#18
― アマイア暦1328年桜の月21日 深夜 ―
<コルト樹海 エルフの里跡地>
自分以外の誰かを演じさせて対話させたりするテクニックを使う場合には役割解除が重要になる。
被暗示性―――つまり、思い込みが強い場合には、対話が終了しても、与えられた役割が残り続けてしまうことがあるからだ。
また、亡くなったナタレとの対話から現実世界に引き戻してやる意味でも重要だ。
やり方は簡単。ナタレのポジションに彼女を導き、「私はナタレではありません。シスカです」と言わせるだけだ。
しかし、たったこれだけの儀式があるのとないのとでは全く違う。
ポジションを交換する際に彼女が纏っていたいつもの彼女とは違う雰囲気―――「役に入っていた状態」とでもいうのだろうか―――が役割解除によって消失していた。
「タカノ先生…その………ありがとう」
ナタレとの対話を終え、役割解除の儀を終えた後、落ち着きを取り戻したシスカは高野に礼を言う。
「いえ…お疲れ様でした」
「おかげで私はまた婚約者と話をすることができたよ」
対話を終えた彼女はどこか以前よりも柔らかい雰囲気を纏っている気がする。
「お手伝いができて良かったです」
高野は微笑んだ。
「シスカちゃん、タカノ、お疲れさん。…なんというか、不思議な体験をさせてもらったよ。…なんかさっぱりした顔をしてるね」
アンドレイがそう言って近づいてくる。
「そうだろうか?」
「そうとも。元々美人だけど、さらに美しさに磨きがかかったよ」
「む…それは嬉しい。素直に褒め言葉として受け取っておこう」
アンドレイがさらりと彼女のことを褒め、普段のシスカなら「やめてくれ…こんな傷だらけの女に」と顔を曇らせるところだが、今の彼女は素直にその言葉を受け入れる。
―――変わったな。
高野はシスカのその姿を見て小さく微笑む。
人はなかなか変わらない。
人が他人を変えることはとても困難だ。
しかし、自分が変わりたいと思えばいつでも変わることができる。
そう彼女のようにきっかけさえあれば一瞬で変わることもある。
―――本当に彼女は凄い。
少し前までは生活するのもやっとで、冒険者に戻れる見通しなど全くなかった。高野自身も酷い体験をした彼女に冒険者へ戻って欲しいとすら思わなかった。
だが、彼女はルッカとの出会いをきっかけに少しずつ自信を取り戻し、ついには2度冒険を行い、トラウマと対峙し、そして自分の気持ちと正面から向き合って、答えを見つけた。
その答えは絶対的なものではなく、今後も変化し得るものだ。
しかし、今の彼女はもう、数時間前の彼女とは間違いなく違う。元々強い人だったが、時々見せた危うさが消え、生きる意味を見出した者特有の自信が漲っている。
彼女がこの旅で得たものはレベルアップや才能だけではない。心の強さ、そのものだ。
「変わりましたね」
シスカを見て、カタリナも同じことを思ったようだ。
「ね、言ったでしょう?先生は凄いんですよぅ」
それを受けてシュゼットがなぜか自慢気に胸を張る。
「本当だね。本当に精神支配系の魔法とか使ってないよな?」
アンドレイが腕を組んで高野をしげしげと見つめる。
「ははは、そんな魔法が使えたら私、今頃別の仕事をしていますよ」
「確かに」
高野の返しにアンドレイは頷いて笑う。
そして、「さて」とアンドレイは急に真面目な顔に戻り、シスカに向き合った。
「さっき中断した話に戻らせてくれ。…君の才能のことだ」
「?」
「才能を持っていることはできることなら、強くなるまではなるべく隠した方が良い。神から贔屓されている人間は多くない。君が才能持ちだと知られたら、これから多くの人が君を利用しようとするだろう」
「…」
生まれつき「超直感」という才能を持つカタリナは胸の前に拳をぎゅっ、と押し付ける。
彼女はきっと今日に至るまでの過程で、その才能で色々な苦労をしてきたのだろう。
「そんなアドバイスをしておいてなんだが………俺たちもシスカちゃんの才能の力を借りたい集団の1つだ」
「集団…」
シスカの呟き対し、アンドレイは頷く。
「そうだ。もう多分察しがついているだろうけど、俺たちとカタリナたちのパーティはある集団に属している」
「魔神教という組織の反対勢力、ということですね?」
高野がこの場所に最初にルッカたちと来た帰り道、アンドレイとカタリナから聞いた話を思い出して尋ねる。
そう…そうだった。この2人はルッカ同様に魔神教の被害者で、出身の村を滅ぼされているのだ。
だから彼らと同じ被害にあったルッカの依頼を引き受け、調査に協力してくれた。
「そう。名前もメンバーも教えれば危険度が増すから今は教えられないけど、それなりにいる」
アンドレイは高野の言葉を肯定した上で話を進める。
「今回、これまでわからなかった魔神教の隠蔽工作の手口がわかった。奴らはこれまでも村を滅ぼしてはあの擬態型のソシア―――ソシア・ネイチャーとでも名付けようか―――アレを放っていたんだな」
「ソシアが人に飼われているということか?」
その言葉にシスカがピクリと眉を上げる。
アンドレイはゆっくりと頷く。
「ああ。奴らは魔神ウロスの復活のために、魔物の研究もしているらしい。特に人間に近い身体の造りをしているソシアは意図的に変異種を生み出す実験をしているって話だ」
「意図的に変異種を…えぇ~~~~…マジですかぁ?」
シュゼットが呟く。
変異種とは突然変異によって生まれる通常の魔物とは異なった姿や能力を持つ個体である。
変異種は強力な個体が多く、多数の被害を生む場合が多い。
ギルドに「ネームド」として優先討伐対象に認定されるモンスターの多くが変異種だと言われている。
高野もこの変異種の存在自体は知っていた。シスカから顔に刺青のある老ソシアの話を聞いて調べたことがあるのだ。
「で、だね。…実はシスカちゃん、君の仲間たちを襲ったソシアの頭…。ギルドの報告書では刺青のある年老いたソシアだって書いてあったけど…」
丁度、老ソシアのことを考えていたタイミングでアンドレイがその話題を口にしたため、高野はドキリ、とする。
ギルドの依頼終了後には達成・未達成に関わらず、報告書の提出が義務付けられている。
吟遊詩人くらいしか興味がないと思っていたが、ギルドに金を払えば冒険の記録に目を通すことは確かに可能だった。
実際、高野も自分のカウンセリングを受けるクライエントの冒険記録はできる限り目を通すようにしていた。
老ソシアのことにアンドレイが触れると、シスカの顔から血の気が引くのがわかった。
「まさか…」
「そのまさかさ。多分、俺たちが『イレズミ』って呼んで探してる個体だ。魔神教が生み出した知能の高いソシア・エルダーの変異種だよ」
「………………魔神教が関わっていたのか?」
アンドレイはシスカの言葉に静かに頷く。
「君にとっては『イレズミ』は仲間の仇だ。そしてその背後にいる魔神教も。…俺たちはシスカちゃんの力を借りたい。そして俺たちの仲間に入ってくれれば、俺たちも君に仇討ちの手伝いができる」
「…………」
シスカはアンドレイの言葉に黙り込む。その様子を見たカタリナが少し迷う様子を見せた後、口を開く。
「…実は、私とアンドレイは恐らく半年以内にはこの世を去ります」
「「「!?」」」
その言葉にはシスカだけでなく、高野とシュゼットも驚く。
アンドレイはすでに知っていることらしく、帽子の頭に手をやってため息をついた。
「それはなぜです?」
高野が尋ねるとカタリナは首を横に振った。
「わかりません。女の勘、としか。ですが、残念ながらそうなのでしょう。もちろん、『はいそうですか』と素直にやられるつもりはありませんが…。一番可能性があるのは魔神教に私たちが反魔神教組織のメンバーであることがバレて、暗殺されることでしょう」
「え…それじゃあ…」
シュゼットが口を開くとアンドレイもカタリナも頷く。
「…私たちの仲間になることで貴女にも危険が及ぶ可能性はあります。ですが、貴女には『イレズミ』と…そして魔神教と戦う権利と資格があります。…一般人のルッカさんを巻き込むわけにはいきませんが…」
「せっかく気持ちに決着がついて幸せになるって決めたところ、悪いんだけど…考えてくれないか?シスカちゃん、俺たちには君の力が必要なんだ」
「…待ってくれ」
シスカはカタリナとアンドレイから距離を取るように後退ると地面に視線を落とす。
「…少し、考えさせて欲しい」
「…お返事…待っています」
カタリナはシスカを気遣うように見つめて、頷いた。
「ちなみにわかってると思うけど、この話は口外禁止だ。話されたら俺たちは必ず魔神教に殺される。できれば今日の話自体、忘れてくれると助かる」
アンドレイが高野とシュゼットにウィンクする。
「や…じゃ、じゃあ、アタシ、今から忘れるんで!大丈夫ですぅ~」
シュゼットはブルブル、と頭を左右に振って「はい、忘れましたぁ!」と叫んだ。
― アマイア暦1328年桜の月21日 早朝 ―
<コルト樹海 エルフの里跡地付近 野営地>
「おー、戻ってきたな。どうだった?」
日の出が近いのか、薄っすらと明るくなってきた空の下、焚き火の近くにいたバイソンの獣人のケステンが高野たちに気づいて声をかける。
「…!その腕」
シスカの千切れた左腕にすぐさま気づき、驚きの声を上げる。
ヒューマンの寡黙な男戦士ベルツと露出の多いドワーフの女戦士ハレーンも顔を上げた。
「…!いたんですか!?魔神教が!!」
眠り薬が切れたのか、夜明け直前だというのに目を覚ましていたルッカがこちらに向かって駆け寄ってくる。
「あー…いや…」
アンドレイはルッカの必死な表情に苦笑いしながら頬を掻いて言葉を濁す。
それをフォローするようにシスカははっきりとした口調で「残念ながら魔神教はいなかった」と言い切る。
「でもその義手…」
「殺人熊と戦闘になった。あの辺にどうやら寝床があるらしい」
シスカが流れるようにもっともらしい嘘をつく。
「殺人熊が…?なんで…エルフの里には熊よけの罠が沢山あるから近づかない筈なのに…」
ルッカは首を傾げる。
「…それが今はないからだろう」
シスカが静かに言い放つ。
これは野営地に戻る前に予め、皆で口裏合わせを行ったシナリオだ。
アンドレイたちは一応、念の為もう一度調査をしようということになり、昨晩、ルッカの里があった場所へ調査に向かった。
しかし、人がいなくなったせいなのか、レベル3に相当する魔獣―――殺人熊があの辺りを根城にしており、調査中にシスカが突然襲われて危うく死にかけたが、アンドレイ、カタリナ、そして加護を発動し、回復したシスカが力を合わせ、死物狂いで逃げてきたということを説明する。
「あの魔獣は執念深く、探知能力に長けている。すぐにここにもたどり着くだろう」
「…それはちょっと穏やかじゃないわねぇ。…アタシたちで力を合わせて迎え討つかい?」
女ドワーフの戦士ハレーンが腰にぶら下げた曲刀に手をやってカタリナを見る。
「…」
寡黙なヒューマンの男戦士ベルツも同じくカタリナを見た。指示を仰いだのがアンドレイではなく、カタリナだったのは2人のパーティリーダーだからだろう。
カタリナはアンドレイと顔を見合わせ、そして首を横に振る。
「いえ…ここにはルッカさんも先生もシュゼットさんもいます。戦闘に巻き込む可能性がありますし、相手はレベル3です。前衛のシスカさんも負傷している以上、戦闘はできるだけ避けて、すぐにここから離れた方が良いでしょう」
「…決まりだ。すぐにここを出る。皆、支度を」
アンドレイの一声で他のメンバー全員が一斉に動き出す。
取り残されたルッカは「え?ちょ、ちょっと…」と声を上げた。
「ねぇ!撤収するんですか?もう1回私も直接見たいです」
「ルッカ、すまない。アレがもうすぐここに来る。私ではアレからは君を守りきれない」
シスカが顔を曇らせながら残った右手をルッカの肩の上にぽん、と置く。
「…早く逃げよう。命があればまた探すこともできるだろう」
「…………!!!~~~~~~~~!!!」
「頼む」
「わかり…ました…」
ルッカは物言いたげな表情を浮かべたが、やがて俯いてシスカの説得に応じる。
高野は寝床を片付けながらその様子を横目で見て、小さく息を吐いた。
― アマイア暦1328年薔薇の月1日 午後 ―
<大都市ネゴル ギルド 相談室>
「ありがとうございました」
「はい、ではまた次回もお待ちしています」
「じゃあまた」
ペコリ、と頭を下げたツバメの獣人が頭を下げ、部屋を退出する。
「ふぅ…」
面談が終わると、一気に疲れが押し寄せ、高野はソファの背に寄りかかって息を吐いた。
ネゴルには3日前の夜に、帰還した。
帰ってくるなり電池の切れたように柔らかいベッドで眠り、目が覚めたのは翌日の夕方だった。
目覚めてからも全然意欲がわかず、仕事に支障をきたしそうだったため、相談室はもう1日休みを取った。
幸い、冒険慣れしているアンドレイとカタリナが高野たちの代わりに面倒な報告書を書いてくれたので、昨日1日はゆっくり休むことができたが…。
冒険の間、カウンセリングをしていなかったので、依頼が殺到し、おかげで出勤日初日から大忙しだ。
元の世界以上にニーズがあり、ライバルも今の所はいないので、異世界転移してきてから4ヶ月しか経たないというのにもう軌道に乗ったのを実感できる。
これならゆくゆくはギルドから独立して個人営業しても食べていけるかもしれないな、と将来についての展望も考え、はたと自分がこの世界で生きていくことを前提にしていることに気づく。
―――だって戻れないし、しょうがないだろ
一応、ギルドマスターのゲブリエールやこの世界に着て初めての友人であるグラシアナには元の世界の戻り方の情報を手に入れたら教えて欲しいと尋ねてはいるが、期待薄だ。
どこにいつ開くかもわからない異世界の扉に運良く飛び込んで、運良くその扉の先が日本に繋がっていたとしても、そこが高野のいた2019年の東京である保障はない。
ティルの事件の中心人物、ハーレム勇者のリュウは高野よりも少し前の時代からやってきていたにも関わらず、高野よりも歳が下だった。ということは異世界の扉をくぐると時間の流れも異なる場合だってあるわけだ。
この世界の文明レベルは基本的には中世だが、シスカの義手などところどころオーバーテクノロジーが見られるし、治癒魔法のおかげで病気のリスクは限りなく低い。薬草ダイエットで簡単に理想のボディを手に入れられるし、全男性の人生における悩みの1つである男性型脱毛症―――いわゆるハゲについては特効薬がある。
「ウォシュレットとシャワーがないのは困りものだけど、まあ異世界ガチャの引きはそこそこ悪くはないんじゃないか?」
高野は冒険者バッグからフッサフサXの瓶を取り出して、中身の液体を見つめる。
この薬についてはもう少し研究をする必要がありそうだ。
あの時、本当に偶然だったが、フッサフサXに「麻痺攻撃」を付与したところ信じられない程の効果を発揮した。
体内に液体を投げ入れることができたからだろうと思ったが、よくよく考えれば、あの時のソシア・ネイチャーの親玉は動きが鈍くなるどころか、全身を硬直させていた。
レベル3に相当するあの親玉にあれほどまでの効果をもたらしたのは本当に体内に入れただけが原因だろうか?
まずは普通の痺れ薬とフッサフサXの痺れ薬で効果に差があるのかを比較検討するところから…
「どうしたんですぅ?ハゲの薬なんか見つめてブツブツブツブツと」
「え、わあああああああ!?」
突然ソファの端からひょこっと顔を出したシュゼットに驚き、高野はフッサフサXの瓶を危うく取り落しそうになる。
「シュゼット!?」
「ど~もぉ~!例のごとく、一応ノックしたんですけどぉ~。せんせぇ、カウンセリングが終わるとちょっと油断しすぎじゃないですかぉ~?」
「うるせ、うるせ!こっちも疲れてるんじゃい!………で、そうか、もう昼休憩だったね」
彼女の奇襲攻撃に動揺し、まだドキドキと心臓が高鳴っているが、コホン、と咳払いをし、切り換える。
シュゼットは持ってきた包み紙をひょい、と高野に見せ、「お昼、食べましょぉ~」と笑った。
今日の昼食は大通りに最近できた屋台で買ったという「ハッピーキノコサンド」だ。
しめじのような形をしたキノコだが、白いかさにはハートのような赤い斑点がついており…。
―――なるほど、これは…確かに見た目はハッピーだが…。大丈夫か?
こういう赤い斑点のあるキノコは、毒キノコのような気がして怖い。色合いは逆だが、赤いかさに、白い斑点があるベニテングタケは元の世界では超有名な毒キノコだ。
―――ベニテングタケには確か幻覚作用もあった気がするけど…
もしこのキノコが「ハッピーキノコ」という名称ならば「ハッピー」の正体を確かめねばなるまい。
「あのさ、このキノコ、もしかして食べるとハッピーな気持ちになったりする?」
恐る恐る尋ねる高野にシュゼットはきょとんとした顔をして「よくわかりましたねぇ」と笑う。
「食べるとですね、こう…あまりの美味しさに幸せな気持ちがぶわぁ~~~っと湧き上がるからハッピーキノコサンドなんですぅ~」
「ええ…えっと、それ、そのキノコ食べて大丈夫なの?」
「あ、ハッピーキノコは単体で食べると普通に死にますねぇ」
「!!!」
それを聞いた瞬間、高野は包み紙を慌てて閉じる。
―――キノコって収穫した後も胞子を撒くんだっけ?あれ?でも収穫後水洗いしてれば大丈夫か?毒キノコは胞子も危険だった気がするぞ。いや、そもそも毒キノコを料理として提供する店に衛生観念なんてあるのか?ウォシュレットのない文明だぞ…。
色々考えて目を白黒させる高野を見て、シュゼットは吹き出す。
「せんせぇ、大丈夫ですよ。中に鳥ささみと一緒にハーブが入ってるでしょぉ?それ、応急草なので♡」
「それって…毒キノコ食べた後に応急草で毒を中和するってこと?」
シュゼットは頷く。
「昔は抵抗ある人が多かったんですが、結構、最近では家庭料理とかでもやるんですよぉ~?解毒調理。これやると食べられる食材も増えるので」
「でもさ、でもさ!これ、応急草の量間違えたら解毒失敗しちゃったりしない?」
「あ~…」とシュゼットは頷き、「たまに、ありますぅ」と笑う。
「え…じゃあ俺、ちょっと…」
「あ、でもでもぉ~一応、ここギルドですしぃ~、アタシも治癒師の端くれですから、もし当たっちゃっても治してあげられますので大丈夫ですよぉ」
「そんな食中毒みたいな感覚!?」
「?」
「ぐぬぬぬ…」と高野は目の前にある包み紙を見て、しばらく唸っていたが、これからもこうした料理に出会うことはあるだろうと思い直す。
この世界で生きていく覚悟を決めた以上、向き合わなくては…。
「ええい、ままよ!」
「ええい、ままよ」なんてセリフ、小説の中でしか見たことがないが、思わず高野は叫び、サンドイッチにかぶりつく。
きのこはかつおと昆布の出汁のきいた和風のさっぱりとした味付け。そこにマヨネーズのかかった鶏のささみが加わり、濃厚な味わいを演出する。最後に応急草がまるでしその葉のようなアクセントを与え…
「美味い!」
ひと口食べただけで口の中から唾液が一気に溢れ出す。口の中がピリリと山椒のように若干痺れるが、「麻痺耐性」があるせいか、全然気にならない。
いや、むしろ「麻痺耐性」なんてなければこれはもっと美味しいのかもしれない。
残念、残念だ。だが、いい。これは美味い。
身体全身がこのサンドイッチを欲しているのがわかる。
美味しい。もっと食べたい。
ひと口、もうひと口と食べる手がもう止まらない。
幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ♡
「美味い。シュゼットありがとう!超美味い。大好きだ」
「!!!」
シュゼットが顔を赤らめるが、そんなことにも気づかず高野はサンドイッチを貪り食らう。
幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ幸せ♡
「うっっっっっまーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!」
高野は恍惚とした表情を浮かべて叫んだ。
数十分後………
「ふぅぅぅぅぅぅうううううううう…」
どんよりとした腰を丸め、顔で顔の前に腕を組んだ高野がいた。
ハッピーキノコサンドのせいでテンションを上げすぎてしまったせいで、反動が辛い。
「JKの言葉を借りれば、あれがいわゆる『テンアゲ』状態…。キッツ…」
躁うつ病の患者が躁状態を終了し、うつ状態になった時のキツさの一端が垣間見えた気がしたが…恐らく気のせいだ。
とにかく、心のエネルギーを使い果たし、最早虫の息だ。
こんなにしんどい思いをしたのは若い頃に友人とクラブに乗り込んで変なテンションで一晩中酒を飲んで踊り倒した以来だ。あの時も苦しかったが、今回はそれを遥かに上回る。
「もう…二度と…これは…食べない」
「あはははは。せんせぇ、テンション上がりすぎてアタシに告白してましたよぉ~」
シュゼットは顔をパタパタと手で仰ぎながら茶化してくる。
「シュゼットはよく平気だったね。あんなの食べて」
「いえ、アタシは食べてないので」
シュゼットはしれっと言い放つ。
「なにぃ!?」
それは聞き捨てならない。だが、シュゼットは飄々とした顔で
「だってぇ~なんか怖いじゃないですかぁ。アタシは普通にチキンサンドでしたぁ☆ゴチソウサマでしたぁ~。おかげでテンションの壊れたせんせぇを見れて幸せですぅ~」
と言い放ち、頬に手を当てて、身体をくねくねさせる。
「ちょっとそれはフェアじゃない。シュゼット。俺が奢るから明日もこれ買ってきてよ」
「やだぁ~、せんせぇのエッチィ~。アタシをハッピーにさせて何する気なんですかぁ~」
「………ッ!!」
そう言われるとこれ以上はなにも言えず、高野も黙るしかない。これ以上は職場のセクハラ、パワハラ案件になりかねないからだ。くそ、アンフェアだ。
だが、高野には前回、彼女の同意なく痺れ薬を飲ませてしまったという前科がある。お詫びはしたが一服盛るな、と強く指摘することはできない。お互い様だ。
「でも次やったら必ず復讐するからな」
「ひゃ~、覚えてたら気をつけますぅ~。………ところで、ルッカさんの件ですがぁ~」
急にシュゼットが真面目な顔になる。
「2回同一案件で依頼を発注し、異常がなかったということで、多分、今後のギルドでの依頼発注は難しくなりそうですぅ」
実際には紛れもなく魔神教の仕業であることは、高野たちは知っているが、ルッカにはそれを伝えていない。
旅の帰り道、ショックが大きかったのか、ルッカは一言も言葉を発さず、報酬としていた打ち上げも、彼女は高野たちに金だけ渡すと去っていった。こうなるとわかっていたことではあるが、高野たちもなんとも後味が悪かった。
ギルドの報告書には、念入りな調査をしたものの里自体の痕跡は見当たらなかったこと、彼女が里のあったと主張している辺りには樹齢1000年を超える木々が生えており、元々その場所には里がなかった可能性があること、調査中に殺人熊に襲われ、シスカが大怪我を負ったことなどを記載した。
そのため、彼女は世間的には「狼少女」―――これはこの世界では差別表現になるだろうか?―――と認識される筈だ。
今後いくら魔神教に襲われたと彼女が主張しても、それに耳を貸すものは少ないだろう。可哀想なことだが、魔神教徒に口封じのために狙われるリスクを考えれば仕方がない。
世間がまともに彼女の話に取り合わなければ、魔神教も彼女を排除することはないだろう。逆に彼女を排除してしまえば、それを不審に思った人間によって魔神教の存在が明るみになるリスクも出てくる。
最善とは言わないまでも悪くはない選択の筈だ。
「レベル3相当の殺人熊も出るなら依頼の推奨ランクも最低でもCランク以上になりますし、一般人では報酬を支払うのは難しいですしぃ」
そうしたことを見越した上での殺人熊に襲われたという嘘だったわけだ。
確かに、これならばCランク冒険者のアンドレイとカタリナがいるのにシスカが大怪我をして撤退せざるを得なかったという説明もおかしくない。
なるほどよく考えられた嘘だ、と高野は感心する。
だが、一方で、ソシア・ネイチャーとその親玉はすでにシスカたちが倒してしまった。殺人熊も実際にはいない。
もし魔神教徒がこの報告書を読んで、水面下で調査をしたら…
『…実は、私とアンドレイは恐らく半年以内にはこの世を去ります』
ふと、カタリナが言っていた才能による死の予感の話が思い起こされる。
ひょっとしてそれはこの報告書に関係があるのではないだろうか…?
考えすぎかもしれないが、高野は不吉な予感がし、シュゼットに尋ねる。
「なぁ…シュゼット。アンドレイさんとカタリナさんにちょっと話したいことがあるんだけど、あの2人と連絡取れるかな?」
「あー…残念ですがぁ~」とシュゼットは首を振る。
「あの2人なら昨日、シスカさんを連れて街を出ました」
心の中でざわざわ、と不吉な予感がどんどん大きくなっていくのを感じた。
だが、それと同時に聴き逃がせないキーワードが入っていることに気づく。
「シスカさんと?………ってことはシスカさんは」
「多分、そういうこと、です」
シュゼットは頷く。どうやらシスカは反魔神教組織に加入したということらしい。
正直なところ、彼女には復讐など忘れて生きて欲しかったが、仇がはっきりと分かってしまった以上、それは難しいのかもしれない。
カウンセラーとしても、個人としても彼女には幸せになって欲しいと心から願っている。だが、復讐したいと願う彼女を、もし高野が彼女と同じ立場だったら、と考えると、強く引き止めることはできない。
「なにもないと良いけど…」
高野は呟いた。
― アマイア暦13??年?の月?日 ? ―
<大都市ネゴル ギルド 相談室>
内容が内容であるため、ギルドの郵便を用いることもできず、アンドレイとカタリナに会えないまま時は過ぎた。
あの日から1ヶ月後、ギルドの依頼で2人が行方不明になったこと、そして2ヶ月後、「問題児」の報告によって2人の死亡が確認されたことが明かされた。
シスカはどうやらその依頼には参加していなかったようで、無事のようだ。
あれ以降、高野のカウンセリングを受けに来ることはないが、恐らく反魔神教組織のメンバーに加わったために、高野やシュゼットを巻き込まないように、あえて距離を取っているのだと思う。
今では「狂戦士」という通り名で活躍しているようだ。
彼女は今、幸せなのだろうか…?




