夢世界への招待2
5月11日。
近衛|悠人はいつものように都内にあるネットカフェの一室でアングラサイトを物色していた。
日雇いの派遣業でその日暮らしの生活をするようになって二年。はじめは正規で雇用されるまでの繋ぎと考えていたのに、いつしかこの生活からの脱却を考えなくなっていた。
一通りの物色を終えると近衛はあくびをしつつ軽く伸びをして背もたれに体重を預ける。
「つまんねぇ人生だな」
思えば「なんにでもなれた存在」から変わってしまったのは何歳のころだったのか。
幼稚園のころ、彼の夢はプロ野球選手になることだった。卒園式で堂々と発表されても誰も彼を笑うことはなかった。
小学生になると小さいころから好きだった花に一層夢中になり、将来は花屋さんになりたいと願うようになった。元々気性の優しい彼には向いていると両親も応援してくれた。中学になると周りの人間からは男のくせにと散々に馬鹿にされ、とある事故にあったことでその夢も諦めた。このころより彼の性格は段々と歪んでいくことになる。
高校生になるとやや現実的となり、銀行員や国家公務員となってたくさん稼ぎたいと願った。彼にしてみればそれは妥協であり、それらの職につける人間が一握りしかいないなんて想像もできなかった。
それから一浪の後、なんとか都内の私立大学に補欠合格を果たした際には正社員ならばどこでもいいと考えるようになった。
そうしてだらだらとした大学生活を送り、一年留年した末に就職したのはとある保険会社であった。新規で保険の契約を取るための営業は過酷であり、毎月のように契約件数の少なさから上司より罵倒を受け続けた。彼の場合、女性と普通に接することができないというハンデがあったのも大きい。身内や数少ない友人に頼み込まなければならない程に追い詰められ、知らずのうちに周りからは距離を置かれるようになっていく。結局その会社ではほとんどなんの結果も残すことなく、ただただ心労と人間関係の孤立という負の遺産だけを残して退職することとなった。
それが二年前のことだ。
ブラック企業に入ったなんて運がなかった、あの職種は俺には向いてなかった、もっと俺が輝ける場所があるはずだ、と。すべては周りの環境が悪いのだ、と結論付けた。
彼の場合、ここが岐路だったのだろう。せめてこの時点で己の弱さを理解し享受し、そこから改善しようと努力していればやり直せたのかもしれなかった。
だが傷心の彼が選択したのは再就職の活動ではなく、面接なしで応募可能な派遣業だった。まともな貯金もしてなかったため、すぐにでも金が必要だったのだ。なによりこれからまた何社も採用試験を受けるだけの気力が残されていなかった。すでに関係が冷え切っていた親に頼る気にもなれなかった。
成長とは残酷なものだ。幼稚園のころは運動神経や頭の良さ、見てくれの良さなどにそれ程の差異は生じていなかった。たとえ誰であっても「宇宙飛行士になりたい」なんて大願が許されていたのだ。むしろ応援されていたと言っていい。それが成長するとどうだ。高校にもなると学力や運動能力によって進路は細分化されていき、なんにでもなれた可能性が収束していく。
――宇宙飛行士にはもうなれないのだ。
このご時世でほとんどノンキャリアで28歳を迎えた彼に、果たしてどんな選択肢が残っているだろうか。
近衛が諦めの境地に支配されたのも無理はない。が、彼はまだ知らない。これから10年が経過したとき、あのときだったらまだなんでもやれたのに、と今の自分を羨む未来の可能性があることに。どんなことにせよ遅すぎるなんてことはないということを。
「ん? なんだこれ?」
ネットサーフィン中にたまたま見つけた不可解なサイトに目が留まった。
現実世界に疲れた君へ、との怪しげな見出しで文書のようにひたすら文字が羅列されていた。
新ての宗教か、はたまたネットワークビジネスの勧誘か、ふふんと鼻を鳴らしつつ文字を読み進めていく。だが内容と言えば勧誘は勧誘でも前述のものとは違うように見える。
「明晰夢?」
聞き馴染みのない言葉だった。造語かもしれないと思って調べると確かにそういった現象はあるようだ。ネットの辞典を見ても文書にあるような解説もされている。だが独自の解釈もあるようだった。
意図してみる自覚した夢、それをこのサイトでは明晰夢と呼んでいた。
子供のころ、よく枕の裏側に見たい夢を書いて寝る、なんてことをしたことがあったが叶った記憶などなかった。サイトによれば明晰夢を見るコツがあるとのことだ。半信半疑、いや一心九疑ぐらいの疑いだったがなにかそそられるものを感じた近衛は試してみることにした。
幸い彼は思春期を迎えたころから金縛りに合いやすい体質だった。彼の場合、異常に疲れた状態や昼寝をすると高確率で金縛りに合うことができるのだ。
ちょうど明日には激務が予想される仕事が入っている。
騙されたと思って試してやるか、そんな軽い気持ちでその日は眠りについたのだった。