#8
― アマイア暦1328年桜の月21日 深夜 ―
<コルト樹海 エルフの里跡地付近 野営地>
寝床からそっと身体を起こすと、焚き火の前に座っていたバイソンの獣人ケステンと寡黙なヒューマンの男戦士ベルツと目が合う。
彼らはそれぞれのリーダーから事情を知らされているらしく、ケステンが「あっちだ」と指で少し離れた森の方を指差した。
高野は2人に頷いて見せると両手を合わせ、シュゼットとルッカのことを守るようにお願いする。
「任せろ。一応、君が彼女ちゃんたちを野郎だけのところに残していくのは心配だと思ってハレーンも残してる」
ケステンが高野を安心させるように囁く。
「いや、彼女ちゃんじゃないですけど…ハレーンさんが一番心配です」
高野はヒソヒソとケステンに囁き返すと、「違ぇねぇ」と笑う。
その様子を見たベルツが高野に「大丈夫だ。俺がどちらにも目を光らせておく。任せろ」とボソリと呟いた。
「お願いします」
「おいおい…」
高野とベルツのやり取りにケステンが苦笑いする。
ルッカとシュゼットには申し訳無いが、食事に睡眠薬を混ぜさせてもらった。
先程のアンドレイとカタリナの話から、2人は同行させるべきではないと思ったからだ。
高野は睡眠薬を渡し、協力する条件として同行を希望した。戦力にはならないだろうが、ついていかないわけにはいくまい。
―――それに、もしあの話が本当で、ギルドにそんな側面があるのだとしたら、むしろ知らない方が危険だからね…
高野は数時間前のことを思い出しながら一人頷き、茂みの中をかき分けていった。
― アマイア暦1328年桜の月21日 夕方 ―
<コルト樹海 エルフの里跡地>
時は数時間前に遡る。
「…確かめたいこと?」
高野はアンドレイに聞き返す。
「ああ」
「内容によります。良からぬことに使うのであれば睡眠薬は渡せません」
高野は表情を固くして首を横に振る。
「「………」」
アンドレイとカタリナは顔を見合わせる。
「…あのさ、先生、俺たちはやろうと思えば、君から力ずくで睡眠薬を奪うことだってできるんだぜ?」
アンドレイが笑顔で高野を脅しにかかる。
「……その場合、私はどうするんです?殺しますか?ルッカやシュゼット、シスカにはなんて言い訳を?」
高野は緊張で手足がどんどん冷たくなるのを感じながら、それを表情には出さず強気の姿勢で返す。あの日のティルとのやり取りに比べればこのくらいの緊張なんてことはない。
「………」
「魔物に襲われたっていって3人が信じてくれますかね?」
「…だったら、全員を殺すことだってできる。依頼失敗にはなるし、俺たちの評判も落ちるけどね」
「私たちは一応、ギルド職員ですよ?多分貴方が想像しているよりもかなり大事になる」
高野は静かにアンドレイの目を見て言い放つ。アンドレイの目に若干の動揺が走る。
「わかってるよ。…こっちもできれば穏便に済ませたいんだ。頼むよ先生…」
高野とアンドレイは互いに目を見て次の言葉を探る。
「…タカノ先生」
その時、2人の間に入ったのはカタリナだった。
「できれば今晩のことに貴方を巻き込みたくないんです」
その言葉には暖かさがあり、彼女の本心のようだった。彼女たちはなにかこれから重要なことをしようとしていて、それにできれば高野を巻き込みたくないようだ。
だが、睡眠薬を仲間に使うとは考え難い。ならば対象はルッカやシスカやシュゼットの可能性が高い。「はい、わかりました」と素直に薬を渡すわけにはいかなかった。
「睡眠薬は悪用されないためにいくつかの仕掛けをしています。私が納得しなければ薬はお渡しできません」
「……………………わかりました。アンドレイ、タカノ先生にもこの際、協力をお願いしましょう。どのみち彼女の協力も必要ですし、それが一番スムーズです」
カタリナは「はぁ」と息を吐いて、アンドレイの方に顔を向ける。
「けど…」
「多分先生はシロですよ…女の勘ですが」
「…君に女の勘って言われちゃしょうがないね」
アンドレイは肩を竦めて頷く。
「…先生、これを知れば、君にも命のリスクが伴う。…それでもいいかい?」
そう言われると戸惑ってしまうが、薬を渡すかどうかを判断するためには事情は知っておかねばならない。
高野は黙って頷くとアンドレイは「後悔するなよ?」と言いながら声のトーンを落とす。
「…大きな声じゃ言えないけどね。ルッカちゃんの言ってた『魔神教』っていうのが引っかかるんだ」
「魔神教…?」
高野はその言葉を繰り返す。確かに彼女は「魔神教」という集団に里を襲われたという話ではあったが…。
高野の鈍い反応に「ん?」とアンドレイは片眉を上げる。
「もしかして先生、魔神教、知らないのかい?」
「ええ。実はこの国の出身ではないもので………有名な団体なんですか?」
「都市伝説だって言われてるけどね」
「その…魔神教の『魔神』って、あの神話に出てくる?」
この世界の有名なおとぎ話に魔神ウロスという悪神がいる。
魔神ウロスは太古の昔―――と言ってもたかだか1300~1500年くらい前とのことらしいが―――世界に魔物や魔獣を生み出し、混乱をもたらした。
その悪行を見かねたのが女神アマイアだ。彼女は自分の眷属たちや他の神々と力を合わせて魔神を封印したという。
この世界では人類を救ったその女神を信仰するようになり、「アマイア教」という宗教が生まれた。
…確かそんな感じの話だった筈だ。
「…んん?魔神って言ったらウロスの他にはいないよ。………先生は一体、どこの出身なんだい?」
「え、あはははは…」
高野は笑って誤魔化そうとするが、アンドレイとカタリナ、2人のベテラン冒険者にじっと見つめられる。
彼らの表情はとても真剣で、下手な言い逃れをすれば、命の危険もあると直感が囁いた。
「実は…」
高野は直感に従って正直に自分が異世界転移者であることを明かす。
「…なるほどね。うん。やっぱりどこか変だと思っていたよ」
高野の話を聞いて、アンドレイは納得したと頷く。
「そうか、先生は「迷人」だったか。なら、間違いなく大丈夫だろう」
「ええ」
アンドレイとカタリナは顔を見合わせて頷き合う。
「?」
「話を戻すけど…」と彼は続ける。
「…大きな声じゃ言えないが、実際に魔神教は存在する」
「…」
普段のヘラヘラしたアンドレイの表情とは異なり、とても冗談を言っているようには見えない。だが、高野もなんと返せばいいかわからず、無言で首を小さく動かし、相槌を打った。
今しがた都市伝説と聞いたばかりの情報を信じろと言われても「ああ、そうですか」としか反応できない。
「実は私も、アンドレイさんも仲間を魔神教と思われる集団に殺されているんです」
カタリナがアンドレイの話に付け加える。
「…なぜ彼らはそんなことを?」
2人は首を振る。
「理由はわからない。だが、連中は魔神ウロスの復活を目的としているらしいからそれに関係したことなんだろうね」
「さっきの『大きな声で言えない』っていうのは…その…どういうことなんでしょう?周りが都市伝説だと思っている存在が実際に多数の被害を出しているのであれば、すぐにギルドなどに知らせて警戒体勢を作るべきでは?魔神ウロスの復活って、大問題ですよね?」
高野は言葉を慎重に選びながら尋ねる。それに対し、2人は表情を暗くする。
「……社会が…ギルドが…その存在を否定しているからです」
カタリナが声のトーンを落として周りを気にしながら高野に説明する。
「うん…?」
「実は里が消失した事件は実は今回が初めてではありません。昨年から数件ですが、エルフの里だけでなく、小規模な村が失くなっています」
「…その村というのは」
「………俺たちの村だよ」
背筋が突然ひやり、と冷たくなる感覚が高野を襲う。脅された時から穏やかな話にはならないと思っていたが、徐々に事態の深刻さが理解できてくる。
「………そのこと、ギルドは?」
高野も彼らにつられて声を潜めて尋ねる。
2人は揃って首を横に振る。
「バレていたらこの依頼は俺たちには回ってこなかっただろうさ」
「どういう…?」
「ギルドはこの件を隠蔽しています。災害で村が滅んだことにして、ろくに調査もしていません。全ては魔神教の存在を隠すために、です」
「…なんで隠す必要があるんです?」
「さあ?」とアンドレイは肩を竦める。
「可能性としては2つしかないだろう。1つは一応、魔神の脅威が去って平和になった世界で、ヤツを復活させようとしている輩がいることを公すると、皆不安になるだろう?それを防ぐために、だ」
「もう1つは?」
「…ギルドの中にも、かなりの数の魔神教徒がいるという可能性です」
「………ッ」
高野は思わず息を飲む。話の流れからそうではないかと思っていたが、言葉としてはっきり伝えられると衝撃が大きい。
頭の中にギルドマスターのゲブリエールや、治癒師のカリネ、そして相棒のシュゼットがちらつく。彼女たちの誰かも、いや、ひょっとすると全員が魔神教徒の可能性もあるということなのだろうか。
…いや、そもそもこれは信じられる情報なのか?鵜呑みにするのは危険だ、と高野の直感が警戒を発する。
しかし、もし、これが事実であるとすれば、魔神教は少なくとも大都市の重要機関にまで根を張る秘密結社ということになる。
知らなければ、この依頼から帰ってもギルドに対し、なんの疑問も抱くことなく働くことができただろう。世の中には知らない方が良いことも沢山ある。
好奇心が人の人生を狂わすことは往々にしてあるのだ。そして今回は間違いなくそのパターンだろう。
とんでもないことを知ってしまったと高野は後悔する。しかし、クライエントたちの安全がかかっているのだから、仕方がないと割り切る。カウンセラーとはそういうところ不器用な生き物なのだ。わかっていても避けられない事態がしばしば起こる。
「それで睡眠薬が必要なのはなぜですか?今の話とどう関係が?」
「…まずさっき言ったように魔神教が存在しているという事実をギルドは絶対に認めない。だからそれを反証するような証拠を握ってはマズいんだ」
「…」
それはそうだろう。大きな組織に真っ向から歯向かえば簡単に捻り潰される。もし高野がそんなことに加担していることがギルドにバレようものなら明日から異世界で失職者だ。
ギルドを敵に回し、あらゆる場所で信頼ゼロ、コネゼロから異世界生活をリスタートするなどいくらなんでもハード過ぎる。
「けど、俺たちは魔神教を追うためにそれの証拠が欲しい。だからルッカちゃんとシュゼットちゃんを眠らせた後、もう1回、あそこに行って調べてくる。残念だけどエルフの案内人抜きじゃ、コルト樹海で特定のポイントに行くなんて無理だからね。後日再調査ってわけにはいかない。今晩がラストチャンスなんだ」
ああ、やっぱり大人しく睡眠薬を渡しておくべきだっただろうか?せめて彼らが「最近、眠れてないんです」とか言ってくれていたら、余計なことに首を突っ込まなくても済んだかも知れない。
と、頭の中で、全力で後悔しつつも、同時に高野の頭は情報を整理し始める。
話が段々見えてきた。先程の話を総合すれば、「魔神教に里を襲われた」と言って回るルッカはかなり危険な立場にあることが推察される。
だが、今回の調査でも「彼女の主張する里の場所に行ってもなにも見つかりませんでした☆」ということになれば、一応、エルフの少女の妄言ということで決着させることができる。
そうなれば、仮にギルドが悪の組織だったとしても、無駄に少女の命を殺めたりはしないだろう。
だが、もしこの依頼で、魔神教がいた可能性を示唆する証拠が見つかってしまえば、話は別だ。彼女の発言は妄言ではなくなり、彼女は魔神教につながる重要な手がかりを持つ存在として周囲に認識されてしまう。
高野が悪の組織の親玉ならば間違いなく彼女を消すように指示を出すだろう。
つまりはそういうことだ。アンドレイとカタリナはルッカの話を信じているからこそ、彼女の命の安全を守るために彼女を「嘘つき少女」にしようとしているのだ。
シュゼットを眠らせるのは、ギルドの職員だから信用できないということだろう。
「つまり…」と高野は頭の中で整理したことを口に出そうとする。
すると、表情の変化から高野が状況を理解したと考えたのだろう、カタリナが頷く。
「そう。ルッカさんには申し訳ありませんが、証拠が見つかる、見つからないに関わらず、彼女には『嘘つき』になってもらいます。シュゼットさんも顔が広そうですし、彼女がなにも見つからなかったと言ってくれれば信憑性が増すと思います。…なにより2人の安全が守れます」
「………ん?シュゼットが魔神教徒だとは疑ってないんですか?」
高野は意外な回答に驚く。
「ええ、そもそも私は最初からタカノ先生たちを魔神教徒だとは疑っていませんよ」
「なぜ?」
「ん~………雰囲気?女の勘です」
カタリナが柔らかく微笑む。
「女の勘ならしょうがないね。カタリナちゃんの勘はマジで当たるからね」
アンドレイはそれに対してうんうん、と頷いた。
…根拠は勘、ということらしいが、実際にはなにかのスキルなのだろうか。
そこまで考えてからふと、ある事実に気づく。
「あ、あれ?………ちょ、ちょっと待ってください。眠らせる対象にシスカさんが入っていないんですが、シスカさんは?彼女は眠らせないんですか?」
アンドレイはその問いに対し、帽子を目深に被ることで表情を隠しながら、重い口を開く。
「………悪いね、先生。彼女は案内人として必要だ。だからこそ君にこの話をすると決めたんだ」
「そ、そんな…彼女は巻き込まないでください」
「すみません、先生。でも、もしかしたら森の中を動き回らないといけないかもしれません。その時、戻ってくるためにも彼女は必要なんです。………シスカさん、貴女はどうですか?」
カタリナが前方の茂みの方を見て、突然声をかける。
「!?」
茂みの向こうで息を飲む音がし、やがてガサガサ、と茂みをかき分けてシスカが姿を現す。
「…先生、すまないが、私は彼らに力を貸そうと思う」
「え!?い、いつからそこに」
びっくりして飛び上がりそうになりながら高野が尋ねる。
「『睡眠薬が必要なのはなぜですか?』辺りからだ。野営地についても先生たちがなかなかやって来ないのでなにかあったのかと思い、探しに来た。それですまないが…」
「『ハイド』で盗み聞きされていたんですよね」
「…すまない。話の断片だけだが、おおよその状況は理解してしまった」
カタリナに気配を消す戦闘スキル「ハイド」の使用を指摘され、シスカはバツが悪そうに俯く。
「いえ、おかげで説明の手間が省けました」
カタリナは首を振り、シスカに微笑みかける。
「しかし、カタリナちゃん、よく気づいたね。俺は全く気づかなかったよ。彼女、かなり完璧に隠れてたでしょ?」
アンドレイがカタリナに称賛を送る。
「ん~…女の勘、ですかね」
カタリナが唇に指を当てて、フフフ、と微笑む。
「また女の勘かぁ~万能だな、それ」
アンドレイがそれを見て苦笑する。
「先生、私は彼女の力になると約束した。約束は果たすべきだろう?」
「…彼女には結果を知らせることはできないんですよ?それにもし、自分の知らないところで調査するなんて知ったらきっと貴女を恨むでしょう」
シスカは「それでも構わない」と頷く。その表情から決意が固いことが読み取れる。
「約束はなにも相手が見ているところで果たす必要はない」
「…」
「それに、ここで私が引き受ければ、先生は彼らについていく必要はなくなる。同行を頼んだのは私なので、先生を振り回して本当に申し訳ないが…。話を聞くに、私の認識を遥かに超えて危険な調査だったのだと理解した。そもそも先生に同行を頼むべきではなかった………巻き込んでしまってすまない。…だが、これ以上、貴方を危険な目に合わせるわけにはいかない」
シスカが頭を深々と下げる。
「いや…貴女が行くならば私がのうのうと野営地で寝るわけには行かないでしょう」
「だが…ッ!!!」
高野は「ん~…」と自分の髪をくしゃくしゃ、とかき回し、頷く。
「…わかりました。彼女が行くというならば私も同行します。調査よりも安全を最優先でお願いしますよ」
アンドレイは帽子を人差し指でぴん、と跳ね上げて、「了解」と頷いた。




