#15
「…ということで…………どっこらせ!…俺たちも失礼するよ」
高野とシュゼットの近くに、カタリナをゆっくりと下ろしたアンドレイは、「ふぅ…」と息を吐いて座り込む。
「さあて、俺たちは彼女を応援しようかね」
アンドレイはそう言うと自分の冒険者バッグから試験管のような形をした瓶に入った水色の液体を2本取り出し、1本をカタリナに手渡す。
そしてアンドレイはもう1本のコルクの栓を開けて口に含んだ。
「…それ、もしかして魔力を回復させる類のアイテム、ですか?」
アンドレイは「ん?」と液体を飲みながら高野を見て、眉を上げる。
「そうそう。『魔法薬』ってヤツさ!」
アンドレイはウィンクして小声で答える。
「ってことはまだ…ッ!?」
「戦えるんじゃ…」と言いかけた高野を、アンドレイがシッと人差し指を口元にやって黙らせる。
「俺たちも一応、これでもCランク冒険者さ。勝算のない戦いは仕掛けない。ましてや計算もなしに魔力が尽きるまで魔法を使ったりはしない」
アンドレイは魔法薬の瓶を片手に、まるでスポーツ観戦でもするかのようにシスカの後ろ姿に目を向ける。
彼女の目の前には巨大な木の化け物が無数の腕を広げて立っており、彼女に向かってゆっくりと近づいてきていた。
「確かに戦闘が始まった時点でシスカちゃんが動けなくなったのは計算外だったけど、勝てない戦いだったら俺たちも君たちを連れて撤退することを選んでいたさ」
「でもぉ、おかげでこっちは死にかけたんですがぁ…」
シュゼットが恨めしそうにアンドレイを睨む。
「ごめんごめん。…君たちの方にまでは意識を向ける余裕がなくてね。―――だから言ったろう?『正直、もし、なにかがあったら、君たちを守れるかどうかわからない』って」
「う…」
確かにアンドレイはシュゼットが合流した際にはっきりとそう言っていた。戦闘が始まった際にも「危なくなったら逃げてね」と言っていた。
シュゼットはそれ以上、文句を言えず、黙り込む。
「一応、言い訳しておくと、本当に危なくなったら俺たちも君を助ける準備はしてたんだぜ?…だが、シスカちゃんは俺たちの想像を超えてきた」
その時、横になって青ざめた顔で魔法薬を飲んでいたカタリナも「ふぅ…」と息をついて身体を起こす。
「…すみません。少し落ち着いてきました」
「魔法薬を使わずに『リフレクション』を使わせちゃったからね。芝居に付き合わせてごめんね、カタリナちゃん」
「本当ですよ…でも本当にいいんですか?彼女を1人で戦わせて」
カタリナは眉を顰め、シスカの身を案じる。
「彼女は大丈夫さ。…それに、いざとなったら俺たちが倒せばいい」
どうやらアンドレイとカタリナは高野たち3人を守りながらちゃんと最後まで戦い抜ける自信があるらしい。
そしてどうやら、このボスとシスカの一騎打ちは彼らが意図して生み出した状況のようだ。
「…彼女、ソシアにトラウマがあるんだろう?」
「ありますよ!だから…」
高野が「さっさと助けてください」と言おうとするとアンドレイは首を横に振る。
「彼女は今、冒険者として重要な資質を問われている」
「…資質?なんですか?冒険者にとって重要な資質って」
高野はアンドレイを睨みつけながら問う。アンドレイはその剣幕に肩をすくめ、ニヤリと笑う。
「自分の恐怖と向き合い克服する力さ」
「気合と根性でメンタルが治せるなら、僕たちカウンセラーなんかいりません」
ムッとした顔で食い下がる高野にアンドレイは「ああ、そうだろうな。普通なら、な」と切り返す。
「信じてやりなよ、先生。彼女なら大丈夫さ」
「…ッ!なにを根拠に…」
「あああああああああ!!!!!」
その時、シスカが声を上げて大樹のソシアに向かって突進する。
「ギィィィギャァァアアアアアアア!!!!」
ギザギザの牙を剥き出しにした大樹のソシアは地面から鋭く尖った木の根を生やし、シスカを串刺しにしようとする。
「『風切』ぃぃぃぃ!!!」
足元から剣山のように突き出してくる木の根をシスカは前方宙返りでかわしつつ、8連撃の剣風で弾き、距離を詰める。
懐に飛び込んだシスカを待ち受けるのは木の枝に擬態した無数の右腕。
それらが一斉にシスカを捕まえようと殺到する。
「チッ!!」
シスカは地面を蹴って左に飛び、雨のように降り注ぐ右腕の外側に着地した。
「シッ!!」
着地と同時に二振りの三角鉄ダガーを逆手に持ったシスカは、まるでフィギュアスケートのジャンプのように回転しながら大樹の幹を斬りつける。
「ギィィィィィ!!!!」
叫び声と共に黒い血を撒き散らす大樹のソシア。
しかし、反撃を恐れて間合いを詰めきれなかったシスカの一撃は致命傷には至らず、大樹のソシアを激昂させただけだった。
「はぁ…はぁ……………くそっ」
再び足元から生えてきた木の根をかわすために、後ろに飛び退いたシスカは肩で息をしながら悪態をつく。
先程からひっきりなしに動き回っているせいで、心臓は早鐘のように打ち、口の中は乾き、血の味がする。
首にある太い脈が「ドッドッドッ…」と身体の内側で大きな音を立てる。
まだ桜の月だというのに全身は汗でぐっしょりと濡れ、短剣を持つ手が汗で滑りやすくなっている。
強い緊張状態の中で、集中し続けているせいか、あるいは動きっぱなしのせいで酸素が足りていないせいなのか、頭も割れるように痛い。
自分が動かなかったせいでアンドレイとカタリナは限界まで消耗し、高野は危うく死にかけた。
―――ここで私が倒れれば、またあの時と同じことになる…。
シスカはソシアの巣に監禁されていた出来事を思い出し、唇が切れるまで噛みしめる。仲間たちを目の前で嬲り殺されるのはもうたくさんだ。
誰から習ったわけでもないが、戦闘中、素早く体重移動ができるよう、普段からつま先立ちを心がけていた。しかし、今は極度に疲労したせいでいつの間にか踵を地面につけてしまっている。
―――無駄な力を抜け。身体を硬くしては咄嗟の時に身体がついてこない。
「不安や緊張した時には息を吐くことを意識したほうが良い」と高野に言われた言葉を思い出し、シスカは大樹のソシアに視線を向けながら、深い深呼吸をする。
深く吐いて、深く吸う…。
体中の血液にたっぷりと酸素を運ばせ、身体の全身にエネルギーを行き渡らせる。
深く吐いて、深く吸う…。
意識して肩と腕の力を抜き、短剣は小指と中指だけ握り込んで残りの中指、人差し指、親指は添えるだけ。
深く吐いて、深く吸う…。
上半身の緊張が抜けると、自分が歯を割らんばかりに食いしばっていたことに気づき、口の中の力を緩める。
深く吐いて、深く吸う…。
腰から下の筋肉に意識を向けると、太ももと脹脛が地面に根を張るように力がこもっていたことに気づく。ゆっくり力を抜くと、地面に張り付いていた踵が浮き上がった。
深く吐いて、深く吸う…。
呼吸が整う…。頭がクリアになり、狭まっていた視野が回復する。
身体は節々が痛いし、疲労で全身は鉛のように重いが、それでも動ける。
シスカは大木の化け物に接近するために、低い姿勢を取り、地面を強く蹴った。
だが、シスカが呼吸を整えている間、大樹のソシアもただ待っていたわけではない。
溜めていた。
身体中のエネルギーを無数に生える左腕の一部に集約させ、シスカには見えない角度で弓のようにしならせて、シスカが接近してくる機会を伺っていた。
「あれは…」
カタリナが大樹のソシアの左腕の一部が水色に輝くのを見て呟く。
「なんです?」
その様子に嫌な予感を覚えながら高野は尋ねる。
「多分…戦闘スキルです」
「戦闘スキル?魔物もスキルが使えるんですか?」
魔物でもスキルを使える個体がいる…高野が初心者講習では習わなかった情報だ。逆に言えば、初心者には想定すら必要がないレベルの話だとも言える。
「相手も本気になったな。…カタリナちゃん、いざとなったら頼む」
アンドレイが真剣な声でカタリナに言う。
「えっと…それはつまり…?」
「…あの魔物がシスカさんを捕獲するのではなく、殺す方向に切り替えたということです」
「!!」
高野に短くそう答えるとカタリナは詠唱を開始する。
一陣の風のように地面を駆けるシスカの目の前を塞ぐように、大樹のソシアの右腕が突き出される。
右腕についた無数の木の葉がソシアの左腕の必殺の一撃を直前まで隠す。
「シスカさん!!!」
思わず高野が叫ぶ。
それとほぼ同時に右腕がさっ、と引き、限界まで後ろにしなっていた左腕の一部が水色の光を放ちながらシスカに向かって飛んでいく。
「戦士」の戦闘スキルの一つ「全力斬り」に似た高威力攻撃だ。
ドパンッ!!!!
地面が大きく抉れ、削られた土が跳ね上がる。跳ね上がった土は高野たちの視界を遮った。
空中を肘から先がひしゃげた義手らしき鉄の塊が舞う。
その義手には三角鉄ダガーが握られていた。
…紛れもなく、シスカの左腕の義手だ。
「シスカさぁぁぁぁん!!!」
高野が叫ぶが、アンドレイが「大丈夫だ」と高野の肩に手を置く。
「先生、よく見ておくといい」
アンドレイは静かな声で続ける。
「いつの時代も英雄になるのはああいう種類の人間だ」
「? 何を言って…………あ…」
舞い上がった土と共にガシャン、と落下する剣を握ったままの左腕の義手の残骸。
抉れた大地…。
その先を左肘から先を失ったシスカが右手にもう1本の短剣を握ったまま駆けるのが見えた。
右手に持った短剣が運命の女神の祝福を受けたことを示す、強い輝きを放つ。
「英雄はどんな逆境だとしても、状況をたった一撃で覆す。ほら…見てよ、先生」
アンドレイは彼女の剣の光を指差してニヤリと笑う。
「こういう場面で運命の女神を味方につけられるヤツこそが―――英雄なんだぜ」
「うあああああああああああ!!!!!!!!」
シスカは叫びながら大樹のソシアの幹の下にたどり着くと、右膝を大きく曲げて右腕を後ろに引いた。
そして凄まじい疾さで輝く短剣を下から上へと一直線に斬り上げる。
会心の一撃!!!
光の斬撃が木の背面まで貫いて、天へと向かって駆け上った。
顔が一刀両断され、長ネギの頭のようにY字に裂けた大樹のソシアは断末魔を上げながら動かなくなる。
「……………やった!…はははっ、凄い。本当に…!!!」
それを見た高野が思わず歓声を上げる。
「英雄、誕生だな」
アンドレイが帽子を指で弾き、カタリナは「なんで貴方が格好つけているんですか」とジト目で睨む。
シュゼットは「はぁぁぁぁぁああああ~~~~…ドキドキしすぎて一生分の心臓を動かした気分ですぅ」と胸に手を当てて深い溜息を吐いた。
「ふぅ…」
4人の声を背中に受け、無事を悟ったシスカは、三角鉄ダガーを地面に突き立て、ゆっくりと地面に膝をついて息を吐く。
だが…
安心しきったシスカは気づかなかった。
魔物の核から黒い煙が吹き出していたことを…。
「「!?」」
その現象にすぐに気づいたのはアンドレイとカタリナ。
「これは…………シスカさん!!」
「シスカちゃん!!今すぐそこから離れるんだ!!!!」
「?」
慌てて叫ぶベテラン冒険者にシスカは顔を向け、そして今倒したばかりの魔物に目を向ける。
「!?」
それは魔神ウロスに愛された魔物のみが稀に起こすという最悪の奇跡―――。
「『魔神の加護』…ッ!!!まさか…」
カタリナが声を上げる。
「『魔神の加護』?」
高野がカタリナに問う。
「魔神ウロスの眷属が死んだ時、稀に発動することがある加護です。その効果は…」
カタリナはぐっ、と息を飲み…
「死んだ眷属の蘇生」
「そんなの…ありですか!?」
確かこの世界にはゲームの世界のような復活魔法はない、という話ではなかったか?
「くそ…ッ!!今から詠唱しても間に合わない」
アンドレイは黒い煙がみるみるうちに大樹の魔物の身体を修復していくのを見て、ギリリ、と歯ぎしりする。しかし、それでもアンドレイは魔法弾の詠唱を開始する。
「ギィィィィィアアアアアアア………」
一刀両断された顔が時計を逆再生したかのように修復され、大樹のソシアがギラギラとした歯を輝かせて、シスカの前に立ちふさがった。
「く………………ここまでか」
身体に力の入らないシスカは自分の死が目の前に迫っていることを悟る。
その時…
「シスカさん、しゃがんでください!!!」
「!?」
突然、高野の叫び声が聞こえた。
シスカはその声を聞いて、躊躇わず、言われたとおりにしゃがんだ。
その直後、「フッサフサX」と共通語で書かれた薬品の瓶がシスカの上を舞い、大口を開けてシスカに噛みつこうとした大樹のソシアの歯に当たって割れる。
液体が飛び散り、高野がこっそり買った大量の毛生え薬が大樹のソシアの口の中に広がる。
「ギャァ?」
流石の大樹のソシアも予想外だったのか、怪訝そうな声を上げ…
「ギャァァァァァァァァアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
断末魔にも似た悲鳴を上げて硬直する。
「アンドレイさん!」
「先生、でかした!………『エネルギーショット』!!!!」
アンドレイが叫び、水色の魔法弾が大樹の塞がりかけた断面を削り取り、魔物の心臓部である核を撃ち抜いた。
「アギ………………」
核を撃ち抜かれた大樹の化け物は小さな声を漏らし、今度こそズズン………と大きな音を立てて仰向けに倒れ、動かなくなった。




