BAROQUE 05
自分と違いすぎる人間と会話するのが、こんなに難しいとは思わなかった。どう反応したら相手が気分を害さないのかがわからない。
彼が目覚めてからまた二日経った。しかし目を覚ました日にはそれなりに会話してくれた彼は、それ以降はほとんど俺と口を聞いてくれなくなった。だから俺は何がいけなかったのだろうと、そんなことばかりを考えて彼の様子を見る日々だ。
両親ともリチェさんとも違うタイプの彼は、一体どう接したらいいのか全くわからない。しかも彼はまだ俺に名前も教えてくれない。本当にどうすればいいのかわからなかった。
「なぁ、りんご食べるか?」
宿の主人にりんごを貰ったので、俺はなるべく明るい声でそう彼に声をかけてみる。ベッドの上で上体を起して窓の外を眺めていた彼は、しかし悲しくなるくらい全くの無反応だった。ここ最近の彼はずっとこんな調子だ。が、今日は負けないぞ。
「こんな雪深いところで果物なんて貴重だよな。りんごは美味しいし栄養価も高いし、有り難い」
あぁ、なんか明るい声で独り言言うのってとても虚しい。けれども俺はなるべく気にしないようにして、りんごを切り分ける事にした。
「意外と俺、料理には自信があるんだ。だからりんごもちゃんと切り分けられるから安心してくれ」
そう言って俺はりんごの入った籠をテーブルに置き、そこからりんごと一緒に入れていた小さな果物ナイフを取り出す。その時驚いた事に、彼が俺に声をかけてきた。
「俺に切らせろよ」
「え?」
声をかけられたことに驚いて、俺は彼が何を言ったのか理解できなかった。だから彼はもう一度、静かな声で俺に言う。
「だから、りんご切るの俺にやらせろよ」
「しかし……」
なぜ突然彼がそんなことを言ったのか疑問に思うよりも先に、俺は彼は怪我人なんだし大人しくしていたほうがいいと思って、思わず渋い顔をしてしまう。しかし彼はどこか暗い陰のある笑みを俺に向け、「いいから貸せって」と手を伸ばした。
「いや、お前は怪我人だし」
「りんご切るくらい出来るよ。つーかずっと寝てるだけで暇だったんだ、やらせろ」
有無を言わさぬ気迫を彼は向け、俺は仕方なくりんごとナイフを彼に手渡す。彼は「サンキュ!」と言い、初めて俺に笑顔といえる笑顔を見せた。
「あ、あぁ」
彼が笑顔を見せてくれたことが嬉しくて、俺もちょっと笑う。すると彼は「あ、わりぃ」と言って顔を上げた。
「なんだ?」
「いや、やっぱりこっちはいらねぇ」
そう言うと彼は何故かりんごを俺に向けて放り投げる。その意味を問うより先に、俺の体は反射的に投げられたりんごを掴もうと動いた。
視界を銀色の光が掠める。冷たい、無機質な色。ナイフだ。その向こうで彼が笑っているのが見えた。
まだ体は万全じゃ無かったが、不意打ちを狙えば男を殺せる自信があった。奇襲は得意だし、馬鹿素直そうなこの男だったらナイフを手に入れるのも簡単だと思った。そして案の定、男はナイフを俺に手渡した。馬鹿なやつと、暢気に笑う男を見てそう思った。けど、
「なに、を……」
ナイフを持った俺の右手首を、男の右手が掴んでいる。物凄い力だった。このまま骨が砕かれるんじゃないかと思う強力に、俺は思わず苦悶の呻きを発する。だが男の表情も俺と同じくらい、苦痛に歪んでいた。
咄嗟の行動だったのだろう。男の左手はりんごを受け取ることはせず、俺が放った果物ナイフの刃を掴んでいた。俺が正確に首筋を狙った凶器を、男は素手で止めやがったのだ。どういう神経してんだ。いや、首狩られるよりはまぁ被害少ない気もするけど。
「い……たい、だろ……」
男はゆっくりとナイフの刃から左手を離す。指は切り離されずに済んだらしいが、夥しい量の鮮血があふれ出していた。
俺はナイフの刃に付いた男の血を眺めながら、無感情に呟く。
「なんだ、ぜってぇやれると思ったのに……案外反射神経はいいみてぇだな」
俺のこの一言に、男は初めて怒りのような感情を俺に見せた。
「いい加減にしてくれ……怪我人なんだから、大人しくしていてほしい」
しかし眉間に深く皺を刻んだ男の言葉は、俺を心配する言葉。
「お前、こんな状況でも他人の心配かよ」
どんだけお人よしなんだよと、俺は呆れた。
この時男を殺そうとした理由は、自分でもよくわからない。他人は敵だ、殺せと、そう教えられて育った俺の本能がそうさせたのだろうか。