら叶わなかった。
高野と同じく日本から転移してきた男は、自分の好みの女を集めてハーレムを作って好き勝手していたが、結局ハーレムの中の1人の女性の恨みを買い、文字通り「大変な目」に遭った。その男とも女とも面識のあった高野は、結局シュゼット共に事件に巻き込まれ、多くの犠牲を払いながらもなんとか生還を果たした。
ハーレム男の事件を受け、高野はこの世界では自分の身は自分で守るしかないという結論に達し、自衛の術を得るために冒険者の初心者講習に参加する。そこで得た戦闘とサバイバル、そして道具の基本知識は今振り返っても本当にためになるものばかりだった。
あの経験がなければ、先日のコルト樹海での戦闘を生き延びることは難しかっただろう。
(そう考えると本当にギリギリのところを生きているなぁ…)
高野はこれまでの体験を振り返って苦笑いする。
「先生ぇ、ぼーっとしちゃって、ホント、大丈夫ですかぁ?」
「ん。大丈夫大丈夫。けど、たまには息抜きしないとな」
心配そうに高野の顔を覗き込むシュゼットから顔を逸らしながら高野は上ずった声を上げた。
「あ、じゃあ…」とシュゼットがぱっと顔を輝かせて、手を合わせる。
「仕事が終わったらぁ、デートしましょ、デート!」
「は?…え?………でぇと!?」
シュゼットの提案に脳が追いついて行けず、高野は目を丸くしながら聞き返す。
「デートですぅ」
シュゼットは満面の笑みを浮かべて頷く。
「俺と君が?」
「他に誰がこの場にいますぅ?」
「………………!!!」
シュゼットは「あ、そろそろ昼休憩が終わりますぅ」とフリーズする高野を置いて、さっさと木の器とスプーンを片付けてしまう。
(こんな若い子と俺が?デート?マジで?)
頭の中で小さい高野が再び「犯罪」コールを連呼し、歩き回る。
「ちょっと行きたい店があるんです。―――きっと、先生も気に入る筈ですよ!」
「ちょ…ま…」
「じゃ、仕事終わったら相談室に迎えに行きます。さらばい♪」
シュゼットは悪戯っぽい笑みを浮かべ、高野の言葉を遮って上機嫌で相談室を出ていった。
「…マジで?」
残された高野は小さく呟いた。




