#5
―― アマイア暦1328年紅梅の月9日 午後 ギルド 相談室 ――
相談室で高野はシュゼットからもらったツナのサンドイッチを食べながらぼーっと天井を眺めていた。
「今日は暇だなぁ」
シスカも安定してきたので、昨日話し合って、カウンセリングの頻度を週1回に変更したところだ。
今日の午前中は相談者の来談がなかったので、これまでのカウンセリングの振り返りをしていた。
「ツナのサンドイッチって美味いよなぁ。マヨネーズがあればなお良いんだけど」
「シャッケ」
「…?」
ふと変な声が聞こえたと思い、声の主を探る。正面のソファーにはなにもいない。
右側にもいない。
左側には…
「…?」
自分の隣にちょこんと座っている生き物がツナのサンドイッチをかじりながら小首を傾げる。
そして高野の右側を覗き込んだ。
まるで「そこになんかいんのか?」と言わんばかりに。
「??????」
高野の隣にいるのは―――そう、まさにシャケだった。
正確には鮭のボディに筋肉隆々の男性のような手足を生やした謎の生き物。
頭には王冠を乗せている。
「シャケ?」
…これって魔物ってヤツだろうか。
高野はツナのサンドイッチを抱えながら、シャケと鳴く不思議な生き物を刺激しないようにそろそろとソファーの端へ移動する。
「…」
「…」
シャケは高野のそれを真似するようにススス、とこちらへ近づいてくる。
ソファーの上にヌメヌメとした体液が光っている。
やがてピタリ、とこちらの身体に密着する。
「シャケ」
シャケはツナのサンドイッチをもぐもぐ…ごっくん、と飲み込んだ後、こちらに手を出す。
「?」
「シャケ!」
シャケは高野の手に持ったツナのサンドイッチを眺めて涎を垂らしながら再度、手を出した。
「これ?」
高野は食べかけの持っているツナのサンドイッチを指差し確認する。
「シャケ」
シャケは首を縦に振る。
「これが欲しいのか?」
「シャケ」
「…」
「…」
しばらくシャケとツナのサンドイッチを見比べ、高野はサンドイッチをシャケに手渡す。
「シャケッ!!」
高野の手からサンドイッチを引ったくるとシャケはガツガツとサンドイッチを頬張った。
この魔物はどうやらサンドイッチが好きらしい。
これは逃げるチャンスだろうか?
高野はソファーからそっと立ち上がる。
シャケは高野に興味を失くしたのか、顔を上げることなく一心不乱にツナのサンドイッチを貪る。
「今だっ」
高野は相談室のドアに駆け寄り、素早く部屋から飛び出す。
そしてそのまま猛ダッシュで診察室へ駆け込んだ。
「!? タカノ先生?どうしたんですか?」
冒険者の傷の手当をしていた治癒師のカリネが驚いて包帯を巻く手を止める。
「へ、部屋に魚の魔物が…」
高野は相談室を指差し、必死で危険を訴える。
「!?」
その場に居合わせた冒険者たちが顔を見合わせ、各々の武器を手に相談室へ向かう。
「…本当にこの中に?」
カリネが高野の後ろから不安げな声で尋ねる。
「ええ…私は魔物を見るのは初めてですが、鮭に手足の生えたような生き物でした」
「ええ!?」
「行くぞ?3…2…1…」
冒険者の1人が盾を構えてカウントし、「0!!」と叫びながら扉を大きく開く。
しかし、相談室の中は蛻の殻だった。
「…おいおい、先生、寝ぼけてたのか?しっかりしてくれよ」
冒険者の1人がその光景を見て、剣を降ろしてぷっと吹き出す。
「…あれぇ?おかしいな」
高野は慌てて部屋の中に入る。
確かにそこには鮭の魔物などどこにもいなかった。
「!?」
しかし、ソファーを触ると確かにぬめり気があり、また、シュゼットが持ってきてくれたサンドイッチの入ったバスケットの中身は…
「ない…?…なぜかツナのサンドイッチだけが」
イチゴのジャムのサンドイッチやトマトとレタスとハムが挟まったサンドイッチは綺麗に残されており、ツナのサンドイッチだけが失くなっていた。
「気のせいじゃないのか、先生。正直、街の中に魔物が入ってきたことなんてないし、ギルドには大勢の冒険者がいるんだぜ?誰にも気づかれないでここまで来れるわけがない」
「しっかりしてくれよ」と冒険者の1人に背中を叩かれて笑われる。
「あはは…そうですよね。お騒がせしました」
高野も自分の体験が信じられず、苦笑いする。
…参ったな、疲れているのだろうか?
ツナのサンドイッチを食べて、涎を垂らしてソファーに寝ていた、そして寝ぼけて診療所に駆け込んだ。
…そういうことだろうか?
「ちなみにその魚の魔物って「シャケ」とか鳴いておらんでしたか?」
冒険者の1人が笑わずに真面目な顔で高野に尋ねる。
「? よくわかりましたね」
高野は驚いて質問をしてきたドワーフの青年を見つめる。
「…まるで『虹色の猫』の伝承に出てくる王様鮭のようですな」
ドワーフの青年は笑った。
「?」
レイル共和国の伝承に、虹色の猫が王冠を被った鮭を捕まえる話があるそうだ。
虹色の猫や王冠を被った鮭は幸運の象徴で、見ると良いことがあるという。
「仮に夢だとしても、それはいい夢だったとワシは思いますよ」
「そう…ですか」
高野はドワーフの青年に礼を言う。
そして「お騒がせしてすみません」と冒険者たちとカリネに頭を下げる。
相談室のドアを閉めると、高野は「王様鮭、ねぇ」と呟きながらソファーのぬめり気がある部分に顔を近づける。
「臭ッ!魚臭ッ!」
高野は顔をしかめる。ツナのサンドイッチや高野の涎にここまでの魚臭がするとも思えない。
誰にも信じてはもらえないが、ここには確かにシャケがいたのだ。
「…しかし、まだ立場も確立出来てない新しい職場で「居眠りして寝ぼけた先生」だと思われるのは困るなぁ。特にカリネ先生の心象が…」
高野は苦笑いしながらソファーのぬめりを布で拭く。
その時、コンコンコン、と相談室のドアをノックする音が聞こえた。
「あ、はい。…少々お待ち下さい」
高野は慌ててバスケットを部屋の隅に置き、布を折りたたんで懐にしまう。
「…どうぞ」
高野がドアを開けると部屋の前に立っていたのは黒髪のエルフの女性だった。
胸元や足などが大胆に見える露出度の高い服を着ている。
格好は比較的軽装であり、全体的に黒っぽい服装だ。
杖を持っていることから恐らく職業は魔法使いだろう。
「失礼します」
彼女はおずおずと相談室を見回し、高野に勧められるがままにソファーにかける。
…もちろん、先程シャケが座っていない方のソファーだ。
黒髪のエルフは前髪を長く伸ばしており、前髪のせいで目が隠れてしまっている。
そのせいで表情が読みにくいのだが、これはわざとだろうか?
どことなくおどおどとした印象があり、声も小さい。
よく自分に自信がない人や不安が高い人がこうした雰囲気を持っている。
ただ、彼女の露出度の高い服装はそれと矛盾している気もするが…。
「…ここで専門家の方がお話を聴いてくださると聞きまして」
高野は頷き、「カウンセラーのタカノ、と申します」と挨拶する。
「…ティルです」
「ティルさん、ですか。…失礼ですが、もしかして『黒雲』の?」
ティルはコクリ、と頷いた。
…リュウさぁぁぁぁぁああああん!!!!
表情には決して出さないが、高野は心の中で叫ぶ。
先日、相談室に尋ねてきたAランクハーレムパーティ『黒雲』のリーダー『稲妻』のリュウ。
彼はパーティの女性3人全員に対し、それぞれとの関係を秘密にして、関係を持っていた。
それがパーティの1人の神官にバレて、傷ついた彼女はパーティを脱退。
その後、パーティの神官を補充するために、自分好みの女神官を勧誘した。
彼はパーティに黙って低ランクの冒険者を引き込もうとしたために、他の2人に猛反対され、勧誘された方の神官も話が違うと怒り狂った。
そして、自分と彼の関係を他の2人に告白。
結果、リーダーのリュウは3人全員の怒りを買ってしまった。
先週、高野の相談室に逃げ込んできたことがきっかけで、今はギルドが彼を保護している状態だ。
そして、先日のジェラルディに続き、彼の被害者の1人が今、目の前にいる。
「あ、あははは…そうなんですね~。緊張するなぁ」
色んな意味で!
高野はダラダラと冷や汗を流しながら、引きつった笑みを浮かべる。
「…先生にお話を聴いてもらいたいんです」
「は、はい、なんでしょう」
彼女はうつむきながら膝の上においた拳をきゅっと握りしめて、小さな声で高野に言う。
高野は背筋を伸ばしながら応える。
先日のジェラルディのカウンセリングは彼女の怒りを受け止めることでなんとか乗り切ったが、目の前の彼女もまたAランク冒険者だ。
怒りを買えば相談室ごと消し炭にされかねない。
彼女はオロオロと視線を左右に動かしたあと、やがて意を決したように小さく息を吸い込む。
そして、彼女にしては少しだけ大きな声で…
「…じ、実は…………私、妊娠してるんです」
「……………………………………………………………………………は?」
衝撃の告白から『黒雲』の『魔炎』ティルのカウンセリングは始まった。
※シャケが気になる人は是非『女神のサイコロ』もお読み下さい!




