夢世界への招待
現実世界に疲れた君へ。
明晰夢についての話をしよう。
これは夢の中で夢を見ていると自覚する夢のことを指す。
多くの人が一度は経験したことがあるはずだ。
夢なんだからビルから飛び降りても大丈夫だろう、意味もわからず追いかけてくる人に捕まっても問題ない、好きな子に告白してしまえ、等々。
では明晰夢は誰でも見ることができるのか、と疑問に思うかもしれない。答えは否だ。厳密に言えばそれらは明晰夢ではない。
夢を自覚する際、ほとんどがその世界の一部分しか掌握できていないのだ。
たとえばその場に存在する不可解な人間関係について。小学校の同級生と高校の同級生がさも当たり前のように共通の友達として登場したり、嫌いな上司とそこそこ仲良く話せる関係になっていたり、と明らかに現実世界と乖離しているにも関わらず、夢の中ではそのことに違和感を覚えることが難しい。
また夢特有の連続性の欠落についても言える。先ほどまで隣にいた人物が突然入れ替わっていることもざらにあり、脈絡もなく景色が変わることもよくある。
その場面を何度も体験しているかのようなデジャヴを感じやすいのも特徴だが、夢から覚めた後ではまったくもってデジャヴでもなんでもないことがほとんどである。
私たちの多くが経験している夢の自覚というのは、こういった夢の世界の前提条件、いわば特殊な理については疑問を抱くことができていない。そんなおかしな世界の中でのある一部分を切り取って「これは夢なんだ」と思う程度でしかない。現実世界での常識や記憶を完全に引き継いだままの夢の自覚というのはほぼ起こりえない。つまりこれは決して「明晰」ではない。
ではどうして疑問を抱けないのか。
答えは「最初から夢を自覚してるわけではないから」である。ここでいう最初とは入眠時を指す。
入眠時から夢を自覚しつつ見ること、換言すれば意図して見る自覚した夢、それが明晰夢と言えよう。
夢を自在に操るというのはまさにゆめのような体験だ。
夢の中では現実世界での物理法則は無視することができる。空を飛ぶこともできればパンチひとつで大岩を砕くことも可能だ。そこに存在しないものを存在しえないカタチで、たとえば大好きなアイドルが自分のことを好きで好きでたまらないカタチで登場させることだって不可能じゃないのだ。
……まぁこれには相当な修練と才能が必要となるが。
さぁ、夢を体験しようじゃないか。
では次に明晰夢を見る方法、コツについて述べる。
まず入眠について。これがとにかく難しい。
明晰夢とは覚醒と睡眠の間の状態、半覚醒状態になることで初めて見ることが可能となる。
手っ取り早いのが金縛りに合うことだ。半覚醒状態の代表例とも言えよう。違うのは半覚醒状態のまま現実に留まっているか、はたまた向こうの世界を体験しているのか、の違いに過ぎない。この金縛り状態から明晰夢へと移行するのが最も初心者におすすめだ。慣れてくれば金縛りを経由せずとも明晰夢に入れよう。
明晰夢に入ったかどうかの確認は簡単だ。その世界で思い切り走ってみるのだ。その際布団を思い切り蹴飛ばすようなことがあれば失敗。夢の中で快走できていたなら成功だ。脳の命令と肉体を完全に乖離できている証拠となる。
次の難関はその明晰夢を継続させること。この半覚醒状態を保ち続ける必要がある。
晴れて君が明晰夢に入れたとして、その若さ故の欲望を剝き出しにした場合、大抵が興奮することで覚醒に向かうだろう。
その瞬間、君を取り囲む世界は崩れるようにして壊れていき、やがて覚醒することになる。ただし崩壊が始まってもすぐには諦めないことだ。慌てず目を閉じて情報を遮断し、その場にしゃがみこんで床に手を触れてみるといい。床でなくともその世界にある何かに触れるだけでいい。じっとしてればやがて崩壊は止み、元の世界が少しづつ形成されていくはずだ。
また大幅に景色を変化させたり、その場にいない人物を出現させようとするなど、過剰な夢への干渉も初心者にはおすすめしない。処理が追い付かず、アウトとなるだろう。そうなればしばらく明晰夢に入ることはできなくなる。
逆に夢の世界に飲まれていっても駄目だ。完全な睡眠状態となれば現実世界からの記憶の引継ぎが曖昧となり、それはすでに明晰夢とは言えない。さらにその睡眠状態での夢の中の出来事についての現実世界への記憶の引継ぎも曖昧となる。起きた直後ならいざ知らず、二日前の夢の内容を明瞭に覚えている人間はいないだろう。これでは探索が進まない。
以上を踏まえて後はひたすら反復と訓練だ。習うより慣れろとはまさしくこのこと。
慣れてくれば興奮度合いの調節は可能となるし無理のない範囲での世界の干渉も可能となるだろう。うとうとして完全な睡眠状態へ引き込まれることも無くなる。
自分がどれだけの間、明晰夢の中で活動できるのかを知るのも重要だ。まずは滞在時間30分を目指せ。そこでようやく半人前。まともにうちで活動していきたいなら最低一時間は欲しいところだ。
興味が沸いたなら明晰夢の中で会う連中に「兎型鎌倉式の武者を倒したい」と口にすることだ。
なに合言葉のようなものさ。君たちが現実世界での記憶を引き継いだ証拠となる。それが我々の一員の耳に届けばとりあえず合格だ。残りの委細はこっちの世界で説明しよう。
ああ間違っても本物の兎型の武者を前にそんなことを口走ってはいけない。そんなことをすれば良くてアウト、最悪ロストになりかねないのだから。
願わくは一人でも多くのウォーカーが現れんことを。
――諸君の健闘を祈る。 東方エリア探索室 猫目のアリス