BAROQUE 06
指の付け根がぱっくり切れてしまった左手に、少し大げさなくらいの包帯を巻くことになった。指が切断されなくて安心したが、それにしても痛い。
宿の主人が手当てしてくれたのだが、りんごを切ってて手が滑ったという言い訳はやはり無理があっただろうか。訝しげな顔をしながら手当てをしてくれた主人を思い出し、俺はそんなことを思った。
彼のいる部屋に行くのが気まずい。歳は近そうな彼だが、何を考えているのかさっぱりわからない。それに今回の出来事だ。もう彼などほっといて旅を再開させようかと、そんなことをちょっとだけ考えてしまったが、でもやはり今更彼をほっとくのも気が引けた。一度怪我が治るまでは面倒みると、そう彼に言ってしまった手前 もあるし。
彼はなぜ俺を殺そうとしたのだろう。やはり俺に返り討ちにされたことを恨んでいるんだろうか。それしか理由が思いつかない。
もう一度彼に謝っておこうと、俺は勇気を出して彼のいる部屋のドアをノックした。
「開いてんだから勝手に入りゃいいだろ」
部屋の中から、少しイライラしたような彼の声が聞こえた。俺はゆっくりとドアを開けて中に入る。
「……なんだよ」
「あ……」
彼はまた窓の外を眺めていた。まだ雪は止まない。はらはらと舞い落ちる雪の白と、彼の色素の薄い銀髪が同じ色に見えた。
「いや……もう一度、謝っておこうと思って」
そう俺が答えると、彼は「はぁ?」と怪訝そうな顔で振り返る。その鋭い灰色の眼差しが怖くて、俺は一瞬彼から目を逸らした。
「何でまたお前が謝んだよ」
俺を責める彼の声が聞こえる。俺はもう一度彼を見た。やっぱり彼は俺を睨んでいる。
「……お前、まだ俺のことで怒っているだろ?」
「お前自体が気にくわねぇからイライラすんだよ」
「そうか」
俺は謝るのを止めた。そして彼と関わる事も。彼が怒る原因が俺自身だと、やっと俺は気づいたのだ。ならば必要以上に彼にかまうのはもう止めよう。俺は彼の怪我が治るまで、面倒だけみていればいいんだ。
俺は無言で彼に背を向ける。そのまま俺は彼の部屋を出た。
あの日から男は俺に無駄に話しかけることを止めた。ただ黙々と俺の包帯を交換したり、食事を運んだりしている。時折事務的な言葉を投げかける以外、男が俺に話しかけることは無い。
あー、清々する。あとは怪我を治して、さっさとこいつとおさらばするだけだ。
けど、何故か俺は前以上に苛立っていた。清々したはずなのに、おかしい。
俺に無関心を装って、ただ黙々と俺の世話する男を見ていると、それはそれで気にくわねぇと思った。
だいぶ体の包帯が減ってきた頃、俺はいつもどおり宿が用意したメシを運んできた男に声をかけた。
「おい」
部屋を出て行こうとしていた男が、ひどく驚いた顔で俺を見て足を止める。うわ、面白いマヌケな顔。と、そう思ったのが顔に出ていたらしい。男は怪訝そうな顔で「なんで笑ってるんだ?」と言った。
「ん? いや、お前があまりにも馬鹿面してたから」
「なっ……!」
男は怒ったように、黒の眼差しで俺をきつく睨んだ。その男の反応に、俺はちょっと驚く。
「へぇ。あんたでも怒るんだ」
「悪いがそんな出来た人間じゃないんでな。馬鹿にされれば俺も怒るさ」
殺されそうになった時はろくに怒らなかったくせに、からかわれると怒るってどういう思考回路してんだよ。
「お前変わってるな」
真面目な顔でそう言うと、男はやはり怒ったようすでムスッと俺を睨む。
「ほっといてくれ。というか、お前俺が嫌なんじゃなかったか?」
男はやっぱり俺の言葉を結構気にしていたらしい。不機嫌そうにそう問う彼に、俺は「まぁな」と返事した。
「っ……だったら何で話しかけたんだ」
「暇だったから」
「お前こそ随分変わってるじゃないか。気に入らない人間に暇だから声をかけるって」
なんだかこのヘコヘコ謝ってばかりの男でも、ちょっと他人と怒るタイミングとポイントがずれちゃいるが人並みに怒るし嫌味も言う事もあるんだなと、そう思ったら少しこいつに興味が湧いた。
「いいからさ。暇だからちょっと話しに付き合えよ」
「え?」
俺が唇を歪めて笑うと、男は戸惑った顔でその場に立ち尽くした。