#4
金髪のヒューマンの女性は虚空を見つめたまま、ロッキングチェアに揺られている。
恐らく彼女が例の…
「? …ああ、これ」
ティルが高野の視線を見て、血まみれの顔で微笑む。
そしてティルはそっ、とロッキングチェアを押した。
ギィギィ…と高野が意識を戻してから幾度となく聞いたあの音がする。
「…そう。リュウくんを誑かした悪い女です。彼が褒めた胸と綺麗な足は切り落としました!」
ティルは晴れやかな笑みを高野に向ける。
…まるで真夏のひまわり畑で白いワンピースを着てこちらを振り返って笑う漫画のヒロインのような爽やかなスマイルだ。
その場にそぐわない顔が、彼女の狂気を引き立てていて、高野の全身を凍りつかせる。
「…」
ごくり、と高野は唾を飲んだ。
胃からせり上がってくるものを必死で飲み込む。
恐怖はとっくに麻痺してしまったものだと思っていたが、まだまだ上があるらしい。
怖い、気持ち悪い、なにを考えているんだ…
高野の身体の奥底から本能的な嫌悪感が湧き上がる。
そして、その狂気はひとつ応答を間違えただけで容易く高野の方へ向かうだろう。
爪を剥がされた右手の小指がじくじくと痛む。
「…」
不思議なものだ。
高野だからそうなのか、カウンセラーだからそうなのか、それとも実は多くの人間はそういうものなのか、わからない。
こんな異常な光景を目にしても、徐々に脳が順応し、冷静さを取り戻していく。
いっそ気が狂れてしまうことができたらどんなに楽だろうか。
「…!?」
そこで初めて血が部屋中に飛び散っていることに気づいた。
意識を失ってから視覚を奪われ、ずっとこの部屋に閉じ込められていた。
だから嗅覚が麻痺していて血の匂いに全く気づかなかったのだ。
恐る恐る周りを見回すと…。
視界に身体をゆっくりと左右に揺らすトントゥが目に飛び込んできた。
そのトントゥは胸の膨らみから恐らく女性だとわかる。
恐らくと表現するのはその顔が顔と認識できないほど無残に切り刻まれているからだ。
傷は深く、原型を留めない程ぐちゃぐちゃになっているため、どんな高度な治癒魔法でも治療することは不可能だろう。
トントゥの女性は部屋の左奥隅に全身をロープで拘束され、天井から吊るされていた。
四肢の指は全て切り落とされており、床は顔と指からの出血で、血溜まりになっていた。
天井へと繋がっているロープは彼女の足が触れるか触れないかの絶妙な高さに設定されていた。
「…ッ!」
彼女は切り落とされた足の指が床に触れる度に、足をビクリ、と震わせて、膝を曲げる。
どうやら彼女が頑張って足を地面から上げている間だけは、切り落とされた足の指が床に触れる激痛から逃れることができる仕組みになっているらしい。
赤く染まっていて気づかなかったが、彼女の足元の床をよく見ると陶器かなにかを砕いたものが散乱しており、しかもそれは地面に接着されているようだった。
つまり、彼女が足を疲れて下ろすと、床に接触した痛みだけでなく、陶器の鋭利な破片も足に突き刺さるということだ。
「…ああ、紹介します。彼女はナーシャ。私たちの元仲間の神官さんです」
高野の視線に気づいたティルが、天井から吊るされているトントゥの女性を紹介する。
「とっても可愛い顔と綺麗な指先のコで、リュウくんもよく褒めていました。…だから、取りました」
ティルが「ふふふ」と笑う。
「先生、彼女ったら酷いんですよ?私のことを『イカレ女』って言うんです。イカレてるのは彼女の方なのに」
ティルは甘えた声でそう言うと自分の冒険者バッグからポーションを取り出し、ナーシャの足を掴むとそれを傷口に振りかける。
「~~~~!!!!!!」
指の傷の断面が再生し、痛覚が蘇ったのか、ナーシャは激しく口を開けてなにかを叫ぼうとするが声が出ない。
その開けた口の中にティルは残りのポーションを注ぎ込む。
突然口の中に入ってきた液体に息を詰まらせ、むせ返るナーシャ見て、ティルはクスクスと笑う。
「定期的に治してあげないと痛みに慣れちゃうので面白くないんです」
いつまで経っても痛みに慣れることのできない環境を整え、苦しむナーシャのリアクションを楽しむ。
高レベルの冒険者になるとこれでも死ぬことができないのか、と高野は顔をしかめる。
そして、視界の左端に赤黒いなにかが映った。
「!?」
高野からは身体を少し左によじると、左の手前の床に赤黒い肉の塊が転がっている。
それは人の形をしており、よく見ると顔の一部が動いているのがわかった。
それは天井をみつめてぶつぶつとなにかを呟いているようだが、声は出ていない。
頭部に2つ、小さな出っ張りがあり、その出っ張りは無残に引きちぎられた痕があった。
顔の輪郭はヒューマンよりも鼻や口が前に出ており、動物的な印象を受ける。
獣人…。
「!?」
その肉の塊がジェラルディだと気づいた。
長い耳が無残に引きちぎられ、全身の毛を皮膚ごと剥ぎ取られて真っ赤に染まった兎の獣人は床に仰向けで倒れて、天井を見つめてぶつぶつとなにかを呟いていた。
小柄でクリーム色の美しい毛並みの兎の獣人は、今や辛うじて生きている赤黒い肉の塊に変貌していた。
「ああ、それはジェラルディですよ。リュウくんがジェラルディの耳や毛並みを褒めていたから…耳はちぎって、毛は剥ぎました!…人の夫を唆したんだから当然ですよね?」
ティルは手を合わせて、高野に笑いかける。
「…2人とも。そう…二度と彼に近づけないようにしてあげたんです。命は取らないであげました。…彼が悲しむから」
「…なんてことを」
高野はかすれた声を絞り出す。
「ティルさん…貴女は…なんでこんなことができるんですか…」
ティルはその言葉にきょとん、とした表情で首を傾げる。
「なぜ…ってこの2人は私からリュウくんを奪おうとしたんですよ?ここに来なければ私もここまでするつもりはなかったのに………先生、もしかして怒ってます?」
ティルは高野が彼女の期待した共感や賛同といった反応をせず、むしろ高野の言葉から怒りの感情を感じ取って、不安げな様子を見せる。
「…」
高野は唇を噛んで俯く。
高野はどうやら心のどこかで彼女をまだ信じていたらしい。
話し合えばわかり合える、と。
数週間前のカウンセリングの際、こうなりかねない危うさを持っていたのに気付いていた筈だ。
―――なにが黄色信号だ。完全に赤信号だ。
完全に常軌を逸している。
あの時、保護すべきだったのはリュウさんだけではなかった。ティルさんもなんとかして拘束するようにギルドに相談すべきだった。
異世界でのカウンセリングを甘く見すぎた。
その代償がこれだ。
この惨状だ。
これは俺が専門家として見過ごした結果だ。
見立てを外した俺の…。
「…先生でしょう」
「?」
ティルの声に高野が顔を上げる。
ティルの目には涙が浮かんでいた。
「もし、彼が私を拒絶したら一緒に考えてくれる、って…そう言ってくれましたよね?」
「…」
そうだ、確かにそう言った。
だから彼女はここに高野を呼んだのだろう。
「…確かにそう言いました。でもその時、こうも言った筈です。『自分や他人を傷つける以外の方法でなら』と」
「聞いてない!!!」
彼女は涙を散らして叫ぶ。
「そんなこと聞いてない!先生は私の味方ではないんですか?…ほ、ほら見てください」
ティルは部屋の右端にある大きな麻袋の紐を解いた。
酸欠のためか、ぐったりとした顔をしたシュゼットが出てくる。
「シュゼット!!」
「さっき、嘘をついたんです。実はこの子は殺してません。先生と同じで『ライト』で視界を奪って、『サイレンス』で音を奪っていますけど」
高野は安堵によって心の中の緊張が少しだけ解ける。
死んでない。
良かった…。
しかし、彼女の言葉を真に受けることはできない。彼女は賢く、そして嘘つきだ。
「本当に無事ですか?」
「誓って!まだなにもしてません」
彼女は慌てたように高野の問いに応える。
どうやら彼女はまだ高野に嫌われたくはないようだ。
しかし、彼女は「で、でも」と付け足す。
「先生がもし、私に協力してくれないのなら彼女も皆みたいになります」
そう言いながらティルは高野の表情を盗み見る。
「…!?」
高野はティルに反応を見られているのがわかっていても動揺を隠せない。
「い、嫌でしょう?だからちゃんと私に協力してください。リュウくんの洗脳を早く解いて!!」
高野の表情が変わるのを見て、ティルはほっとしたような顔を浮かべた。
また話を逸して主導権を強引に取ろうとしてくる。
これに乗るべきではない、と高野は心の中で自分に言い聞かせる。
「…なぜ隠していたんですか?」
高野は湧き上がる怒りを抑え込みながら低い声で尋ねた。
「だ、だって…だって………こんな光景見せたら先生に嫌われると思って…」
違う、嘘だ。
高野は彼女の嘘を見抜く。先程の様子と一致しない。
奪った視界を戻し、マリエルたちの姿を見せた時の彼女は怯えるどころかむしろ誇らしげだった。
「違いますよね?」
ティルはビクリ、と身体を震わせる。
「…ティルさん、ご存知のように私は貴女の心をある程度読めます。嘘は通じません」
「…」
「貴女は賢い人だ。私の視界を奪い、小指の爪を剥がし、シュゼットを殺したと言ったのは恐怖で私を支配しようと思ったからですよね?シュゼットを殺さなかったのは万が一、私が支配できなかった時の保険…」
「…!!」
そう。彼女はリュウを洗脳から解放できる可能性がある高野をまだ殺せない。
そして高野が非協力的になると困るので、シュゼットもまだ殺せない。
彼女は常軌を逸しているが、考えなしなわけではない。
シュゼットはまだ殺せないが、傷つけることはできる。
だから高野がティルの立場ならば、次の手は彼女を徐々に傷つけていくという手段に出るだろう。
一見、了解不可能な行動だが、彼女は彼女なりの秩序を持って、彼女の論理で行動を組み立てている。
彼女はただ全てにおいてリュウと自分が結ばれるために、彼女が思い描くベストを尽くしているだけなのだ。
「彼女の思い描くベスト」には残念ながらリュウも含め、一切、他の人の都合は無視される。自分にとって都合の悪い情報は排除される。
だから先程も「自分や他人を傷つける以外の方法でなら」という高野の言葉を「聞いてない!!!」と否定した。
そう、彼女は自分にとって不都合な情報はインプットしない。あるいは自分にとって都合の良いように情報の改ざんを行う。
彼女にとってはそれが真実。
それ故、彼女は他の人と認識が大きくズレてしまう。
それが彼女なのだ。
高野の中で彼女の行動パターンの見立てができてくる。
見立てができれば、あとは彼女からより情報を引き出し、精度を高めていくだけ…。
彼女は高野を得体の知れない心を操るなにかだと勘違いしている。実際にはそんな大層なものではない。
カウンセラーは魔法使いではなく、普通の人よりも少しだけ心理学の知識と会話の経験が多いだけの人間に過ぎない。
だが、今回ばかりは彼女の高野へ抱く畏怖を利用させてもらう。
「ティルさん、本音でいきましょう。私は彼の洗脳を解きます。でも、私はこれまでの貴女の嘘で少し貴女に不信感を覚えています。だから謝罪の意味も込めて、シュゼットにかけている『奥の手』を解除してください」
「!?」
ティルの顔に明らかな動揺が浮かんだ。
実は完全なハッタリだったが、賢い彼女のことだ。必ずなにか仕掛けていると思った。
その「奥の手」の中身まではわからないが、恐らく、シュゼットには「ライト」と「サイレンス」以外にもなにかがかけられている。
ティルの思い通りにいかなかった際に、高野をコントロールするためのなにかが、だ。
全身がしっかりと拘束され、首から上しかなにもできない状態だが、この場を支配権だけは奪い返した。
手持ちには逆転できるカードは今のところ一切なく、バレたら即終了の行き当りばったりの状況だが、それでも生き延びるためにやるしかない。
「…よく私が彼女にゾンビの体液を飲ませていたことを…本当になんでもお見通しなんですね、先生は。…わかりました」
…ゾンビの体液?
高野は眉を顰める。
想像以上にとんでもないものを彼女に飲ませていたらしい。
そう言えば、以前、ギルドで「黒雲」がゴルスキ村のゾンビ事件を解決したという話を耳にしたが、それか…。
本当にとんでもない女だ。
「…もう彼女に効果が?」
ゾンビの体液の効力はわからないが、「奥の手」にするくらいなので、恐らくゾンビ化するか、猛毒かのどちらかだろう。
わからないので曖昧な聞き方をする。
「残念ながら効果が出るには少し時間がかかるんです。だからこそ交渉になるわけですが」
ティルは笑みを浮かべて応えると、冒険者バッグから金色に輝く葉を取り出した。
「…それは?」
「あぁ、先生は見たこと無いですか…。『万能草』です。あらゆる状態異常を回復させる効果を持っています。凄く希少なんですよ」
魔法使いは状態異常をかけることはできても解除する魔法は覚えない。
先程の「ライト」は視界の明るさをコントロールする魔法だから解除できたが、「サイレンス」や「ゾンビの体液」の効果はアイテムで解除するしかない。
なので、この状況で交渉するには、状態から回復させるためのアイテムを持っていて然りだ。
彼女の行動には矛盾はない。
「万能草」の効果があらゆる状態異常を回復させるのであれば「サイレンス」の状態も…ひょっとすると「ライト」の状態も解除されるので、すぐに嘘かどうかわかるはずだ。
でも仮にこの葉っぱが毒だったらシュゼットは本当に死ぬことになる。
しかし、「ティルに毒味をしろ」と言い出せば、高野が「ある程度心を読める」という信憑性が薄れてしまう。
…ここはティルを信じるしかない。
高野はごくり、と息を飲む。
「…心配ですか?」
ティルがこちらの心の中を見透かしたように問う。
「いや、ティルさんはリュウさんの洗脳を解きたいと思っています。…この状況で貴女は絶対に嘘はつきませんよ」
高野は不敵に笑ってみせ、ゆっくりと首を振った。
本当はただの願望だが…。
「ふふ…心配しなくても大丈夫ですよ」
ティルは高野に薄く微笑んで、「万能草」をシュゼットの口に押し込む。
しかし、シュゼットは目も耳も聞こえない状況で、突然口の中に異物を押し込まれたことに驚き、下で吐き出そうと抵抗を始める。
何度ティルが口の中に入れてもシュゼットは「嫌、嫌」とばかりに舌で葉を押し出す。
数分間それを繰り返し、
「…あー!!!イライラします」
とうとうティルがシュゼットの唾液塗れの「万能草」を摘んで声を上げる。
「…私がやります。縄を解いてください」
「!! 駄目です」
「私はレベル1ですよ?それにシュゼットもレベル1だ。縄を解いたところでなにもできません」
「信用できません」
ティルが首を振る。
「ティルさん。どのみち、洗脳状態を見るためには眼振…目の動きを確認したりする必要があります。もし洗脳を解除するならばカウンセラーの『スキル』を使う必要がありますし、どのみち身体を自由にしていただく必要があります」
…真っ赤な嘘だ。
洗脳状態の眼振なんか見たこともないし、カウンセラーは職業ではないから「スキル」もない。
「『カウンセラー』って職業なんですか?」
「…ええ。一般に知られていませんけどね。私の場合、神と特殊な契約をしているんです」
「嘘だ」
「本当ですよ」
だが、そう言われれば彼女は高野の拘束を解くしか無い。
高野の見立てが間違っていなければ…。
「…」
ティルは黙ってナイフで高野のロープを切る。
「ふう…」
高野は拘束を解かれて身体をほぐす。
全身がガチガチに固まっている。
あっさりナイフで切れてしまったが、高野よりも遥かにレベルの高いナーシャがロープで大人しく拘束されているのはなぜだろうという疑問が浮かぶ。
シュゼット同様、「ライト」と「サイレンス」で視界も音も奪われているとしても、Aランクになる程の実力者の筋力ならば、激痛で暴れれば、ロープを引きちぎってしまってもおかしくない。
それをしない、あるいはできないのは、恐らくなにか仕掛けがあるのだろう。
「…さあ、『万能草』を」
「待って」
ティルは固い声で高野を制止する。
「タカノ先生、私も先生を信用するためにその『カウンセラー』の『スキル』を見せていただけますか?」
「…」
「先生は私に嘘をついていませんよね?」
冷たい刃物のような声でティルが囁く。
「もちろんですよ。…我が主神、女神アマイアに誓って」
高野は爽やかな笑みを浮かべた。
もちろん真っ赤な嘘だ。




